幻想と世界

世界は存在するか。

私たちの見ている世界はすべて幻だとして、それは何を意味するのか。

どうしてこんなにも限定されたものを見て、幻だとか、自分次第で世界は変わるとか言えるのだろうか。

量子物理的には、観測者次第で結果は異なるし、現在の定義によって過去を書き換えることは可能だ。

とはいえなぜ私たちは、人間という極めて定義された姿をしているのだろうか。

なぜスライムではダメだったのだ?
なぜ空を飛んだり、透視したり、火を吹いたりできないのだろうか。

私の意識次第ならもっと他にやりようはあったはずだ。

というわけで、やはり我々はある限定された世界の中に閉じ込められていることは間違いないだろう。

つまり広大な無限の中にいるわけではなく、狭い無限の中で細かく微分された一点に我々一人ひとりの目があるということだ。

引き寄せの法則に対して私が少し懐疑的なのはそのためだ。

どうせ行動はしなければならないのだ。願わずに行動しても結果は出るのだから、引き寄せなぞあってないようなものだろう。

もちろん願わない行動など原理的に不可能とも言えるが、であれば最初から「願え」と言わずに「行動しろ」が正しいだろう?

まあ本当のところは「願え」ばよいだけのようだが、それは人間の時間にすると恐ろしく時間がかかるわけで、そんなの叶ったうちに入らない。

まあ地球外の人たちは、それでも「すべて幻」という表現を使いがちだ。あまり真に受けないように。


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