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カメラと素顔同盟

みなさん、こんにちは。
ライブペイントカメラマン福田です。
今回のnoteは、そこそこ真面目に描くよ。

私は、もともとカメラが苦手だった。
自殺願望が強かった小学校時代とか、家族旅行に行っても笑えなかったので、私が笑っている写真は少ない。

この場に及んで、ハイチーズなんてハッピーな家族を演じるなんてナンセンスすぎる。カメラを考えたやつを憎んでいた。

あるとき、観光地で親からカメラを借りたことがあったが、当時の私にとっての興味ごとは、観光地の建築ではなく、アスファルトの上の花だった。私にとっては、建築なんかよりも、そっちの方が圧倒的に美しかった。

そこで、素直にアスファルトの上の花を撮ったのだが、案の上親に怒られた。せっかく観光地に来たのだから、その場所ならではのものを撮らないといけないということだった。私にとっては、アスファルトの上の花が観光地どころか、全宇宙である。観光というものを考えたやつも憎んでいた。

そんな、私が現在、観光地である川越に住んでいるのも、建築やってるのも、なかなかのアイロニーではないか。


という訳で、胡散臭い大人の笑顔よりも、自分の感性を信じることが生きる道だった私にとって、自己表現できる手段は、カメラではなく、絵と音楽だと思っていた。

これはまさしく、小学校6年生の道徳の授業で習った、すやまたけしの「素顔同盟」である。



そんな、私の人生を変えたカメラが3年前に出会ったSIGMAである。正直カメラなんて、iphoneで十分だと思っていたし、当時一眼レフが流行っていたとき、わざわざそんな大きなカメラを持っている人たちが理解不能だった。

しかし、SIGMAのカメラだけは、何かが違う。これは、色彩とかが綺麗ないわゆる写真を撮るためのカメラではなく、テクスチャとか現場を撮るためのカメラである。設定をしっかりしないと撮ることができないので、電子機器というよりは、機械を操っているような、不便なカメラである。

これが、私のアーティスティックマインドを刺激する。

綺麗な記録写真を撮るというよりは、自己表現のための作品を撮る感覚である。そういう意味で、私はカメラマンというよりは、フォトグラファーに近い

山木社長、有難うございます。

▽ちなみに、イラストレーターの安倍吉俊先生もSIGMA信者。構図の勉強になるみたいなので、絵を描いている人にもオススメである。


そして、私はSIGMAの世界観に夢中だったが、まだ絵の世界とカメラはリンクしていなかった。


ある日、なんとなく東佑樹先生のシェアアトリエ「みらい畑」(今はなくて、リサイクルショップになっている。)にSIGMAのカメラを持って遊びに行ったとき、アトリエメンバーの片野くんの姿をなんとなく撮っていた。

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片野くんとは、それまで片野くん主催のライブペイントイベントに遊びに行っていたので、知り合いだった。ライブペイントイベントでの私は、絵をジロジロ観るだけの、絵が好きなただの怪しいお兄さんだった。

そしたら、今度新宿のライブハウスで片野くんがライブペイントをやる音楽イベントがあるので、カメラマンとして撮りに来ないかというお誘いを受けた。私は、記録写真を撮るつもりはなかったが、なんとなく、記録と作品の狭間で挑戦してみようと思って、現場にDIVEした。

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ジェッソ(下地)を塗っているときから、私の現場は始まっている。作家というよりは、現場を撮っている。今日のサムネ画像もその日に撮った作品(VOLOMUSIKSっていうハイセンスなジャズっぽいバンドなので要チェック。)だが、アーティストというよりは、アーティストが創る現場を撮っている。

ちなみに、色々なカメラマンがいるが、私は家でRAW現像とか画像処理はしていない。全て、現場でjpeg撮って出し、その場の設定がモノを言う緊張感で撮っている。youtube全盛期の時代に、無編集の緊張感が私の実存に迫る

こうして、私は怪しいお兄さんからライブペイントカメラマン(アーティストサポーター)という美味しすぎるポジションをゲットしたのだった。SIGMAのカメラを持って、絵のマチエールとかテクスチャを追えるので、私みたいな絵が大好きな変態にはたまらないポジションである。作家を撮るのが好きでカメラマンをやっている人もいるかもしれないが、私は作家よりも絵が好きなのである。ポートレート写真より、あくまでも絵の素材感を撮りたい。作家の言葉は嘘を付くかもしれないが、絵は嘘を付かない。絵が全てを物語る。


しかし、そんな私にも、ライブペイントイベントが中止の連続という、今までにないピンチ。病んでいく周りのアーティスト達。絶望的な状況。今までの闘い方が全く通用しない。

この、緊急事態では、私はアーティストサポーターではなく、アーティストにランクアップせざるを得ない。苦手意識を持っていた言葉というものと向き合うために、noteを始めたり、周りのアーティストではなく、アーティストである自分自身と向き合う。これは、想像を絶する過酷な作業だが、地元川越霞ヶ関のレジェンドアーティスト達の支えがあり、なんとか新しい戦法で闘っている。

そして、この絶望的な状況下では、天岩戸神話の如く、笑って踊るしかない。明けない夜はない。私は、笑顔の奥にあるリアルをなんとなく感じてしまう癖があるので、安心して私に笑顔を見せてくれ。


笑顔の奥にある、アーティストのリアルな素顔が垣間見える絵を描き、素顔同盟を結成しようではないか。

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