第三チャクラと自己主権
今回は、外界で起こるイベントの責任の在り処について話す。
仮に何か理不尽なイベントが起きたとして、その責任は誰にあるのか。
自分は何も悪いことをしていないし、ネガティブなこともイメージしていないとすると、その責任は、プレイヤー目線オンリーだと他者(他人や自己の魂)にあると思えるだろう。
受難から教訓を得るために設定された経験なのかもしれない。
はたまた、カルマを精算するためだけの突拍子もないイベントなのかもしれない。
しかし、これは視点を変えると、自分の行動が原因で起きているとも取れる。
例えばプレイヤー目線では、動機はさておき、そこに居てしまったとか、良かれと思って何か行動したとか、そういう出来事に遭遇するような波動だった、という部分に帰責性があると言える。
また、魂目線ではそういうイベントを予定帳に盛り込んだという脚本家の責任があろう。
つまり、プレイヤー目線だろうと魂目線だろうと、どうせ同一人物なのだから、本人の責任で理不尽なイベントが起きたと説明できてしまう。
プレイヤー目線だと他責的で、プレイヤーと魂を統一した目線だと自責扱いになるわけだ。
こう考えると、よく言う
「起きる現象全てあなたの思考が原因ですよ」
的な、一見引き寄せのことだけ言ってそうなミスリードな説明も腑に落ちるだろう。
ところで、題名にある通り、この自己責任感は第三チャクラ(鳩尾)が該当するようで、ここに不調がある方は、今回の話がブッ刺さるのではなかろうか。
と言うだけのお話でした。
なんとかして被害者意識を捨てたいよね。