
英国紳士が笑顔でいる理由
みなさん、こんにちは。
福田です。
先日、川越霞ヶ関の「38℃」営業最終日に、とあるイギリス人の男性に出会った。実は私は、小学校一年生から五年生のときまで、イギリスに住んでいた。この出会いによって、私のイギリスと日本に対するコンプレックスが全て解消した。
彼と、英語と日本語のハイブリッド語でしゃべりながら、私の抽象画ポストカードを見せて、アーティストですと自己紹介。
彼は、真剣に私のポストカードを観てくれた。そして、ジャズだねって言ってくれた。感想がアーティスティック。私の抽象画のスタイルから、ジャズのインプロヴィゼーションを思い浮かんだのだという。そして、より抽象的な表現のポストカードを好んでくれた。彼は形よりも色が好きなのだ。
英語が通じたことよりも、この絵の世界観が通じたことが100倍嬉しい。
彼は、イングランドのLavenham(私はSwindon)で育ったのだという。
みなさんは、もしかしたらイギリスの方が自由で生きやすいと思っているかもしれないが、イギリスもかなり生きづらい。彼とイギリスの生きづらさを共有した。
まずは、一年中曇りか雨という気候。
ベースが暗い、灰色の日常。
そして、英国紳士というジェンダー規範。
暗さを補うかのごとく、上品かつソフトな笑顔。
ハイトーンなイギリス英語。
一方で、野蛮な部分もある。
毎週金曜日は、パブで飲み、クラブで飲み、フライドチキンを食べ、喧嘩をする。イギリスでは喧嘩を止めるという文化はなく、むしろ応援する。
この二面性に苦しむ英国紳士たち。
ハイトーンな英語、笑顔、ドラムベースのようなBPM高めのサウンドでも、拭い切れないイギリスの暗さ。
イエス・キリストの心の中の光が、唯一の救いだというのだろうか。
これがUKサウンドの真実。
私は、ColdplayよりもKeaneの方がイギリスの世界観に近いと思っている。
そして、彼はイギリスでの生きづらさを脱し、新しい世界を観るべく、10年前に日本に英語講師としてやってきたのである。
明るい太陽、美しい夕焼け。
これが、日本。
イギリスと言えば、灰色だが、日本と言えば夕焼けの赤である。
イギリスでは観ることが出来なかった、鮮やかな色彩。
hue-man、色の人。
human、人間。
ようこそ彩の国さいたまへ。ここで、人間になることが出来る。
しかし、その感動とは裏腹に感じる日本人との壁。
イギリスでは、笑顔がスタンダードだったが、日本人、とくに日本男児は無表情がスタンダード。
私も、よく日本に来てから、なぜ笑顔でいるのか訊かれたが、ベースが暗いので、笑顔がスタンダードである。これは、日本男児恐怖症。この、何考えているのかわからない無表情の怖さ。
そして、私は絵を描くことで、この恐怖を克服した。
言葉よりも、形よりも、色を出すことで自分を発散である。
これは、私が絵を描いている理由に通じる。
みなさんは、英語がしゃべれること(とくにアメリカ英語の発音)と絵が上手いこと(形態美)にこだわりを持っているかもしれないが、我々英国紳士にとっては、色が全てである。
彼も、英語講師の傍ら、写真を撮っているのだという。
しかも、フィルムカメラの渋めの色遣い。
リコーGRⅡが愛用のカメラだという。
ちなみに、私はSIGMA dp2 Quattro。
日本にいても、あの灰色で暗めの世界観が恋しいのである。
逆に日本人は、明るめの世界観が懐かしいのではないだろうか。
今日のサムネ画像は、日本人にとっての懐かしいを表現したつもりである。
そう、私も日本に住んでいる日本人である以上、英国紳士とか言っていられないので、日本人について、相当勉強した。儒教、古事記、仏教。アルカイックスマイル。
日本人の心理は複雑なので、かなりの年数の修行を要する。
そして、15年間に及ぶ修行の末に辿り着いた新境地。
絵の世界とか色にこだわっていたが、実は本当に大切なものは目に見えない。ひたすら、自分の内面と向き合い、目に見える文化の違いや矛盾を超えて辿り着いた真実。
それは、楽しいが全て。
この何が正解かよくわからない状況下で、本氣のハッピー。氣志團のワンナイトカーニバル状態へと昇華した自分がここにいる。
私が楽しくハッピーに生きていて、笑顔でいることに嫌悪感を抱く方もいるかもしれないが、これは、自殺したり、ストレスで入院した職場の仲間達の分も、自分が生きるという使命感である。
これが、笑顔の英国紳士、かつ、自分のためではなく仲間のために涙を流す日本男児である、私の生き様である。
誰が日本の首相だろうと関係ない。
中道であることにも、覚悟を要する。
みなさんの生き様も私に見せて欲しい。