四国大戦~プロローグ1~
ブッダがキレた。
今や平安京に昇る太陽は家々から立ち上る煙によって覆い隠され、月と星々は絶え間なく燃え盛る戦乱の炎によってかき消された。
見よ! 南の彼方より田畑を踏み潰し、家々を蹴散らす八体の大仏を! 大火を鎮め、洪水を治水し、地震を収め、疫病を駆逐するために伝来したテクノロジーは今! 後白河天皇と崇徳上皇の戦いという形で大きく歪められたのである!
この冒涜の背後にあるのは南都六宗だ。奈良時代に隆盛を誇った栄光も今は昔、桓武天皇によって政権の中枢から追いやられた彼らは、今こそ力を取り戻すべく仏教の力を軍事利用しているのである。
進撃する奈良大仏の足が、農民の家を蹴り上げる!
「おらの家が!」
それを見た農民が頭を抱えて絶望し、地にひれ伏した。妻子が彼に寄りすがる。彼らが何をしたというのだろうか! 妻子を持ったことか? 家を捨てて出家しなかったことか? 子供が喜んで採った魚を口にしたことか? 仏教とはかくも不信信者に苛烈なのであろうか?
八体の大仏は平安京まであと五キロの距離まで迫っていた。地響きが雷鳴の如く、都を揺るがす。大仏の大きな歩幅の前には、五キロの距離も目と鼻の先だ。
「ああ見ろ! いかん! あれはいかん!」
蹂躙された村の長老が指さした先には、おお、何と言うことだろうか。生後四か月の子猫がいるではないか。母親とはぐれたのだろう、地震と空からふる家々に恐怖し、失禁し、動けなくなっていた。その子猫の頭上に飛鳥大仏の足が迫る!
「うわぁー見ちゃおれん!」
凄惨な光景に村人たちは目を覆い、顔を背けた。可愛い子猫が大仏に踏みつぶされる! 末法、世は末法の光景である。
しかしそのとき、京の都から光が放たれた。その光は飛鳥大仏の左足に命中し、大きく仰け反らせた。間一髪、大仏の足から子猫が逃れる。そこをすかさず親猫がやってきて、子猫の襟首を咥えていずこかへさった。
「ああ、あれを見よ!」
農民の一人が平安京の方を指さした。そこには対仏ライフルを構え、馬に乗った僧侶たちがこちらへ駆けてくる光景があった。
彼らこそ比叡山より不殺生の戒律を破ることが許された僧侶、破壊僧である。
破壊僧、ジョン・田中は対仏ライフルのボルトを起こして、大仏に狙いを定めた。対仏ライフルとは、かつて桓武天皇がこの状況を見越し、大仏に対抗するために最澄・空海によって西方より持ってこさせた破戒兵器である。
ジョンは対仏ライフルの引き金を引く。反仏質を撃ち出すそれは、仏性の高いものと対消滅を起こして、爆発を生じさせる。例え功徳によって強化された、いや、むしろ功徳によって強化された分、仏性が高くなった大仏の表皮こそ大きく破壊せしめた。
ジョンの撃った弾丸が、奈良大仏の足に命中して爆発を生じた。
「足だ! 足を狙え! 奴らを京の都に入れるな!」
破壊僧たちの先陣を切る腕白大師が叫んだ。
ジョンは弾丸のある限り、対仏ライフルを撃ち続けた。大仏たちの足が爆発の光に包まれ、体勢を崩し、五体投地するかの如く地面へと倒れる。
「やったか?」
破壊僧の一人が言ったが、ジョンの隣にいるゼロは「いや、まだだ!」と喝破した。
ゼロの言う通りだった。土煙の中から、大仏の手が上がって地面を突いた。
「くそっ! 何て徳の高さだ!」
ジョンがそう言って、反仏質弾をライフルに込めた。弾も残り少ない。予想はしていたが、現状では足止めしか出来なかった。
「汚い言葉を使うな、ジョン」
腕白大師がたしなめる。
「しかし大師、このままでは」
「見よ! 時は満ちた! みな、ここを離れるのだ!」
腕白大師の指示に従って、大仏へ道を開けるようにジョンたちは馬で近くにある丘の上に上がった。そのとき! 都から一筋の光が放たれ、大仏たちに直撃した!
「何だ今のは」
ジョンが手で顔を覆った。光から生じた熱が遠く離れたここまで届いた。
「不動粒子砲ですか?」
ゼロが言うと、腕白大師はしたり顔で頷いた。ジョンはその言葉に聞き覚えがあった。京の都は東寺にある不動明王から放たれる光線だ。これも空海によって西方からもたらされた破戒兵器だった。
「不動粒子砲は発射に大量の徳を必要とする故、時間が必要だったのだ。前もって説明する暇がなかった。許せ」
ジョンは停止する大仏を見やった。大仏はもうピクリとも動かない。不動粒子砲の直撃により、パイロットが焼けニルヴァーナしたのだろう。
破壊僧たちが一息ついたのも束の間、地平線の彼方より軍隊が押し寄せるのが見えた。南都六宗の僧兵たちだ。
「さぁ、休むのもこれまでだ! 皆の者、行くぞ!」
腕白大師の号令で、破壊僧たちが僧兵へ突撃する。
大仏に踏み鳴らされた末法の荒野で両者は激突した。
南都六宗の僧兵一万人に対し、京の破戒僧は百人。一般的に兵力差が三倍になれば、優位な方はほとんど損害を受けずに相手を壊滅させることが出来る。
しかし最新の仏教で武装した破壊僧たちは、数に勝る相手を対仏ライフルで撃ち、ライフル弾が無くなれば刀と数珠で立ち向かった。
「ぐあっ!」
僧兵の放った矢がジョンの胸に突き刺さる。
「ジョン!」
ゼロが馬を降りて、ジョンの下に駆け付ける。そこを狙った僧兵が、ジョンへ向けて槍を振るった!
