雨の日はJAZZが聴きたくなってくる
今日のサムネは、私が大学のときに失恋した後、Miles Davisのbye bye blackbirdを聴きながら描いたF20号のアクリル画だ。
それはさておき、私のJAZZとの出会いは、小学生のときである。
父が持っていた「THE BLACK BOX of JAZZ」っていう4枚組のベスト盤を、夜寝る前に、枕元のMDラジカセで流して聴いていた。
当時使っていたMDラジカセがこちら。
辛い日も、ウッドベースのソロに癒されていた。
高校生になると、お小遣いで自分の好きなJAZZ盤を買うようになった。
ジャケ買いである。
JAZZの名盤は1,000円とかで売っていたし、高校生のお財布に優しかった。何より、JAZZというジャンルはジャケ買いしてもはずれがなかった。
そして、ベスト盤よりもアルバムの方が全体にストーリーがあって好きだった。
このジャケ買い感覚で、私の絵を買ってもらうために、私は最近CDぐらいのサイズの絵を1,000円単位で売るということを心掛けている。そして、高校生達が僕の絵をクラスのみんなに自慢する日を夢見ている。学生のときに絵を買う感覚が当たり前になれば、大人になっても絵を買う可能性が高くなるからだ。
大学に入ると、川越にかつてあったジャズバー「SWEET CADILLAC」に入り浸って、村上春樹みたいな世界観で生きていた。SWEET CADILLACは道路拡幅工事により想い出とともに、月の夜空に消えてしまった。居場所を無くすのは結構辛い。
そして、音楽が好きだし、とにかくフリースタイルなアーティストになりたかった僕は、大学で建築音響を専攻した。そこで、感度高めな研究室の仲間達の影響で、現代アート、メディアアート、アンビエント、DJといったジャンルを知る。
横ノリだけでなく、縦ノリとか4つ打ちの世界も奥が深いのである。
そういうことで、働き始めてからは、ライブハウスとかクラブに行くようになった。ライブハウスとかクラブとか聴くと、もしかしたらチャラいイメージを持っている人もいるかもしれないが、真逆であり、メチャメチャ硬派な現場である。
確かに大きめの箱は、ナンパ目的、インスタ映え目的のよくわからない人たちがいるかもしれないが、小さめの、とあるジャンルに特化した箱は、妥協なきサウンドの追求がそこにはある。嘘が全くなく、自分の実存に迫る体験を味わうことができる。
とにかくスーツのままでも、仕事帰りでも、何かを求めて現場に行き、グッズを買うのだ。
昨今の状況により、これが最近なくなり、私に死ねと言っているのかって思うぐらい辛い状況である。というか、最もこわいのはこの状況に便乗してアンダーグラウンドがなくなってしまうことである。公共空間だけでは居心地が悪いと思っている。優等生しかいない社会なんて望んでいない。
これからは心の時代なので、必ず心の避難所とか逃げ場は必要になってくるという確信を持っている。ここに行けば、仲間達と好きなことを共有できるという場が。
これが私の思うカルチャーである。
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