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【今を生きぬくために】

人は生まれてから死に至るまで、絶えず成長していくという。成長の段階において、反抗期や思春期、アイデンティティの確立、経済的・社会的な自立、結婚、家庭、職場、そして老後、死と、向き合わなければならない課題が変化していく。いいこともあれば、よくないこともある。生きぬくためには、その状態の変化に向き合い、受け入れていかなければならない。一見、ばらばらに見えるその道筋も、実は一筋の川の流れのようになっていることが多い。

川を連想するとき、多くの人は、上流から中流、下流へと流れ、大きな海へ流れ着く自分を想像するだろう。人生における川とは、逆である。逆流である。大きな海に抱かれて生まれ、上流へ、上流へと川を上っていく。私たちの成長とは、逆流に向かっていくものだ。自らの源泉へ近づくために。

そんな逆流へ向かっていくのに、私たちは周囲のもの・人と対立し、競争を繰り返す。これは自然の流れだろうか。逆流へ向かうなら、誰かを踏み台にし、蹴落とし、上へ、上と目指すのがいいのだろうか。20代の私なら、そのように答えたと思う。しかし、その道筋は、憎しみを生み、怨みが残る。とても悲しく、空しい日々。一歩踏み出し、挑戦する。その大切さに気付く。本当に望むものは、みんなが幸せに上流を目指すことだろう。道筋で出会う多くの人と助け合い、協力し、上へ上へと送り出してもらう進み方。それが出来たとき、達成したとき、私は死すら受け入れられるのだと思う。

2017年7月に亡くなった日野原重明さんは、晩年、「死をどう生きるか」という問いを発し続けた。「死に向かう人生を、最期のときにどう結実させるか」という意味だと語っていたという。日野原さん自身が真摯な気持ちで、死に向かって、心を開こうとしていた。生涯現役の医師として、より高いエネルギーで、多くの人の心に火を灯し、高齢化社会を豊かに生きる象徴でもあった。死の直前まで、頂上を目指す旅。坂を上っていった。

『平穏死』のすすめ」の解説で

「人は死をどう生きるべきか。そして、生を完成させるこの終末に立ち会う医療は、そこで何をなすべきか。」

日野原さんは、問いかけている。信頼と不信、自立心と恥、自主性と罪悪感、勤勉性と劣等感、同一性と同一性の混乱、親密性と孤独、生成継承性と停滞性、統合と絶望、生と死。生まれた家庭、家族構成、友人関係、学校関係、文化的・社会的、育児方法、育児態度の中で、人は人格を形作っていく。生と死の営み。受容と拒否、統制と自律のバランスの取れた出来事・環境・生育歴などが深く関わって、人を形作っていく。

生きぬく中で、必ず「こうしたい。こうありたい。」という理想や欲求が沸き上がってくる。人生を振り返り、今を見つめ直す。そうすると、他の誰でもない。自分が沸き上がってくる。上昇と下降を繰り返しながら、人は生きぬいていく。ただ、全力で今を生きていく。力でねじ伏せるのではなく、川の流れに合わせて、どう進んでいくのか、みなに支えられながら、送り出してもらう。「生きる」ように見えて、「生かされている」

死という頂上を目指すのだが、どこまで行ってもたどり着けないし、たどり着いたときには、もう分からない。命を扱うのだから、難しい。だからといって、『自殺』という「死」は流される営み。「死」を受け入れたことでもなければ、頂上を目指したことにもならない。

「今を生きぬくために」

この無限ともいえる、決してたどり着けない頂上に、どう挑むのか?問い続けながら、挑み続ける。

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