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【むかわ温泉 四季の館】

ノーベル化学賞を受賞した鈴木章氏の記念館が中にある。以前の講演で鈴木氏曰く。

「科学を学ぶことの重要性」
「資源のない日本のような国は、他の国にはまねできない付加価値の高い技術が必要だ」

私の中で、アクティブ・ラーニングというのは、、
『科学』を『理科』って呼ぶか?『サイエンス』って呼ぶか?みたいな印象。

ICT活用がアクティブ・ラーニングみたいなのは、ありえない。いま確信犯的にせよ、流行だからにせよ、アクティブ・ラーニングは、これだ!!みたいなこと言っている人は、来年度、とんでもないことになるんじゃないかって思う。ICT活用も同じ。発達障碍のある子に対しては、一定の成果があることが証明されているが、それが普通学級になったとき、当たり前になったとき、、、よりよい未来じゃなくて、とんでもない未来になってると思う。

ハード面を整備しても、実践例として説得力のある確証がないし、資金としてのリスクが高すぎる。仮に資金面をクリアできたとして、各教室にタブレット端末を導入できたとしたら、、小学校の教諭という仕事は、かなりの専門性を発揮する仕事となり、それを育成する枠組みが必要になる。現状の多くの教諭は、辞職を求められることになる。それでも、教諭という仕事がなくならないのは、対人支援職としてのニーズがあるから。人を育てる仕事として小学校教諭は必要であるのは言うまでもない。ただ、数十年後、イメージされる教師像というのは、随分変わってしまうように感じている。うまく言えないのだが、学習指導要領もかなり書き換えられ、多くの仕事が地域や家庭に委ねられ、小学生による企業も含めて、教育に求められる倫理観が大きく問われる。

これらは喜ぶべきことなのかもしれないが、、、何か疑問を感じる。2000年からはじまったこの急激な変化に対応するために、今一度、立ち止まって、社会も家庭も学校も考える時なんじゃないのかな。対話する時なんじゃないのかなって、強く思うんだ。

社会にはサイエンスを!!学校には理科を!!

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