長男の嫁って…

長男の嫁はカス。
聞いた時は「えーっ」と思ったけど、今は納得せざるおえない名言である。

強いて言えば、誰からも評価されず、何を言われても文句も言えず、みんなが嫌がる仕事を誰かのためにコツコツこなすこと。
それが昔の長男の嫁だったのだろう。
敬意を示すより他ない。

早朝からの早起きはもちろんのこと義父母の言うことは絶対。
自分の子供のことはもちろん、旦那さんの兄弟の学費や生活費の工面ももちろんである。
休みなく働き、我が子を抱きしめる時間さえなく働く。
親にも会えず、自分のことより血の繋がらない親戚、兄弟、義理の両親に心身ともに身を捧げ、それでも見返りなんてものはなく、辛抱を絵に描いたような人生だ。

けれどそんな「辛抱強い存在」が仇となってしまったのか、それをいいことにこの家族という小さなコミュニティーの中で、今も世にはびこっている「いじめ」というものが出来上がったのではないかと、推察する。

元を正せばいじめは家庭の中から生まれたのだと思うのは私だけだろうか…

家庭はすでに小さな社会である。

その小さな社会だからこそ標的にされる。
陰湿な環境下、子供は逃げることのできない中大人のそれらを目にし成長してしまうのだ。

こんなふうに論じてしまうには訳があるのだ。

昨日庭で義母を見かけてしまったからだ。

そうすると一気に昔されたいじめを思い出してしまう。

見かけてしまったからと思い出すなんて異常だ。
この嫌悪感や苦しみ…
いつになったら消えるのやら…

けども義母だって生活しているのだから、出てくるのは当たり前だということもわかっている。

でもわざわざ私が出るかもしれないいつもの時間にかぶせて出てこなくてもよくない?と思ってしまうところがwww
自分に対しても嫌悪感が湧いてしまう。

しかしそう思うには理由があるのだ。

実はその時義母が畑に何かを撒いていた。
推測するに生ゴミだろう。

埋めているのかまいてるのかはわからないが、畑にとって肥料にと思ってか、ごみを減らす為にしているのか?または例の、洗濯物に匂いがつくにも関わらず燃やすことを目的に乾かしているのかはわからない。

けれどその行為がまたまさかの、私に昔を呼び起こす結果となってしまうのだ。

最近気になっていた。
それはカラスが来ているということだ。

昨日もカラスが2〜3羽畑に集まってるな…と思っていたから。
きっと生ゴミがあるのだろう…

洗濯竿に鳥の糞が付くのはそのせいか?

洗濯物があるのに遠くならまだしもわざわざ近くで草木を焼いたり…

自分達の洗濯物はさっさと片付けておこなっているところがまた物凄くたちが悪い。

最近の義母の行動はなんだか狂気じみてもいる。
いやらしさが全面に出てしまっているのだ。

としだからしかたないわね…なんてことになるはずもない。
故意にということが見え隠れするからだ。

私はカラスといえば思い出すことがある。

昔私達が建てた家のすぐ近くにカラスの巣ができたことがある。

当時黒い車を乗っていたがため、カラスが勝手に敵だと思ったのか、自分の姿が映っている私の車めがけて鋭いクチバシでドンドンとつつく日々が続いたのだ。

カラスってかしこいんじゃなかったのかよ!
アホやん。
本気で思った。
教えても伝えてもわかるはずもないカラス。

お陰で私の車は傷だらけになってしまった。

それをみんな笑ってるだけだった。
自分の車だったら笑ってられるのか?
本気で対策など考えていたのでは?

私はその時から、物言わぬいじめを受けているような気持ちになった。

義母が手を下さなくてもかわりにカラスが私をいじめてくれているのだ。
さぞかし楽しそうだった。

あの時からもうすでに私にとって、あの家族は冷たいものになっていったのだった。

こちらは母と思ってもあちらは娘とは思てはくれない。

まだ話すことができない赤ちゃんの娘との慣れない子育が始まろうとする中、まさかの家を建てなければならず、慣れない環境で暮らすことへのプレッシャーが重なり…
社会とも断然され、自信をなくしていく日々…
悲劇の始まりだった。

朝、義母に会いその行動を見ただけで、はたまたカラスを見るだけで当時の気持ちになるなんて、もはや私は心的外傷後ストレス障害もちである。
付き合っていくしかないのだ。

昨日は昨日で、職場でどこに住んでいるの?
と、尋ねられた。

私はそれが苦痛だ。

それ以上聞かないで欲しいとさえ思ってしまうほどだ。

田舎あるある。
言ってしまえば話の中で、どこの誰かということがわかってしまうのである。

聞かれると嫌でも話さなければならず、義両親のことに話がなると、向こうは義父母や小姑からの私に対する仕打ちなんて知るはずもなく、真実は闇の中。
気分が優れなくなることがある。

