見出し画像

2023年を迎えて

見えぬけれどもあるんだよ。


わたしにのからだには
様々な「現象は確認できるけど、異常を証明できない」ことがある。

CRPSもそう。
中枢神経系で「何か」あるとしか思えないし
そうじゃないと説明がつかない。
でも、それを証明する手立てがない。
と、16年前に言われていて。
今少しずつそれらが解明されるようになってきて
確かに中枢神経系で「何か」あるようだ
というところまで迫ってきていたり。
いろんな「説明がつかないこと」について
わかるようになってきている。

両下肢の末梢神経障害についても
感覚障害があって
深部知覚も異常があって
腱反射も消えている。
だけど、「なぜか?」まではわからない。

感覚障害があるので、視覚で補ったり。
日常生活で気をつけたり。
足の点検をして、傷を見つけたらケアしたり。
爪や胼胝のケアをして。
…と、していることは
他の末梢神経障害のあるひとと同じだし。

原因がわかったから、といって
なくなるものでもないのでね。

そして
「謎の嚥下障害」もありまして。
確かに食物が引っかかるし、鼻への逆流もある。
だけど、原因がわからない。
なので、できることとしては
その時の飲み込みの具合で、危険なものは避ける。

わたしは油揚げとは仲良くできなくて。
いなり寿司とは本当に仲良くできない。
ごはんはパラパラだし、油揚げもパサつくので
飲めなくて引っかかるし、鼻に逆流してしまう。

CRPSと同じく
「しまさんには末梢神経障害があるんだよね」
「飲み込みがちょっと調子良くないんだよね」
「しまさんには嚥下障害があります。
僕が実際に飲み込めないのを見ています。」
って、否定しないでいてもらえるので

「うん、あるんだよね」
「ちょっと調子良くないから、こうなんだね」って
受け止めることができるけれど。

CRPSを発症してからの長い長い経過の中で
「症状を否定される」経験を重ねてきて。
自分の感覚を信じることができなくなってしまっていて。

異変に気づいても「また否定される」
「また『気持ちの問題』にされてしまう」と
「なんとしてもわかってもらわなくては!」と思ったり。
「実際に倒れないとわかってもらえない」
「見える形でわかるくらいにならなければ、否定される」と
無理に無理を重ねてしまったりして
心身共に衰弱することになっていたり。

「なんでわかってくれないの!」と
コミュニケーションエラーを起こしたり。

コミュニケーションエラーから心身共に衰弱することになったり。

「またわかってもらえないのでは?」という不安から
強迫的になったり。

…という苦悩を抱えているのでね。

今回の大腸癌の早期発見について
内科主治医は「受診してくれて、ありがとう」と。

総診でコミュニケーションエラーを起こしたけれど。不安から強迫的になったけれど。
「よく気づいたね」と…。

新しいチャレンジ?

原因ははっきりしないけれど
副腎皮質系の異常も、わたしにはありまして。

副腎抑制がかからない、と言われている量なのに
ステロイドをoffにできない。

検査所見上、数値の低下がある。
でも、それだけでは説明がつかないし
理論上は問題がないはず。

っていうね。

これがね…
ほんっと、コミュニケーションエラーの最たるもので。

検査入院時のICで、3人の病棟主治医目の前にして
ブチキレ 患者の本音をぶちまけましてね。

同席した看護師さんと、無になったし。
この状況をなんとしても記録に残さねば!と思うくらい患者にとって不利益しかないICでしてね…。

同席した看護師さんは
20人とか30人の患者さんの送りよりも
しまさんのICの送りの方が長くなった。
とか
時間が経てば経つほど、怒りしかない。
とか。

その時のことを思い出すと
わたしの血圧が150超えるとか。
(普段は100前後。80前半とかも普通にある)

まあ、酷くてね…。

理論上問題がないかも知れないけど
現象としては起きている訳で。
起きている現象まで、否定する必要なくね?
っていう…。

でも、それだけじゃなかったからね…
当時のリハ科主治医の先生は、リハ科4年目で。
カルテ上、リハ科トップの先生の関与はほとんどわからないし。

診察枠も若い先生の枠なので、気がつかないだけなんだけど。
がっつりトップの先生、関わってるし。

リハ科で慢性疼痛の治療しているというのは
トップの先生の患者みたいなものなんだけど。

そこがね、見えていなかったからね。
若い先生が主治医だから、って
かーなりなめきったことしてたからね。あの3人

ICで「それならリハ科でもできますよね?」
「リハ科に戻して下さい!」と怒りと共に伝えて。

病棟主治医からリハ科主治医の先生に連絡がいって。
医師記録はIC実施としか書かれていないので
看護記録を確認したんだろうな…先生のことだから。そこにあったのは、尋常じゃないICの記録で。

