明かされることのない人生
私は知的障害を合併する自閉症の息子を育てています。
息子は36週で生まれ、多呼吸、低血糖、心臓にも穴が空いており、生まれた時は声を上げてもくれ元気そうにみえました。
ただ、生まれたばかりの彼は力弱く天使のようでした。
娘の時とは違い、良い意味でも悪い意味でも本当にふわふわした柔らかい存在な彼の姿に、どこか一抹の不安を抱きました。
生まれてすぐにこども病院のお世話になりました。
眼科、循環器科、臍ヘルニアなど、いくつもの診療科を周り、正直生まれてからの1年は気の休まる時間などありませんでした。
ただ息子の病気が早く治ることだけを目標に、病院通いの日々でした。
シナジスという早産児で心臓に病気のある児に用いるRSウィルス予防の注射を毎週のようにうたなければならず、帝王切開2週間後からの傷を庇いながら産後休む間もなく通うことは、精神的にも肉体的にもにも物凄く辛かったです。
今思えばよくできました。
息子のことを思う一心からこそできたことでした。
途中倒れてしまうこともありました。
まだ幼い子供を育てていかなければならないのに、怖くて不安でだけど誰も頼ることができなくて…
でも今考えると頑張ってきたかいがありました。
そんな辛い過去があったから私は親の自覚を今まで以上にもてるようにもなっていたんです。
これらは、これから息子には障がいがあるという事実を受け入れる準備になりました。
どんなことがあっても息子を守り抜く。
障がいがあっても私の可愛い愛する我が子に変わりはありません。
むしろその愛情は日を追うごとに強くなりました。
しかし、息子を育てていくことは未知の世界。
真っ暗なトンネルの中を手探りで進んているようにも見え、孤独で不安で、外の世界が物凄く眩しくて…
いつのまにか私は孤独にさいなまれました。
それに並行して義理の親からも散々なイビリを受けるようにもなりました。
それは息子にも及びました。
私は今だに理解できません。
そしてそれは今も続いています。
私の子どもたちは義理の親から可愛いなんて思われたことなんてないのです。
信じたかった。そんなはずはないと。
でもしていることや、されていることが全部そう思わされもので
その事実にやっと気がついた時、私の気持ちが変わりました。
もう信じられない。
障がいをもつことよりも、周りの環境が私を苦しめました。
そのことで、いくら私が息子と変わってあげたいと願っても変わることができませんでした。その親の思いを身内にわかってもらえていないなんて、それよりも見限られるなんて
…
私はこれから子供達や自分のために、自分を守ることをしていこうと考えています。