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マクドウエル【1】 インド産の洋酒

インド食器屋「アジアハンター」の店主・小林真樹さんが、食器買い付けの旅や国内の専門店巡りで出会った美味しい料理、お店、そしてインドの食文化をご紹介します。


「……×■※÷〇……」
「えっ?」
「……●÷■※※〇……」
「何?何と言ったんですか?」
「……××÷※÷〇●……」
「……あ゛―、ぜんぜん聞こえん。もう出ましょう!」

たまたま旅先のデリーで偶然日程がカブった知人と「じゃあ、飲みにでも」となり、とあるバーの門をくぐってテーブルにつき、とりあえずビールで乾杯。互いのインド体験談なぞじっくり聞こうとしたその矢先。往年のボリウッド・ソングが薄暗い店内に耳をつんざく大音量で鳴り響く。まるで音がデカければデカいほど上質なサルビスだとでも思いこんでいるかのようだ。

BGMがうるさいインドのバー
BGMがうるさいインドのバー


音の暴力から逃れるようにして店を出たわれわれは、最寄りのワインショップ(インドでは酒屋のことをワインショップ、またはビヤル(=ビール)・ショップと呼ぶ)で一本の洋酒を購入。同時に酒屋前で量り売りしているナムキーン(塩菓子)屋台から複数の乾きモノを新聞紙に包んでもらってホテルの狭い自室へ持ち込む。そうしてようやく安心して、会話を楽しむことが出来たのである。

足元にゴキブリが這っていても気づかない薄暗さと大音量のBGM。インド国内のさまざまな場所で飲み歩いたが、一般庶民が行くようなバーと称される店はたいていそんな構造だ。店内を薄暗くするのは雰囲気作りというよりは、ほかの客からこちらの顔を見えなくするためだといわれる。イスラム教徒は言わずもがな、ヒンドゥー教徒であっても飲酒が不道徳的な慣習だと認識されているインドでは、家族、とりわけ自分の父母の面前で飲酒することは大きなタブーである。父親が成長した息子とウイスキーを酌み交わす、などといった日本では心温まる光景などインドではあり得ない。人々は家族から見えないところで隠れるようにして酒を飲む。となると外で飲むしかないのだが、万が一隣のテーブルで父親が飲んでいないとも限らない。だからせめてものカモフラージュとして、飲み屋(バー)の照明は可能な限り暗くすべし、というわけなのだ。

そうしたバーの席上で最もよく飲まれるもの、あるいはそこを退散したわれわれが酒屋で求めるものがインド産ウイスキー、つまりインド洋酒である。酒税法上の分類で、IMFL(Indian Made Foreign Liquor)と呼ばれるたぐいのインド洋酒が、個人的な経験上、最も広く飲まれているインドの酒であるかのように思える。もちろんインドにはIMIL(Indian-made Indian liquor)、あるいはヒンディー語で「デーシー・ダール(国のサケ)」と呼ばれる地酒に近い、よりローカルで小規模生産された蒸留酒の方が税法上価格も安く、統計上もインド洋酒より多く飲まれてはいるようだ。ただそうしたビニール袋入りだったり、何かの空き瓶に詰めたような怪しげな酒にはどんな怪しげな成分がはいっているか分からない。当のインド人自身ですら「あれは避けたほうがいい」というシロモノだ。

インドの酒屋は鉄格子がついているところが多い


では、比較的「マトモ」と言われている方のインド洋酒にはどのような種類があるのだろう。とりわけ最もインドで多く消費されているのがウイスキーだが、以下にご紹介するのは、私の個人的なウイスキー経験に基づくものなので偏りがある点はご容赦いただきたい。

まず何はなくとも「マクドウエル」。インド洋酒の中でのシェアは断トツのナンバルワン。個人的にも最もなじみ深い酒である。人口大国のインドは世界最大のウイスキー消費国でもある。つまりインドの中でのシェア1位ということは、世界で最も製造本数の多いウイスキーの銘柄ということになるのだ。このマクドウエル・ウイスキーは輸入会社を通じて日本国内でも広く販売されているので、気になる方は是非近くのインド料理店に行って飲まれることをオススメする。インドの薄暗いバーの味はかくやと思わせる、ちょっと安っぽいが、だからこそ王道のインド洋酒の味がするはずだ。

