永遠などありえない‥と思ってた
そう、永遠などありえないと思ってた。
今までもかれこれ何人の推しがいただろうか。
いつ推しをやめる日が来るかなど誰にもわからない。そしてそれは全く悪い事ではないのだ。なぜなら推すもやめるも個人の自由だから。
唐突にNoteなどというコンテンツを使う事にした。それはただただTwitterの140字じゃ足りない気持ちを書きたかったから。もともと文章を書く事は嫌いではない方で(上手い下手はさておき)書く事によって、自分の気持ちを整理したいタイプの人間なのだ。
そこで新しくNoteを使う事にした。
ここにはただただ私のあくまで私の主観的な言葉だけを書き連ねている事は理解して欲しい。
さて、そこまでして何を書きたいのかというと、間違いなくそれは私の現推しである登坂広臣さんの事である。
私がいつどのように、どんなことから彼を好きになって、そして何を見てどう感じたか、きっと誰も興味ないだろうけど、それもそのうち勝手に書いていこうと思う。
ではタイトルに戻る。
永遠などありえない‥と思ってた。
まずはこちらを読んでいただきたい。
かれこれ半年以上も前にとある方に教えていただき何度も読んだものだ。
ファンをやめる日
http://clarice20.hatenablog.com/entry/2019/06/18/084315
あー。うまくURLにタイトル変換すらできないポンコツでごめんなさい。見れました?
これを読んだ時、今まで自分の中で思っていたことが明確に言語化されていて、すごく納得した。
なるほど、ポイントカードか。
推しをポイントカードに例えるなんて!
もっと純粋な愛じゃなきゃ!
などという意見もあるかもしれない。
でも私は本当に本当にこのブログに共感したのだ。
好きだったら何でもできる
ずっと好きでいられる
この人しか見えない
と思う程に私は若くない(笑)
推しをずっと好きでいる、というのはなかなかハードルが高い。それを可能にするにはやはり需要と供給が存在する。これは何も「ファンの望むものを毎回提供する」ということではない。ファンの望まないもの、あるいはいい意味で期待を裏切るものも含まれる。そういったいい塩梅での需要と供給、内容もしかり、ペース配分もしかり、それらが絶妙なタイミングで提供されるというのは、本当に困難な事だと思う。もちろんこれらは推し本人の魅力ありきを前提に話している。
ずっと、というところが困難なわけ。
ところがこの困難な部分をいとも簡単にクリアした人間がいたのだ。
そう、私の推し、登坂広臣である。
こんな言い方をしたらファンには怒られるかもしれないけど、彼は本当に全てにおいて、隅から隅まで、セルフプロデュースに長けている。それは何も楽曲に関しての事だけではない。先程書いたような事に対してもだ。
臣くん自身、それをわかってやっているのか、はたまた何も考えずにやっているのかは私には知る術はない。でもそこは重要ではない。不定期であるが定期的(ややこしい)にInstagramなどのコンテンツを駆使し、宣伝はもちろんだが、何よりファンとの繋がりを持とうとしてくれる。その時のあの優しい表情、話し方、もうなんだあれ、素晴らしく暖かい人柄が溢れているではないか。そしてコメントなどにもね、本当に本当に素敵な返答をするわけですよ。ちゃんと人の気持ちを受け入れて、寄り添って、プラスの言葉に変えてくれる。これね、なかなかできることじゃないですよ。あ、話ずれた、この話はまた後日。
そう、ポイントカードを貯めてもまた貯めたくなるのだ。なぜなら景品が毎回違うわけ。貯めたご褒美すらある(スタライなど)そしてそのポイントカードを集めるペース配分すらも、知らない間にいい塩梅で補正されてるわけ。
ほんっっとにまんまと策略にハマってるよ。
翻弄されてることすらも心地いいだなんて。
誤解のないように書いておくけど、私はただただ、彼の創造する世界観と、彼の歌声、そしてパフォーマンスに惚れこんでしまった人間で、臣くんの事、知らない事の方が多いし、むしろ彼自身が発信してくれる事以外は知らなくていいと思っている。
そんなこんなを含めて、もしかしたら、私は臣くんを一生好きでいるのかもしれない、と思ったわけだ。先日呟いた「私、永遠とかずっととか、全然信じてない人間なんだけど、なんかもう、一生、登坂広臣を好きな気がする‥」は何も好きで好きで、ぎゃぁぁぁぁぁ!!!みたいな情熱をもて余しただけの感情ではないのだ。(正確にはわかんないけども)
そして実は初めてFULLMOONを見た時にそんな予感はしていたのだ。見るともう引き返せなくなるのかもしれないと。そしてその予感は的中していたのである。
もしかしたら永遠ってあるのかもしれない。