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【日本全国写真紀行】71 福井県坂井市三国町北本町ほか
取材で訪れた、日本全国津々浦々の心にしみる風景を紹介します。ページの都合上、書籍では使用できなかった写真も掲載。日本の原風景に出会う旅をお楽しみいただけます。
福井県坂井市三国町北本町ほか
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帯のように狭く長い町並みにレトロな建物が建ち並ぶ
福井県のシンボル九頭竜川の河口に位置する三国湊は、1000年以上の歴史を有する町である。古来から九頭竜川やその支流である竹田川や足羽川などを使った河川の舟運が盛んで、また日本海に面していることから、越前地方一帯の物資を川で輸送し、それらを他の地域へ運ぶ物流の拠点として繁栄した。
江戸中期には大坂と北海道を結ぶ北前船交易が始まり、三国でも廻船業が盛んになる。さらに江戸後期には次々に豪商が生まれ、三国は日本海有数の北前船の寄港地として大きく発展していった。当時40軒以上もあったという遊女屋や置屋が建ち並んでいた花街は、江戸末期の全国遊郭番付表で品川と四ツ谷新宿の間に載るほどのにぎわいで、「浮世草子」の作者・井原西鶴は、三国の花街を「北国にまれな色里」と讃えた。
明治になってからもしばらくその繁栄は続いたが、やがて鉄道が開通し、物流の主役が船から鉄道へ移り始めると、次第にその勢いは衰えていった。そしてその後の三国は、急速に港町としての機能を失い、やがて静かな漁港の町として歩んでゆくことになる。こうして大正・昭和と時が流れ、その間三国は時間が止まった歳月を過ごす。
ところが最近になって、その情緒あふれるノスタルジックな町並みが見直され、再び注目を浴びるようになった。今も三国の町には、北前船で栄えた江戸時代からの湊町ならではの、華やかな昔を偲ばせる古い建物や神社仏閣が数多く残っている。
昔から三国の花街に伝えられてきた「三國節」に、こんな歌詞が唄われている。
三国三国と通う奴ぁ馬鹿よ (ご苦労なことだ)
帯の幅ほどある町を (帯のように幅が狭くて横に長い町並みを)
確かに三国の町並みは、ひたすら狭くて長い。そのひょろ長い通り沿いに、豪商・岸名家の豪勢な邸宅、県内現存最古の鉄筋コンクリートの西洋建築である旧森田銀行本店をはじめ、往時の面影を色濃く残す、格子戸を連ねた町家や商家、蔵などが建ち並ぶ。若い人たちの間でも、近頃では「三国レトロ」と呼ばれて人気が高まっているようだ。
最後に、三国のお勧め絶景ポイントをもうひとつ。
それは「世界三大奇勝」に数えられる「東尋坊」である。東尋坊は約1300万年前にマグマが地表近くまで上昇し、地中で冷えて固まった大規模な柱状節理で、約1キロにわたり海岸線に広がるダイナミックな姿は、他所では見られない素晴らしい景観である。三国を訪れた際には、ぜひ足を伸ばして立ち寄ってほしい。東尋坊に至る商店街も、食べ歩きができる海鮮グルメが揃っていてお勧めである。
※『ふるさと再発見の旅 東海北陸』産業編集センター/編より抜粋
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