違うのに…そう思うことばかりでストレスがたまる。
相手は悪気がない時が大半だが、悪意を感じる場合もある。

そんなに私に興味があるのか、隣に住んでいるんだから正月は一緒に過ごすのかや、料理を教えてもらったりするのか、教えて下さいと言わないと…だとか、義母はここにもくるでしょなどなど、複雑な関係を知っていてなのかいろいろと聴いてくる人がいる。

私は正直に話したいのは山々だが、本音半分ごまかし半分でその人に答えた。

私は本当は家族仲良く暮らしたかったんだ。と。
だけどいろいろとあるんです…と。
それにそのいろいろは言えませんと…笑

その人が持ってる義父母へのイメージと私とでは雲泥の差である。

立場が違うから当たり前だけど。

相手にとっては顔見知り。
私にとっては義理の親。

きっとその人なら私の状況では耐えることができないと思うの。

すぐ思った事を言うし、怒るし、怖い物知らずだからだ。

先日も、駐車場の料金が上がるとのことで、それならそれで、ちゃんとしたことを(整備など)してよと、その場でバシッと言葉を返せるレベルの人だ(笑)
私にまで好きなことをバンバン言う💦
それは言わないほうが身のためだと思うことまで言ってしまう方だ。

だけどそういう方だからこそ私もはっきり言える。
オモテウラがなく陰湿ではないからだ。
いや知っていて聞くところは多少意地悪なところもあるかもね…

でもその人のそういうはっきり物を言うところは誠実さをもってなら、少し見習いたいとも思っている。
違うと思うことは違うというべき時があるのだ。

私は長年それが言えなくて我慢して我慢して身体を壊したから。
本当に今になれば馬鹿馬鹿しい悔しい話だ。

いじめられて言えなくて、胃腸が悪くなり7キロも痩せてもう本当に終わりだと思ったあの頃の私。

義母は私の痩せように、隣にいた義理の妹向けて、半分分けたりと言った冗談かつ毒プラス嫌味まじりの冷たい言葉を今だに忘れることができない。

もはや傷になっている。

義母は私を大切になんて一度も思ったことなんてないのだ。

自分の子供ならそんなふうに痩せた娘を目の前に、軽々しいことを言ったりしない。

それが家族か?目を覚ませ!
当時の私に言ってやりたいことだ。

息子の障がいがわかり、気力も体力もなくなり不安な毎日に加え、いじわるをして自分の虚栄心のため毒を吐きつづけ自信を奪い、さらに精神的なダメージに拍車をかけたあの人達が今なら鬼に思う。

あーやだな。
離れなければずっとこの調子なのかと思うときつい。

田舎で暮らすことは良いことも沢山ある。

けども、
田舎で長男の嫁、しかも義理の両親のそば、もしくは一緒に住むことはくれぐれもやめたほうがいいと、警鐘を鳴らし続けたいと思う。特に我慢強い人は辞めるべきだ。

身体を壊しかねない。

旦那さんのきょうだいに娘がいる方は特に注意が必要だ。

本来輝けるべき自分と命がけで産んだ子供が、家族だと思っていた義母や義父や小姑から、不等な差別を受けることになる。

小さな世界しか知らない義母が嫁に集中して娘とくらべて攻撃されてしまう現象が起こる。
全ての人がそうだとは言わないが、田舎は特にこのようなことが起こりやすいと思う。

会えば小姑や甥っ子の自慢話を聞かされる身にもなって欲しい。
自分の子供のことを親しみを持って話をしても、なぜか小姑や甥っ子の話に持って行く。

あなたより凄いが見え見えである。

自分に自信がないからそういうことをするのかもしれないが、聞いていてあの子が言ってたように、毒を盛られた気分になる。

終いには上から下を見られるようになる。
粗探しが始まるのだ。

私は目の前の我が子に今だけでいいのだ、目を向けてあげて欲しいだけなのに…

私は人より秀でることが幸せだとは思わない。
学力は自分のお守りにしか過ぎない。

頭の良い大学に行ったり、良いところに住んだりしたとて、それを聞かされた他人はへぇーっ凄いね〜という感情だけですぐ自分の日常に戻る。

他人にとっては結局どうでも良い話なのだ。

全ては自分の為だ。
それを活かして人のためにというのなら、素晴らしいことだとは思うが、そういう思考になるためにはまず人の痛みを知る必要もある。

〇〇が凄い、〇〇がこうらしいという情報など必要ない。
人生に必要なのは生きていくための人間力なのではないかと思う。

勝手に自慢話をし、こちらの粗探しをするのは勘弁して欲しい。
視野がせますぎる。
世の中は広い、私達だけではないのだ。

それでもこういう事象が起きるこの試練とも言うべき困難を覚悟を持って乗り越えられた場合、誰にも負けない成長した自分が見られ、未知の境地にたどり着けるかもしれない。

条件つきで望んでほしい。

全ては経験してきた私だから言えることだ。

以上、現場からの報告である。

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