「シャーーーーー」 という規則的な音が窓の外から聞こえる。工事の音?水浴びの音?と思い、窓を開けて、セミの鳴き声であることに気づく。何故かこれを二回も繰り返した。数時間後、また「シャー」という音の正体が気になり窓を開けた。さっきも確認したのに。また蝉だった。いつから鳴き始めたのか分からない。暑さが続く日のどこかで一斉に鳴き始めた。 期日前投票に行った。政治なんてよく分からないし、高校生の頃は現代社会の授業がとても苦手だった。今でもお金のことは難しくて分からないと思ってしまう
久しぶりの投稿。 仕事に追われる日々で、文章を書いたり生み出す時間がない。給料と引き替えに勤務時間が伸び、それでもなんとか生活を繋いで、好きなことをしている。できなくなったのはアウトプットだ。生活の中でアウトプットは優先順位が低く、削られる優先順位一位だったわけだが、今日は久しぶりに映画の感想でも書き連ねようかと思う。 『ずっと独身でいるつもり?』の宣伝ツイートが流れてきて、目に止まった。主題歌が「にしな」さんであり、映画の内容も突き刺さりそうだから観たい!と思い立って数日
『ねじねじ録』を読んでいます。こういう文章を書けるようになりたいな。
この頃流行っているカヌレはお好き? わたしはカヌレが流行る前に、それを食べたことがある。そのとき、ほっぺたが落ちる程の美味しさは感じなかった。見た目の可愛さは当時と同じ。小さくて可愛い見た目が映える世の中に受け入れられたのだろうか。 世間はカヌレを絶賛している。カヌレのお店には長蛇の列が出来ていた。わたしその列を横目に、隣のお店でマカロンを買った。マカロンは期待通りの味。ここで、カヌレが期待通りの味ではなかったことがわたしのなかの評価が低い理由だと悟る。 最近読んだ本が
「クレジットカードが不正利用されたみたいなんだけど」 お金のことに対して疎い私は、彼に今日起きた出来事を伝える。 「モバイルスイカに勝手にチャージされたみたい、1000円と2000円、二回に分けて」 「どこから漏れたんだろうね」 「わからない、海外のネット通販を使ったからかな、不正が分かった段階でカード会社が利用停止してくれてるみたいだけど」 「コンビニとかで本当に使えないか確かめてみたら?」 私のクレジットカードは確かに止められていた。カード会社に電話して本人確認と身に覚
先日飛行機に乗った。一人で乗るのは初めて。滑走路で加速する瞬間がこわくて、いつも友だちに「こわいよこわいよ」と騒いでは鬱陶しがられていた。それも出来ず、一人で飛ぶ。 こわいと楽しいは紙一重というか表裏一体というか。こわいけど、楽しいなと思いながら飛んだ。地図上で見るととても遠い距離なのに、一時間足らずで目的地に着くことが不思議だった。飛行機という鉄の塊が飛ぶことだって考え始めたら不思議で仕方がない。だけど、飛ぶものは飛ぶのだ。 私は答えの出ないことを考え続けてしまう癖があ
5月ももう下旬。このところパッとしないのは梅雨が始まったからか、それとも靄がかった心地があるからか定かでない。 トウキョーの街は関西で育った自分にとってはやはり異世界で馴染みのない街だと思っていた。憧れもとりわけあるわけではないし、落ち着かないとさえ思っている。しかし、今日はトウキョーの夜景に飲み込まれたい気持ちになった。空の暗さにぼやけるネオンに惹き込まれたかった。 何度目かの緊急事態宣言で、休みの日は誰にも会わずひとりでカフェに行ったり、スーパーに食材を買いに行ったりし
正解が見つからないというのは、まるで髪を切ることのようだ。セミロングの髪をショートボブにした。肩のあたりで毛先の痛んだぱさぱさの髪がうねっているのがいやだったから。ショートボブになった。お風呂上りに髪を乾かすことを怠るととんでもないことになる。これなら結べる長さがあったほうがよかったかな。雨が二日続き、後悔が渦を巻く。部屋に干した洗濯物もなかなか乾かない。浴室乾燥で干せる量は限られているのにと思うと、一人暮らしをしている人たち全員「がんばっている」と称えたくなる。 異動にと