「破ッ!」
ゼロは数珠を振って槍の穂先をからめとり、逆に槍を奪って僧兵の胸に突き刺した。
「これぞ因果応報なり!」
「ぐあああ!」と叫んでニルヴァーナする僧兵を尻目に、ゼロはジョンの傷の具合を見た。
「大丈夫だ相棒」
そういって、ジョンは体を起こし、胸に突き刺さった矢を抜いた。
「般若心経が守ってくれた」
ジョンが胸から、傷ついた般若心経を取り出す。
「けど、今ので徳が切れちまったようだ」
「俺のを使え、二つ持ってるから」
ゼロがジョンに自分の般若心経を差し出した。
「すまん」
ジョンは徳の切れた般若心経を捨てて、ジョンの般若心経を受け取る。
「お前は昔から写経が得意じゃないからな」
ゼロが呆れたように言うと、ジョンはその胸を叩いて「うるせえ」と返した。
「それよりも周り見ろ」
いつの間にか二人は槍を持った僧兵たちに取り囲まれていた。
「おっ、まずいな。改宗するか?」
ゼロは相変わらず緊張感のない声で言う。
「馬鹿いえ、こんなの楽勝だろ」
「半分ずつ片づければ、な」
「冗談じゃねぇ、俺一人で全部やってやるよ」
「そうかい」
「南無!」
僧兵たちが槍を突き出す。
「奮!」ジョンは数珠を鞭のように振るって僧兵たちの顔を叩き「破!」ゼロが懐から線香手榴弾に火を点けて投げつけた!
「ぐわああああ!」
爆発し、土煙と共に舞い上がる僧兵たち。足並みの崩れた彼らを、ジョンとゼロは次々に刀で切りニルヴァーナしていく。
ジョンが「四人、五人、ゼロ、俺は六人やったぜ!」と言えば、ゼロは「甘いな! 俺はもう十人だ!」という。
「マジか! 数を誤魔化してるんじゃないだろうな?」
「ジョン、悪いが俺は数学が苦手だ。引き算以外の計算は出来ん!」
最後の一人をジョンが切りニルヴァーナしたとき、辺りには二人の他に誰もいなくなっていた。
「そっちも終わったか?」
屍を踏んで、血塗れの腕白大師がやってきた。どうやら僧兵たちは全て片付いたようだった。
「どうやらこの場は凌ぎ切ったな」腕白大師は言って、倒れた大仏の方を指さした。
「これから大仏の確認に向かう。すまんが、二人で行ってきてくれ。部隊の状況が、まだ完全には把握できていない。もう敵はいないと思うが、気を付けていけ」
ジョンとゼロは「御意!」と返事して、馬に乗って大仏へ向かった。
八体の大仏は完全にその機能を停止していた。少なくとも二人にはそのように見えた。不動粒子砲の熱は消え去っておらず、背部のコクピットを調べようにも熱くて触れそうもない。とりあえず、周囲に敵の残党がいないか馬で見回る。
そのとき、崩れ落ちた大仏の掌から、クロスボウを構えた人影が姿を現した。
ジョンとゼロはとっさに対仏ライフルを構えた。
人影は子供だった。年齢は九歳ぐらいだろうか、剃髪した頭が青白く、親元から離れて出家したばかりのように思える。体の半分は不動粒子砲に焼かれたのだろうか、ひどい火傷を負っていた。
「待て!」
ジョンは対仏ライフルを下げて、馬を降りた。
「怖がらなくていい、何もしない。いいかい? もう戦いは終わった。火傷が痛むだろう、手当てをするからクロスボウを下ろしてくれ」
子供はクロスボウを下ろさない。その手は震えていた。痛みだろうか、恐怖だろうか、それとも不殺生の戒律を破るからか。
「大丈夫だ、何もしないよ」
ジョンはジリジリと子供ににじり寄る。そのとき、ふと暗がりから何かが飛び出した。カエルだ! 子供はカエルに驚いてクロスボウのトリガーを引いてしまう!
「ジョン!」
ジョンの前にゼロが飛び出した。矢はゼロの胸に突き刺さり、ゼロの身体が地面に倒れ伏す。
子供はクロスボウを捨てて消える。
「ゼロ!」
ジョンはゼロを助け起す。矢の刺さった胸からは、血が滲み、やがて川の如く流れ始めた。
「ゼロ! そんな……般若心経は!」
「なんてこった、ジョン」ゼロは笑って言う。「俺は引き算も出来ないようだぜ!」
「そんな、嘘だ。ああ、仏よ!」
ジョンはゼロの傷口を抑える。ジョンの手は真っ赤に染まり、血は一向に止まる気配を見せない。
「すまんな、ジョン。お先に、ニルヴァーナ、するぜ」
「やめろよ、ゼロ。半端者のお前じゃ、まだ解脱にはほど遠いぜ。なぁ、ゼロ?」
ゼロは返事をしなかった。その体は急速に熱を失って行った。血は止まっていた。ただしゼロの身体を動かした、その力強い鼓動もまた道連れにして。
「ゼロオオオオオオオ!」
末法の世に、ジョンの叫びがこだまする。倒れ伏す八体の大仏、姿を見せぬ月光、燃え盛る田畑、京の都は崇徳上皇の放った軍隊によって血に塗れる。
死体を漁らんと狙う餓鬼、血を啜る吸血鬼、生きる術を失った農民に悪魔が囁く。
ブッダがキレた。