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333【授業で絵本を使うんだ】

一年生国語『うみへのながいたび』のつづき…

母ぐまと子ぐまの前に、おすぐまが現れる場面。吹き出しを提示し、
「どんな言葉が入るか、考えよう」
よくある発問である。その後、交流。しかし、焦点が定まっていない交流では、何も出てこない。

母ぐまと子ぐまの吹き出し例
「めちゃこわい」
「手を出さないで」
「だいじょうぶかい」
「おかあさんこわい」
「おとうさんは、どこにいったの?」
「あの人、わるもの?」
「がんばれー、まけるなー。」
「おとうさんにして」
「おとうさんがいいよ」
「けがしないで」
「おこらないで」
「なにかようかい?」
「こわくないの?」


教師が必死でどんなに待てども、せいぜいこんなもん。ならば、発問が悪いから、もっと練り合える発問にすれば………というのが従来の教師の関わり方。授業参観していて、ある子が私にこうつぶやいた。

「先生、一年生なら、なんて考えればいいの?」

……………………。

これが従来の授業で、子どもたちを育ててきた成果だと思う。先生が好む正解を探す。それが社会に受け入れられるかどうかなんて、わからないのに。私は、こういう交流は罪だと思う。そこで、こう聞いてみた。

T「質問したいことはある?」
C「え?」
T「……(じっと待つ。1分)」
C「ないよ。」
T「考えて(笑顔)不思議に思うことでもいいよ。」
C「……うーんなら、どうして、ここに来たの?」
T「他には?」
C「……。うーん、ない!!(笑顔)」
T「オッケー、ならさ、どうしてここに来たと思う?勉強したよ」
C「魚を捕りたい。」
T「そうだね。なんて魚だっけ?」
C「あざらし」
T「どうして?」
C「おなかがすいてるから」
T「どうして?」
C「百日も水しかのんでないから。」
T「だよね。そんなときにおすぐまにあったんだよ。おそわれるかもしれない。母ぐまと子ぐまだったら、どう思うかな?」
C「あっ、わかった」

と目をきらきらさせて書いた吹き出し。
「どけて。海にいって、あざらしを食べにいくんだから。」

この吹き出しがブレークスルーとなり、それまでの発言と合わせて、納得。どの吹き出しがいいと思う?の教師の発言には、ほぼ全員がこの吹き出しを選んだ。ある程度の教材の読み込みはしていたものの、飛び込みでも、こういった考えは子どもから引き出せる。発問も答えも子どもの中にあるのだ。

主体的、能動的な学びとは、こういうものだと思う。

「多くを問う者は、多くを学び、多くを保持する」

教師に指示されているかぎり、子どもたちは何も学んでいない。でも、子どもたちに質問をつくらせたら、ぐちゃぐちゃになってしまう。だから、私の学級では無理です。そう言われることが多い。それは、出てきた質問をどうやってまとめ、扱えばよいか、知らないだけ。子どもたちの状態に寄らず、これは可能だと思う。かなりの確率で。そして、学びの成果も大きい。むしろ、教師が指示しているかぎり、子どもたちは一向に育たず、あくびをし、徐々に崩れ出す。

たった一つを変えるだけ。実際には、この前に、いろいろあるんだけれど、ちょっと意識してやってみませんか?大人も子どもも。脳の使う筋肉が違うので、最初はちょっと違和感があり、疲れてしまいますが、次第にものごとの見方、捉え方が変わってきます。批判的思考とは、ちょと違う。質問づくりを体感したい人は、ぜひ☆

たった一つを変えるだけ: クラスも教師も自立する「質問づくり」/新評論


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