あの日は切った爪みたいな月だった。どうしてもそこに引っかかりたくて毎晩手を伸ばしていたのに、だんだん丸みを帯びていく月を見て、裏切られた気持ちになる。満月はうつくしいとずっと思ってきたのに。満ちて、光り輝いて、欠けてすらいない月は完璧に夜空を支配する権利を握っているかのようだった。 完璧は幻想で、欠けていても許されると知ったのはつい最近のことだ。ずっと苦しかった。なんでわたしは完璧になれないのだろうって。あと「ここ」がどうにかなれば上手く付き合えるのにって。「ケアレスミスを
瓶が割れる音がした。ひどい酩酊状態からうっすら現実に引き戻され、重い瞼を持ち上げる。そこは一人で暮らす自分の部屋だった。またあの頃の夢を見ていたようだ。瓶が割れる音がしたとき、色がついてなかったから。夢に色がついているかついていないかという議論がなされるとき、わたしは決まって前者だった。どんなに華やかな夢を見たとしても起きてしまえばモノクロの記憶しか残っていない。もったいないな、と思いながら当時はよくクーピーで塗り絵をしていた。 「はみ出さずに綺麗に塗れるのね、ゆいちゃんは天
友人が「星ひとみに占ってほしい〜」と言っていたことにより、「星ひとみの天星術」の存在を知った。類は友を呼ぶのか、女性は比較的占いが好きだからか、私の周りは占いに興味がある友人が多い。わたしは「新月」で、そこに書いてある内容が深く頷けるくらいに当てはまったことに驚いた。これは信じてしまう、と「秒」で思った。 他の占いでも、自分の性格について「当てはまる」と頷ける場面はたくさんあった。ふと思ったのが占いでわかる統計からみた基本性格と、生まれ育った環境による性格の関連についてであ
絢さんと出会ったのは日差しが肌に突き刺さる八月のことだった。表参道、外苑前、青山、普段聞き慣れていない地名だがそこが東京の中心部にあたるのだろうということは分かった。これまでの人生を関西で生きてきた私にとって東京はいつまで経っても異質な場所だ。標準語を話す人たちに混じって関西弁を出すことに抵抗がある。少し身を潜めつつ、それでも時代の流れには遅れていないぞ、と無理矢理胸を張る気持ちで青山の坂道を歩く。 個展の会場は涼しく、一歩踏み入れただけで気管に冷ややかな空気が流れ込んだの
乖離を語る人が好きだ。そしてその人のことをこわいとも思えば、なぜだか信頼もできる。まず、乖離とは何か。辞書によると「そむき離れること。はなればなれになること。」という意味のようだ。乖離を語る人は、物事の本質を見極めている気がする。それが「こわい」と「信頼」が共存する理由である。何が本音で何が建前か、どれが嘘でどれが真実か。分からないように混ぜ込まれたAとBを綺麗に分離させることを得意としているあなたはきっとわたしの嘘も見抜くのであろう。それがわたしはこわいのだ。あなたのアタマ
仕事終わりにローソンでダブルエスプレッソラテを購入。コンビニへ行ったのは共通テストの問題が掲載された新聞を買うついででもあった。毎年センター試験一日目の翌日には新聞を買って国語の小説の設問を解いている。今年の結果は42/50。まずまずの結果であった。私が毎年小説を解くことにこだわっている理由は一体なんであろうか。物語を楽しむことだけに重点を置くならわざわざそんな点数化されるものへの執着は要らないだろう。元来私は点数や評価へのこだわりが強く、そして強いこだわりは結果となって良い
「生きる意味とは」という問いに立ち向かったとき、苦しかったことを覚えている。 「あなたにとって生きる意味とはなんですか?それが分かれば生きるためのレールとなって今後生きるのが楽になるんです。その答えが見つかれば、もうここに来なくてもよくなりますね。」 当時通っていたカウンセリングで出された課題はとてつもなく大きくて、越えられない壁のような、行く手を阻む問いだった。それについて考えてしまうと、余計に心苦しくなる気さえした。私には生きる意味すらないのか。物事を深く考えて悩むこ
「よいお年を」と聞こえる時期になった。小学生の頃に受け取った年賀状に「よいお年を」と書かれていたことを思い出す。年賀状は年末に準備するし、来年一年間を「よいお年」にしてくださいという意味で当時の友だちは書いたのだろうか。小学生なので単なる間違いだとはわかっているがたまに思い出すこのエピソードは、きっと年老いても思い出すのだろう。 先日冬至が過ぎ、これからまた日が長くなっていくことに希望を抱く。25日を境にスーパーの店内放送も商店街の音楽もクリスマスソングからお正月の歌に変わ