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周りと私と劣等感

私の周りは出来のいい人ばかり。

いとこはみんな頭がいい。特に母方のいとこは歳も近く1番仲良くしておりよく話を聞くが、公立で県2番目に頭のいい高校で学年1位である。この前の進路調査で第1志望を九州大学と書いたら「もっと上を目指せるんだから東大くらい書いて」と先生から本気で言われたみたい。

仲のいい院生の男の人は、理系の首席か次席。成績がいいので返還不要の奨学金を学校からもらっている。ふざけているように見えてとても努力家。ちゃんと考えている。馬鹿な私が見てもわかるくらいには頭がいい。そしてとても真面目である。

他にも、出来がよすぎる親戚や精神疾患に負けずに進学校で頑張っている高校生の子などがいる。

ただ、出来がいいという言葉はあまり好きではない。だって絶対になにかしらの努力をした上で成り立っているものだと思うから。みんな努力してこうなっている。

そんなことはわかってる…ただ、みんなの真面目さと向き合った時、私はひどい劣等感と自己嫌悪に陥る。出来がいいという言葉は嫌いだが、それを使って逃げたくなる。
自分がいたかった場所にいれている、そのことが羨ましくて仕方ないのだ。そして、それは努力してない自分のせいだと受け入れられない自分に更に嫌気がさすのだった。
だから、いつもみんなの真面目さから逃げるの。ヘラヘラして「私にはわかんないや〜笑」って笑う。そして自分は馬鹿なんだからと心で唱えながら馬鹿をするのだった。

でも、私だって頑張ってみたい。普通の人からしたら頑張れないっていうのは意味がわからないと思う。
私は、勉強は嫌いだが努力は好きだった。だから小学生の時はたくさん色んなことを努力した。中学に入ってからも努力は好きだった。部活で努力し、副総務をし、そして勉強は学年5位以内をキープしていた。

しかし、だんだんと努力ができなくなっていった。私は開き直るということを知らなかった。なんでも完璧にしないと気がすまなかった。でも、全てのことを完璧になんてしている余裕もなかった。だから、少しずつ、努力しているつもりなのに結果として現れなくなっていったのだった。そして、大人から受け入れてもらえなくなった時、私は努力するのをやめた。

もう努力なんてしないと決めた。だって、努力してそれが報われなかった時傷つくんだもの。努力してもそれを認めてもらえなきゃ意味が無い。みんなから認めてもらって褒めてもらうために努力をしていたから。そして、努力してもできなかった時が怖かった。やってもできない自分がいるかもしれないということに向き合えなかった。

だから私はずっと逃げ続けた。本当は受験のことだって言い訳だってわかってる。先生たちに反対されめんどくさくなったのは事実だ。でも、心のどこかで「落ちたくない。頑張ったのに落ちるなんて絶対嫌。」と思ってしまった自分がいた。そして私は逃げたのだ。指定校推薦を使って、ずっと目指していた理系大学を諦めた。文系に進んだのだった。

しかしそれは私の中でひどい劣等感になった。また逃げた。頑張っていたのに。あんなにやりたかった理系すら諦めた。私は努力すらできないダメ人間なんだ。そんな思いが大学生になって常にあった。

大学生になって、余計みんなの真面目さに向き合うのが嫌になってしまったのだった。

でも、もう逃げたくなかった。これ以上自分を嫌いになりたくなかった。だから私は頑張ることにした。入院してから通信にしたくて仕方なかった。でも、それは逃げたいんだろうなと思った。逃げたくて、楽しいことだけしたくて、だから通信にこれだけ行きたいんだと思った。しかし、将来のことを考えたらここで通信にしたら絶対後悔すると思った。だから、私は今の大学を続けることにした。

どこまで頑張れるかはわからない。でも、今度こそ本気になろうと思う。本気でやってみる。頑張る。

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