
238【経済政治は忘れたころに決まってる】
【経済政治は忘れたころに決まってる】
今日から5月。GW後の学校の動きが少し見えて来る頃でしょう。何度も何度も変更になる状況で、年間行事予定や時数の調整も、いい加減疲れてきます。小1・小6、中3の登校、9月入学制度の件、分散登校もですが、社会の中で、特に経済政治にとって、教育現場が随分と軽く見られているように思います。好き勝手、言い過ぎだし、やり過ぎじゃないかな。
はじめに行った学校の休業のとき、こどもたちの感染は見られなかったのに、どうして教育現場の「命」を守るためと学校だけに要請したの?新型インフルエンザのときとは、状況が違っていたのに。経済への補償を躊躇って、自粛という中途半端なことに教育を利用したから、いまになって、余計おかしなことになっている。死者も出ている中で、インバウンドを期待して、反対する声もあったのに、経済に気を使って押し切られた雪まつり。クルーズ船についても、旅行者が帰国してから、パンデミックへ。あのときは、はじめてのことで、そんなこと言っても仕方ないよって言われるかもしれないけれど、「なんで学校だけ?」というときに、いまのような対応をしていたら、終わってたんじゃないかなと思う。
それでも政治への責任は、忘れてしまったように、マスクを自分たちで作ったり、「のりこえよう」と声を掛け合ったり、「ピンチはチャンス」と新しい動きを考えたり。優しさと思いやり、日本人の美徳をいっぱい発揮しています。こころあたたまる話をたくさん目にするのですが、こうやって、忘れていくことに別の危機を感じます。
オンラインの授業計画を考えていますが、動画を作ったり、環境を整備しようとしたりするのって、教員の仕事なのか?9月入学は、いろいろな利点が考えられて、おもしろいけれど、そうやって、責任や情報をうやむやにされてしまっているように思います。国からのマスクのお金があれば、もっと別なことに使えていたと思うと、私は憤りを感じるけどなあ。ほんとに、日本人の善意にあぐらをかきすぎ。この陰で、笑ってる人がいるのかなと思し、そういう人たちが「命を守るため」という言葉だけを使って、リーダーシップを発揮していくのが、カッコよさとか勝ち組なら、もう負けでいいよ。そういう人には、なりたくない。
教員は、ハイリスクな仕事の一つ。休校中に、家庭訪問して、マスクをし消毒など対策をしていたとしても、何かあった場合、責任が重くのしかかります。分散登校にしても「だいじょうぶなのですか?」と言われたら、何も言えない。9月入学になったとして、9月に終息してるのかな。教育が経済政治に軽く扱われてるなあとなんとなく思う。そして、教育を盾に大切なことが忘れ去られようとしている、ように思う。やっぱり杞憂なのかな。もう寝よう。遅いし。3.11のときもだったけど、こうやって『茶色の朝』へと、思考停止になってしまうのかな。