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【日本全国写真紀行】 53 大分県大分市今市

取材で訪れた、日本全国津々浦々の心にしみる風景を紹介します。ページの都合上、書籍では使用できなかった写真も掲載。日本の原風景に出会う旅をお楽しみいただけます。


大分県大分市今市


石畳が江戸時代へと誘う宿場町

 大分市の中心から西へ、竹田市に向かう途中にある今市。江戸時代、豊後鶴崎と肥後熊本を結ぶ肥後街道の宿場町として、豊後国最大の石高を誇ったおか藩が開いた宿場である。岡藩の参勤交代のときには宿として、肥後藩の参勤交代時には休憩所として利用された。街道沿いにはお茶屋、代官所、造り酒屋などが軒を並べ、大名行列の時はもとより、多くの旅人たちでにぎわっていたといわれる。
 この宿場町時代に造られた宿内の石畳道が、今もほぼ当時のままに残っている。道幅約8メートルの道の中央部、平石が敷き詰められた約2メートル幅の石畳が、全長660メートルにわたって続く。一時は、自動車の通行の妨げになるということで、土で覆われていたということだが、住民の希望もあり、土は取り除かれて現在の姿になった。石畳がほぼ完全なかたちで残っているのは大変珍しく、「今市の石畳」として県の史跡にも指定されている。
 石畳の上を歩くと、足元の平石の硬い感触が伝わってくる。江戸時代の旅人たちも、同じようにこの石畳の硬さを感じながら歩いたのかと思うと、不思議な気分だ。集落は上町と下町に分かれ、ちょうどその境の道が鉤の手に曲がっている。俗に「信玄曲がり」と呼ばれるもので、敵の侵攻を防いだり、万一どちらかの集落から火が出ても延焼を防げるようになっている。道の両脇には細い排水溝が設えてあり、これも江戸時代のものらしい。
 歩を進めるうちに、不思議なことに気がついた。道幅2メートルほどの両脇には、石が敷かれていない舗装道路があるのだが、時々、玄関前まで石畳が伸びている家がある。調べてみると、石畳を歩けるのは身分の高い人だったようで、身分の低い人は石畳の上を歩けず、両脇の道を歩いていたらしい。玄関まで石畳がある家は、代官屋敷や豪商の家だけだった。
 石畳が途切れるあたり、宿の端まで歩いていくと、丸山神社という古い神社があった。加藤清正が参勤交代の安全を祈願して創建したのがこの神社の始まりとされている。楼門は日光東照宮の門を模したとされており、その荘厳な佇まいは一見の価値ありだ。
 街道を吹き抜ける風と静寂が心地よい今市だが、毎年九月に開催される「石畳まつり」の際には、県内外から多くの観光客が押し寄せる。石畳の上や丸山神社に竹灯りが置かれ、揺らぐやわらかな光の中を人々が歩く。夏の終わりから秋の初めにかけて、今市の宿場は幻想的な雰囲気に包まれる。


※『ふるさと再発見の旅 九州1』産業編集センター/編より抜粋




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