「バッグパイパー」はかつて人気俳優シャー・ルク・カーンがテレビCMしていたことでも有名(2000年代以降、政府により酒類のメディア広告が規制され、現在では見ることは出来ない。日本のタバコのCMと同様である)。だからといって価格は高くはなく、むしろ安いイメージの酒だった。

RC(アールシー)の愛称で親しまれる「ロイヤル・チャレンジ」もどちらかといえば安い部類に入る。飲み過ぎて悪酔いして以降、あまり飲む機会がなくなっている。

「8PM」はそれら安い酒に比べて飲み口の爽やかさが特徴的。最初に飲んだ時は二日酔いしなくてビックリしたものである。

「シグネチャー」はそれらに比べればやや価格が高い。何せ基本的に箱入りである(一部の小瓶は除く)。リッチなテイストは悪酔いもせず、すっきりした後口で飲みやすく、インドに行くと現在も愛飲している銘柄の一つ。

ちなみに2019年には、日本のサントリーがインド市場に参入している。街なかの酒屋の壁に「山崎」や「季」などと筆文字の書体が書かれた販促ポスターが貼ってあることがあり、日本人としてはつい気になってしまうが、他のインド洋酒に比べて高級価格帯。売れ行きはどうだろう。

さてここからは、あまり紹介されることのないインド人の酒の飲み方について。まずインド人(ヒンドゥー教徒)と共に酒を飲むと、一番初めに少量のウイスキーをキャップに注ぎ、それを机の上、または(床に座って飲む場合)床の上に垂らし、まじないのような何かを唱える。これはつまり自分たちが飲む前に神様に酒を捧げているわけだが、果たして彼らが信じる神々が、まるで日本神道の御神酒(おみき)のようにウイスキーを欲しがるのかと考えるとはなはだ疑問に感じずにはいられない(ただしヒンドゥー教の地方神の中には供物として酒を欲するものも存在する。神格にはウイスキーが捧げられ、プラサードとしての酒を神前で飲むのである)。

お通しはどこに行ってもローストしたパパド一枚ということが多い。ただしその常識が、タミルのバーに行くと覆される。なんと塩スナックから煮豆、果てはチャート・マサーラーが振りかけられたゆで卵まで7~8種類の小皿が並べられるのだ。しかも食べてなくなるやすぐさま新しい小皿が補充される。お通しが食べ放題なのである。いくらドリンク代に含まれているとはいえ、なんとも気前の良いサービスだ。

お通しに果物がだされることも
お通しに果物がだされることも


お通し以外のアテとしてポピュラーなのは、チャート・マサーラーを振りかけたピーナッツ、ケチャップとコショウをかけたフィンガル(フィンガー)・チップス、刻んだ紫玉ねぎ、トマト、青唐辛子がのったマサーラー・パパドなど。基本的にインド人は酒と共にガツガツものを食べるということをしない。酒は酔うため、食べものは腹を満たすためというふうに、それぞれ別モノとして考えているようである。

ウイスキーを好むインド人は多い


ウイスキーは基本的に水で割るかソーダで割るかである。氷を入れる人も多少は見かけるが、基本的に冷たすぎるものは身体によくないという考えがインドでは昔から強く、たとえ酒であってもキンキンに冷えたものは好まれない。最近でこそ酒屋に行くと冷蔵庫から冷えたビールを買うことが出来るが、ひと昔前(2000年代初頭)までは酷暑の時期でも常温のビールを手渡され、閉口することが多かった。

酒という、社会通念上あまりよろしくないものを飲む割に、いやだからこそなのか、細かい不文律には素直に従う人たちがインドには多いようだ。







小林真樹
インド料理をこよなく愛する元バックパッカーであり、インド食器・調理器具の輸入卸業を主体とする有限会社アジアハンター代表。買い付けの旅も含め、インド渡航は数えきれない。商売を通じて国内のインド料理店とも深く関わる。
著作『食べ歩くインド(北・東編/南・西編)』旅行人『日本のインド・ネパール料理店』阿佐ヶ谷書院
アジアハンター
http://www.asiahunter.com

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