「書く」ことの意味 ー 時間を外した日に起こったこと ー
7月25日。
この日はマヤ暦では「時間を外した日」と呼ぶらしい。
マヤ暦のことも、「時間を外した日」とはどういうものなのかも、私は詳しくは知らない。
ただ、その日がそう呼ばれている、ということだけは知っていた。
それを思い出したとき、私の中にあることが起きた。
それを書いてみます。
noteという場に集まる人は、きっと「書く」ということに、何かの意味やこだわりを持っている人が多いんじゃないかと思う。
なぜ書くのか。
「私はその意味を、実はこんなふうにとらえてもいます」
という、プチカミングアウトでもあります。
7月25日。
私は、ある人の死を知りました。
とある流れから、10年ほど前にファンだったブログを、「今この人はどうしているのかなぁ」と思って訪問してみた。
するとトップにあったのは、「空に旅立ち、虹の橋を渡った」というお知らせだった。
彼女のことは、彼女の書く文章でしか知らない。
10年前、熱心に毎日読んでいたブログも、自分自身の環境の変化とともに、いつの間にか読まなくなっていた。
だけど彼女の綴る文章を読めば、彼女の放つエネルギーはあのころのまま、変わらずによみがえった。
私は、生きるということにあまり執着が無い。
たとえ今死んだとしても、あまり後悔することもないよなと、ぼんやりとではあるが、常々思っていた。
だけど、彼女がつづった最後のエントリーを読んだとき、
『私のそれはただ頭の中の想像でしかない。
実際にその現実に直面したとき、私は何を思うのだろう?』
そう思った。
「こっちの世界は本当に素敵なんだよね」と彼女は言う。
私が見たいのは、美しい世界です。
起業して初めてブログを書き始めたころ、繰り返し繰り返し、私はこう書いていた。
書き続けるうちに、それは「願い」からよりリアルな「私が見ているのは美しい世界だけ」という実感となっていった。
そしてやがて、誰もがそうであって欲しいという「祈り」となっていた。
と共に、私のビジネスは軌道に乗っていった。
このnoteを始めるずっと以前、私はアメブロでセラピストとしてのブログと起業コンサルとしてのブログ、2つ合わせて3000近くの記事を書いていた。
でも、いろいろと戦略的に考えた結果(笑)、独自ドメインのHPを作り、2つのアメブロの更新はやめた。
毎日発信しなくても、仕事は安定して回っていくようになったからだ。
だけどどこかで思っていた。
昔のように、自由に書きたいなぁ。
もちろん、ブログを書くのは仕事のため、集客のため。
だけどまだ、ビジネスの戦略も戦術も知らなかったころの私は、ただひたすら情熱のままに書いていた。
それしか知らなかったから。それ以外、出来ることが無かったから。
ただただ伝えたい想いを文字に託して、「誰かに届け!」と。
毎日毎日、長文ブログを書いていた。
それは孤独な作業のようでいて、自分自身とつながる時間。
そして、世界とつながる手段だった。
書くことを通して、私は世界とつながっていた。
見えないけれどこの画面のむこうにいる誰かと、まだ見ぬお客さまと、エネルギーで対話していたのだ。
私が見ている美しい世界を、伝えたくて伝えたくて、一生懸命だった。
彼女のエネルギーに触れて、あのころの自分を思い出した。
「私を忘れないで…」
それが彼女の遺した最後のメッセージだったそうです。
実はわたし、ずっと悩んでいました。
『私が死んだあと、私が書いた文章はどうなるんだろう?
私がこの世界にいたあかし、この世界に遺したメッセージは、どうなってしまうんだろう…』
独自ドメインのHPに書いたものは、私が死んだら消えてしまう。
だからHPでのブログの更新に、エネルギーを注ぐことが出来なかった。
バカみたいな悩みだと笑われるかもしれないけれど、私はそんなことで悩んでいました。そんなことを気にしていました(汗汗汗)
人には2つの死があるという。
1つは肉体の死。
そしてもう1つは、忘れ去られることの死。
ずっとずっと昔、たぶんまだ子供のころ。
どこかで読んだこの言葉が、自分の中に深く深く刻み込まれて、
肉体の死よりも忘れ去られることの死の方が、私にとっては怖れになっていたらしい。
何がどうとは説明できない。
だけど...
「ああ、それももうどうでもいいな」
マヤ暦の新年を迎え、吹っ切れました。
「私を忘れないで...」
その彼女の願いは、こうやって私が受け取った。
私の魂に刻み込まれた。
ならばきっと。
私が書いたもの、私が発したメッセージは、
誰かの心に、魂に、
刻まれていくだろう。
彼女の想いと共に。
文章、ブログ、私の仕事、私という存在。
形あるものはすべて、いつか必ず消え去っていく。
そしてそれを記憶するすべての人が、この世から消え去ったとしても。
想いは残る。
Life is Beautiful.
私が見ているのは、
私が生きるのは、
そんな美しい世界です。
最後に。
「時間を外した日」の翌日、マヤ暦の元旦に、
私にこのストーリーを話させてくれた、末吉 宏臣さんに感謝します。
末吉さんとの対話を通して、ここまでの理解とさまざまな手放しにたどり着けました。
この本のタイトル通り、「それまでの人生には戻れなくなる、なんてことも起きるかもしれませんよ?」と言われれば、即!
「望むところだ!そうしてくれよ!!」と叫ぶ私のエネルギーを受け止めてくれて、ありがとうございます(笑)