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【ウェアラブルが進化して、インプラントがつくる未来】

ウェアラブルとは腕や服、首などに身に着けて、バイタルや行動のログをとったりメールや着信の通知スマホの機能の一部を肩代わりするもの。英語の「wearable」が「身につけられる」という意味となる。時計型やリストバンド型、メガネ型やクリップ型、ヘッドマウントディスプレイ型やストラップ型などさまざまな形態のものがある。

インプラントとは、歯の治療で、その失った部分を補うための治療法の一つ。そもそも「インプラント」とは、何かを「埋める」ことを意味する言葉で、医学の世界では整形外科の人工関節などを骨に埋め込む治療で多くの実績がある。歴史的に人間は、失った自分の体の一部を何かで補うことを考え続けてきた。古い時代から既に貝殻や、動物の歯や骨を「インプラント」して歯の代わりをつくっていた事実が報告されている。

「義足ランナーがウサイン・ボルトを超える日」 2020年、東京五輪・パラリンピックで”逆転現象”は起こるか?
https://logmi.jp/business/articles/15032
最新の研究では、失った部分を補う技術が、健常者を抜く日来ると期待されている。

私たちにとって健常とは何なのだろうか?
そもそもこだわる必要はあるのか?

1964年のオリンピックから高度経済成長を迎え、大きく発展し続けた日本。ところが、その好調に待ったをかけたのは、モラトリアムと言われる団塊世代。成人の負う社会的責任や義務を拒絶し、自由な遊びと実験の中にアイデンティティ(自己の存在証明,自己同一性)の形成におもむくモラトリアムを社会的に制度化しようとした。そして、そのモラトリアムを主として学校教育に編入し、アイデンティティの自由な振幅を禁圧して、勤勉、合理性、競争、独立性、能率などを偏重する技術主義的な自我を育成しようとしてきた。産業の発展に合わせて、自己や自我を追い求めた結果、世の中はわけがわならなくなってきた。苦しんできた。そして、自我を追い求めるには、現代社会は忙しすぎる。

これから、ウェアラブル端末が普通の時代がやってくる。子供たちは長い間、拘束されることに耐えられなくなってくる。アニメがクールJapanとして世界に認められてくる。30分、CMを15分おきに入れていくことで、15分しか集中力が続かない大人が増えてくる。小説は読みやすい大きな字になり、映画は90分以内になる。youtubeなどの短い動画が流行し、文化が大きく変わってくる。クリエイティブの価値が変わってくる。産業の発展に伴い、私たちが求めた自我とは、そんなもの。自由には責任が伴うとして、実社会での責任は書類上のものばかり。言えば簡単に済むことを、難しく難しくしている。自己と自我を求めて想像してきた実社会は、より複雑で、真っ暗なものになっている気がしてならない。子供たちに未来は明るいと伝えなければと思いつつも、君たちの未来は残酷なほど真っ黒だと、、。右肩上がりで進んできた日本は、これから右肩下がりになる。諸行無常と言われるように、常に右肩上がり、V字回復することはあり得ない。この右肩下がりの時代をどう生き抜くか、真剣に考えていなかければならない。認めなければならない。受け入れなければならない。この真っ黒な時代からこそ、本当の自我に辿り着けるのかもしれない。

ゆとり世代を経て、いまはさとり世代というそうだ。コンピュータのように現状を受け入れ、あきらめてしまう。人間なんて何を考えてるかわからないもんなのだから、言葉にならない感情にありのままになるべきじゃないか。人工知能が進化し、ビックデータを取り込んで、ロボットが出来たとしたら。。。人間の自我を超えられるだろうか。予測不能な行動を解明できるだろうか。特に、自殺という行動を。たくさんのデータから最適な解を出すコンピュータ。なのに人間は、突然、自分らしさからかけ離れたことをしたりする。これは、計算出来るのかなぁ。

過去、現在、未来を考えて、悟りを開く。支離滅裂だけど、現状を受け入れるな。いまココを真剣に見よう、ここでこそ、自我を求めろ。こんな時代でも、生きる価値は十分にあるのだと、自分自身に言う。いまを生きねば。


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