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テクノロジーとヒューマニズム

どうもメシロです。大層なタイトルを付けましたが、中身は至極普通の話です。

ここからは3か月後に書いているテキストです。何を書く予定かほぼ忘れました。あっ思い出した

スマートウォッチってあるじゃないですか。Apple Watchとか。時々欲しいなって思うんですけど結局買わないんです。んでなんで買わないのかなって考えたときに思ったことを書きます。

少し前に友達(最近スマートウォッチに乗り換えた)と話していて、
友「Lineとかの通知すぐ見れるし、手離されへんときとかめっちゃ便利やわ~」
僕「そうなんや、ええやん」
友「俺はもうこれでええかなあ」
僕「でもなんかずっと通知とか来るの、なんか縛られてる感じせえへん?」
友「そやけど、仕事とか忙しいし、はよ返さなあかん時とか便利やし」
僕「なるほどね」

みたいな会話してましてね。上に書いてある通り、なんかこう、縛られてる気がするんですよね。さっきの例でいうとLineの通知が来ることによって双方向のコミュニケーションが求められるわけで。携帯だったら無視できるけど、身に着けてるとなると、話は変わるのかなって。もちろんスマートウォッチつけてても無視はできるけど、通知が来た時点で返さなきゃって思うのが既にストレスなんですよね。説明は難しいけど、何かこう、自分が見えない何かに管理されているというか、自分の自由が制限されている感覚に陥るんですよね。ここら辺の話ってミシェル・フーコーの権力論に近いものがあると思ってて、彼がもし現代に生きていたらどう思ってたのかなって思いますね。

だから結局こうした便利なものとかテクノロジーって結局トレードオフで、便利を得る代わりにプライベートを少しずつ持っていかれるのかなって思います。それがいいと思うか悪いと思うかはあなた次第ですねって思う。それで今書いた問題を考えるためのヒューマニズムがあって、それを面白いと思うか、役立たずでくだらんものと考えるかもあなた次第ですねって話。




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