父性について
父性の欠如が子供の不安定化につながる。
犯罪率と父親の不在は高い相関が見られるのは有名な話だと思う。
現代の男には、寛容さや自由意志の尊重のために、子供に強権を発動できない家庭が増えているようだ。
しかし、これは結果的に人生の方針ややりたいことが不明確な子を量産することになる。
鬱や無気力、犯罪といったことがよく表れる。
はっきり言って現代の男は存在価値がないとも言える。
例え暴力的に強権的に子供に自分の方針を押し付けようとも、それが子供の最初の指針になるのだ。それに従わないで家を出ようが反抗しようが、そこからが子供の人生の始まりなのだ。
まずは最初の方向性を与えよ。そして経験と共にそれは相対化されていき、子供のやりたいことは自ずとわかるようになる。
これはあくまで子供の精神的な安定と幸福のための話だ。
このやり方で育った子供は、精神的に落ち着いた、能力的にも一貫した人物になりやすい。一方で、人間的魅力で見ると、退屈で限定された世界で生きる人間の出来上がりだ。
天才は、この逆の体験をして育った子が多いと思う。
精神を不安定にして、能力を乱雑に無節操に取り込み続けるためには、父性の欠けた育ちが有力だろう。
これは一種の賭けだ。落伍者か天才か、本人の意思次第だが、才能と気力が必要だ。
新時代においては、したいことだけして精神的に満たされたものが増えるだろう。そこでは能力開発など今ほど求められない。お金もそこまで追求しないから暇だ。
私はそんな社会が理想なのか?とつい思ってしまうが、どうやらそれ以外に理想の世界なるものは存在しないらしい。
何が言いたいかというと、父性は復権させた方が良い。それが男の存在価値だし、子供の精神が安定する。しかし、能力開発には向かないかもしれない。喋っても面白くない人間を増やしてしまうかもしれない。だがそれが人類の目指す理想の社会かもしれない、ということだ。
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