肩書きなんていらない。好きなことを淡々とやるだけ。
みなさん、こんにちは。
福田です。
散々「○○の」福田ですと言っていたこの私だが、これは肩書きの無意味を伝えるための誇張表現である。
何度も言っているが、肩書きなんていらない。
なんなら、自分のことをアーティストというのもやはり違和感がある。
下手すると福田という名前すらいらない。
この社会で自分が何者かを説明するため&絵を説明するために、たまたま自分のことをアーティスト福田と言っているだけであり、自分の絵をデジタル抽象画と言っているだけである。
本当の理想は、私の絵を観て取り敢えず感じてくれ、である。
私が何者なのかとか、絵のジャンルなんていらないではないか。
そして、そんな私みたいなひねくれものも受け入れてくれ、渋谷顔負けの様々なカルチャーが交差する街、その名も、川越霞ヶ関。この街に行けば、私も裸一貫である。
さぁ、みんな。8/2日曜日。今回も楽しい楽しい現場だったぜー。刮目せよ。
まずは、ヤマダリツコ先生の「3色ぬりえの会」。
赤・黄・青の3原色だけ使って、ヤマダ先生の原画にぬりぬりだよー。
3原色は可能性無限大。
話はそれるが、私が尊敬するアーティスト、腹黒ピカソ先生を思い出してしまった。
ちなみに、私は仕事が上手くいかなかったり、落ち込んだりしていたときは、腹黒ピカソ先生の絵と笑顔に何度も救われた。相当な信者である。
こっそり、腹黒ピカソ先生の絵に出会えた喜びを絵にしたこもある。これは、誰にも観せたことはないけれど、今回は特別に公開。
極論言うと、絵は誰にも観せなくてもオッケーだと思っている。宮沢賢治みたいに、自分が死んだ後に誰かが間違って自分の作品を発掘して、有名になるのも有りである。私は、たまに所謂上手い絵が描ける訳ではないのに、絵を描き続けるモチベーションはなんなのか聞かれることがあるが、スタートは、この宮沢賢治のモチベーションである。
しかし、絵を敢えて人に観せているのは、絵を生んだ親としての責任があり、人に観せなければ私の子供である絵が救われない。私が救われなくても、せめて絵だけは救われる方がましである。私のためではなく、絵のために人に観せている。
そして、午後はポストカードを売る。
結構売れました。みなさん、ありがとうございます。
そして、何より嬉しかったのは、ポストカードを観せた人がたまたま私のSNSのフォロワーさんで、「ああ、この絵の人ね。」って言われたことである。私の名前ではなく、肩書きでもなく、絵を覚えていてくれたのである。アーティスト福田ではなくても、デジタル抽象画ではなくても、「この絵の人」で十分である。自分の絵に個性がないことに実はコンプレックスを持っていたので、誰かの脳内に私の絵がこびりついちゃっているのは、嬉しい。
そして、唐突に始まる高木先生のライブペイント。帆立の貝殻に絵を描く。
せっかくなので、私も描いた。
マチエールがアナログの魅力。
末広がりです。
そして、私が処分に困っていた妹の進研ゼミのマンガ家セット。
これは、無事にヤマダ先生のお友達が引き取ってくれました。
その人は、もともと絵が嫌いで、絵に対して苦手意識を持っていた人である。
しかし、ヤマダ先生の有難い導きにより、半年前に絵を描くことを始めたのだという。そして、ついにカフェ38℃でパッケージのデザインを描いたり、作家デビューしたのだ。非常に勉強熱心で、色々な表現を模索しているのだという。そんな人が引き取ってくれて嬉しい。
そして、何よりも、絵を描くのを辞める人が多い中で、新たに描き始める(しかも絵が嫌いだった人)が出てくるのは超良いニュースである。我々の世界は絵が好きな人がいないと成り立たない世界なので、そういう人はどんどん増えて欲しい。
作品を描き続けるのは難しいと思う。実は、淡々と好きなことを続けられる人は偉大である。この変化の激しい時代に、続けられるという凄さである。
美大卒なのか、美術部出身なのかは関係なく、やはり好きかどうかである。
さぁみんな、絵を好きになろうぜ。
絵が好きな人の人口を増やすのだ。
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