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【閾値(いきち)】

閾値とは、特定の作用因子が生物体に対しある反応を引き起こすのに必要な最小あるいは最大の値のことである。たとえば、明日までに提出しなければならない宿題があったとする。帰ってからすぐに取り組み終わらせる子は、宿題に取りかかる閾値が低い。一方、次の日の朝、あるいは教室に入ってから、それこそぎりぎりになってから取りかかる子は、宿題に取りかかる閾値が高い。この場合、閾値が低い子は真面目で、高い子は怠惰であるとなされる。

閾値は、限界値と言われることもある。集団において、ある反応を引き起こすのに、閾値を見出しておくことは、重要な要素となる。集団では、一つの指示ですぐに動き出す者もいれば、ぎりぎりまで一向に動き出そうとしない、あるいは動かない者が存在する。認知行動療法は、認知の歪みを取り除くことで、思い込みによる閾値を下げ、スムーズに動き出せるようにするのだが、集団に属すると、自然と閾値が高くなり基に戻ってしまう。2:6:2の法則に言われるように、2割の子はよく反応する閾値が低い集団である一方、全く反応しない閾値が高い集団が2割存在してしまう。どの子もある一定の成績を修められるようにするということは、この法則に逆らうことになる。

しかし、集団の活動が停滞したり、不慮の病気、災害によって閾値の低い2割が動けなくなったとき、閾値の高い2割は、危機を感じ取り、反応を引き起こす。集団の生き残りという視点で捉えるならば必要な2割でもある。ただ、これはあくまで生物界での話。人間社会においては、下位の2割が役に立つ場面は極端に少ない。閾値の高い2割の集団が、すばやく反応を起こせるようにできれば、、、、。集団は一気に変わる。

集団になれば、どんなに規律を保っても2:6:2の法則に従ってしまう。下位の2を変えるには、規律ではない。閾値が高いのだから、ある反応を引き起こす限界値を下げるか、すばやく限界値に達するようにさせればよい。規律を高める取組は、下位の2割の子が、従わなければ生き残りに関わるという危機を抱き、閾値が高まるため、反応しているに過ぎない。期限を設けたり、上位2割をさらに高めることで、置いて行かれるという閾値を高めている。いずれにせよ、下位2割の個々の閾値にすばやくアクセスし、個々の五感を通じて、閾値を超えさせればいい。その方法が、認知行動療法や協同学習、ほめ言葉のシャワー、学習規律、ジグゾー学習、交流、ノート指導ということになる。こうした方法も、閾値を超えさせるという目標を意識していなければ、徒労に終わる。叱るという行為ですら、閾値を超えさせる手段に過ぎない。一方、授業を楽しく、分かるものにするというのは、閾値そのものを逆転させる手段だ。それまで感じていた五感にアクセスし、思い込みを変える。

2割の閾値を変えられるか否か、そして閾値を変えるには、個々の五感に共感する以外に方法はない。言葉で、体験で、視覚で。閾値を捉えることは、人を育てる第一歩だ。

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