「無理して減らさなくていいよ。」
って言ってくれたり。
「もし、減らすとしてもカルテ受診で。」
って言ってくれて。

当時の地元病院の整形主治医も
「検査はしてあるんだから、してもカルテ受診だと思うよ?」と言ってくれたけれど。

現、リハ科主治医になったトップの先生は
「ステロイド減は代謝内科で相談ね」と。

嫌なんすけど、って伝えたら
「先生指定して」と。
受診させる気じゃん…

ステロイド減で代謝内科受診するにしても

それは現地元病院の整形主治医が直接内科に依頼を書くのか?
リハ科経由になるのか?わからないけど。

「はいはい。ご相談させていただきます。笑」
って言ってたので
そこら辺は、先生達のあいだで決まるのだろうけど。

どちらにしても
今のわたしの治療体制は
あっちもこっちも偉い先生が主治医なので。
検査入院時みたいな、なめきったことはしてこないと思うけど…

違っているかも知れないけど。
これもまた、先生の狙いがあるのだと思う。

わたしの精神科嫌いが
慢性疼痛チームの精神科の先生の関わりのおかげで和らいだのでね。
代謝内科嫌いもまた、和らげようとしているんだろうな…と。

今のわたしは
コミュニケーションエラーを起こしても
その原因がある程度わかるようになっている。

だから
嫌な思いしかない診療科だけど
そうじゃない経験を重ねることで
「あれはあの3人が残念だっただけ」に
上書きできるように、ということでもあるんだろうな…と。

そんなチャレンジもまた、示されつつ。
新しい年を迎えております。

コミュニケーションについて再考している?

昨年は「コミュニケーション」について考える年だったのかな?と思う1年でした。

2021年10月のリハ科受診時に
「わたしはこう受け止めた」と
泣きそうになりながらだったけど、伝えることができて。
別室に連れて行かれて、対応してもらうことになったけれど。

それは2019年8月、地元の病院で
泣くか、怒るか、でしか表出できずにいて。
心身共に衰弱することになり
「信頼できません!」と
当時の整形主治医を傷つけることになったできごとと
同じ様な状況でのできごとで。

コミュニケーションエラーが起きたらどうなるのか?を経験することになったのだけど。

わたしの場合は
逆引きで理解していく、というか。
うまくいかなかったことを通して
その仕組みを理解して。
じゃあ、どうすれば良いのか?を理解していく。
そんな理解のしかたなのでね。

2019年8月のようにならないためには、どうするか?ということが
2021年10月から、少しずつわかるようになってきていて。

2022年3月までは「今ある関係性」の中で。
4月以降は「新しい関係性」の中で
コミュニケーションエラーが起きないために、どうするか?
コミュニケーションエラーが起きたらどうするか?を少しずつ経験して、積み重ねて来たのかな…と。

社会に参加するのではなくて、社会で活動する。
という目標に向けても、動き出すことになって。

放送大学に入学して、勉強会や学習交流会に参加したり。
ボランティアを始めたり。
放送大学つながりで
生きづらさ支援をしている方のトークイベントに参加してフロアから発言したり。
ゴスマニ活動を本格的に始めたり。
といびとさんとの月いちごはんの会とか。
少しずつ、世界が拡がることにもなった。

そして、ここでも「コミュニケーション」が大事になっていて。

自分の内面を言語化して伝えること。
感情を抑圧せずに、伝えたり発信すること。

コミュニケーションって
双方のやり取りで成立するものだけど。

受け取るだけ受け取って、返さずにいると
溢れてしまったり、染みだしてしまったりする。
だから、圧縮させるのだけど
それもいつかは爆発してしまう。

返さずにいることで、エラーにつながることもある。
相手の受け止め方によるエラーもある。

わたしはこう受け止めた、と返すこと。
なるべくなら、言葉にして返すこと。
…と、まずは「返すこと」から始めているところで。

わたしの場合は
医療職者とのあいだで、社会的な痛みを多く経験していることで
コミュニケーションエラーを起こしやすくなっていて。

地元の病院でのコミュニケーションエラーについてはフォロー体制がしっかりしているので
フォローを受けながら対応を理解しているところなのだけど。

大学でも
コミュニケーションエラーを起こした相手(直接の相手ではないと思いたいけど)に対しての
段階的曝露なのだと思うけれど。

ここでもコミュニケーションエラーについて
自分が理解していることをやってみろ、ということなんだろうな…と。

そして。

医療職者以外とのコミュニケーションについても
社会で活動するにあたって、必要になってくる訳で。

ボランティア先での、スタッフとのコミュニケーション。
利用者さんとのコミュニケーション。
教会での様々な背景や年代のひととのコミュニケーション。
といびとさんとのコミュニケーション。
放送大学つながりの方々とのコミュニケーション。

いろんな場面、場面でのコミュニケーションがあって。

不登校時代も
コミュニケーションエラーについて考えていたし。
看護学校は
コミュニケーションについて特化した実習があったので。
学生の頃から
コミュニケーションについて考えていた方だと思っていたけれど。

それらを凌駕するような傷を負ったこともあり。
医療不信、医療職者への不信感
周囲の人たちへの不信感を強めてしまったのでね…。

今は、その傷を癒しながら
コミュニケーションについて再考している感じ、かな?

ここで、新年のご挨拶

そんな2022年を送りまして。
新たな年を迎えることになりました。

2023年もまた、課題や自分と向き合う日々になるので闘ったり、受け止めたり、揺れたり、戸惑ったりすることになると思われます。

いろんなことがあった2022年。
最後の最後に派手めな症状さんこんにちは、だったけど。
慌てず、焦らず、うろたえることなく
「だよね」と受け止めることができているかな?

ここでお会いすることのできたすべての皆様に
感謝しています。
見守ってくださって、ありがとうございます。
本年もまた、よろしければ
お付き合いくだると嬉しく思います。

#note書き初め

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?