もしかしたら…を追い求めて

人は分かりあえない相手に対していつか分かりあえるはずだと希望を持ちますね。

今日がだめでも明日は違うかもしれないと。

もしかしたら…って。

わかってもらえないと思いながらでも寄り添い、我慢し、気遣うこと。
それはとてもじゃないけど愛なしではできないことです。

そんな気持ちの通じ合えない相手が「親」の場合があります。

傷つけられても、無下にされたとしても、

子供はいつだって
「もしかしたら」
って、親の跡を追いかける。  

私は思う、親の虐待は子供が小さい時だけだとは限らないって。

大人になっても虐待は続く。
精神的、心理的な虐待だ。

何のために?
従わせるため、言うことを聞かせ、自己顕示欲を満たすためだと思われる。

主人の父は

世間でいう「自慢」できるものがあることが相手を認める絶対条件。

なんて悲しい人なんだろうと思います。

そして姑息で計算高く、わざと相手におこらせるような仕掛けをしてどう出てくるか楽しむような人間です。

大事なことは後でいうし、それで否定されたら自分のことは正当化して批判するかか被害者ぶる。

他人の私は関わりたくない人間ですが

気の毒なのは主人です。

親は自分では虐待なんてしている気持ちはないけれど、私から見充分虐待です。

義理の妹の方が旦那よりできているって思ってて、その娘である妹にも下心があり、妹によくしているようでも、あわよくば自分の老後の世話をと考えているのが見え見えで…。

主人は側にいるというのに見向きもされず、そんなことが私にまで伝わるからこちらまで苦しくなります。

所詮世間なんて人のことは人のこと。
自慢なんて誰も一緒になって喜んでくれる訳ないのに。

私は思います。

そんなあなたのもしかしたら…が報われますように。って。

あなたの優しさがあの人まで届きますように。と。

父に殴られて、冷たくされて、それを見ていても助けてくれなかった母。
あげく妹には、何もできない兄だと見くびられているあなた。

だけどあなたには両親、妹への無償の優しさがあるのというにね。

そのことに誰も気づきかないなんて。
それってとっても悲しいね。

でもね、だからといってこれ以上貴方の大切なものを犠牲にしないでください。

届かない相手の気持ちを求めることに必死になることで、あなたの家族、私や子供達を傷つけないでくださいと伝えました。

少しずつでもいいからその呪縛から逃れ、甘えのない世界に飛び込む覚悟をして欲しい。

そんな

パパへ…
という手紙を書きました。

一度きりしかない人生を無駄にすることのないように。

私のせいや誰かのせいにしたりしたりするような、甘えた精神は持たないでくださいと喝を入れました。

たぶん何事にも「平和主義」なあなたに届くかどうかはわからないけれど、不退転の覚悟を持ってこれからの人生を挑んで欲しい。

そして私は犠牲になる暇はないのだということを胸に、これからの人生何が大事なのかということを考えています。


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