もんちち

南方在中年女性。ALSのため40代にして老人ホーム入居、年金暮らし。言葉話せず物食えず…

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南方在中年女性。ALSのため40代にして老人ホーム入居、年金暮らし。言葉話せず物食えず手足も不自由ですが、大相撲とラジオ深夜便を軸に、わりと元気に生きてます。入力操作はiPadのスイッチコントロール使用。

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自己紹介

はじめまして、もんちちと申します。 南の島の無職中年女性、ALS患者です。 家族は夫と息子と猫がいますが、今ははなれて老人ホームで暮らしています。 毎晩ラジオ深夜便を聴きながら朝を迎え、好きな大相撲がある奇数月は心高く飛び、相撲のない偶数月は年金支給日を待ち侘びる。そんな隠居生活を送る四十代後半です。 ALSを発症したのはちょうどコロナ禍のはじまりのころ。 最初は少し滑舌が悪くなった程度でしたが、だんだん呂律が回らなくなり検査入院。いろんな病気の可能性を消去していった結果、

    • 【日記】美ノ海と横綱と私

       大相撲秋場所が始まった。  美ノ海(ちゅらのうみ)関の場所前のインタビューが印象的だった。  横綱の糖尿が心配。  私は先場所と今場所で大きな変化なし。よきかな。

      • ドラゴンタトゥーの女

         四歳から長唄三味線を習い始めた。当時大ヒットしていた『帰って来いよ』の松村和子の三味線弾き語りがたまらなくかっこよかったからだ。毎日ほうきを三味線に見立て、真似することに熱中したが物足りず、三味線を習いたいと母に懇願した。  週に一度、三味線の先生が家に教えに来てくれることになった。  始めてみると三味線はそんな容易いものではなかった。四歳児の手は棹(さお)の先まで届かず、背後から先生に支えてもらわないとぐらぐらと不安定で、手を上下に滑らせ弦を押さえるなんて芸当はとても無

        • 【日記】今月の振り返り

          八月は過ぎてしまえば実は秋 それを認めて夏は成仏 #今日の短歌

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        記事

          【日記】往診と、秘めたる問い

           今日は往診の日。  私の担当医師はこんがりときれいに焼けた肌がよく似合う女性。会うたびにその濃度を増している気がする。海風を感じさせる佇まい。 「何か聞きたいことはありますか?」  診察の終わりにいつも先生が尋ねてくださるので、喋れない私は予めiPadに入力しておいた質問を見せる。もしくは、首を横に振る。  でも、本当に聞きたいことはほかにあるのに、いつも聞けずじまい。  なのでこっそりここに貼っておく。

          【日記】往診と、秘めたる問い

          サンダンカぐんぐんのびて満開の耐震補強アパートメント

          サンダンカぐんぐんのびて満開の耐震補強アパートメント

          100キロ走れた私がALSになり老人ホームに入るまで #4「むすんで、ひらいて」

          (前回まで) むすんで、ひらいて  訪問看護でラジカットの点滴を受け始めた頃から訪問リハビリも受け始めた。理学療法士による身体機能のリハビリと、言語聴覚士による言語・嚥下機能のリハビリの二種類だ。  ALS患者のリハビリの目的は、機能回復ではなく現状維持。疲れるほど頑張ると病気の進行を早めると言われているのでやりすぎ禁物。物足りないくらいがちょうどいい。そのときの「今」の状態ができるだけ続くことを目指す。  ラジカットやリハビリを始めてから一年ほどの間に、まず杖歩行にな

          100キロ走れた私がALSになり老人ホームに入るまで #4「むすんで、ひらいて」

          【納涼】ATMの怪

           幽霊話を聞くのは大好きだけど、幽霊を見たことはないしできれば出会いたくない。 「幽霊の正体は思い出」  と誰かが言っていた。私の思い出を綴っているこのnoteも浮遊霊みたいなもので、私が死んでもネットの海をぷかぷかと漂い続けるのだろう。そしてうっかりこのnoteを開いてしまった誰かのスマートフォンに忍び込み、音楽のプレイリストに曲を追加したり、撮った覚えのない写真を残したりしたい。夢ふくらむ。  あれも、そんな幽霊の仕業だったのだろうか。  昔、東京に住んでいた頃のこ

          【納涼】ATMの怪

          100キロ走れた私がALSになり老人ホームに入るまで #3「投薬開始」

          (前回まで) 投薬開始  ALSの進行を遅らせる薬はリルゾールという経口薬とラジカットという点滴薬(当時)の二種類があり、私はまずリルゾールを服用し始めた。口以外の変化はまだ感じておらず生活はそれまで通り。日課のランニングも続けた。  検査入院から数ヶ月過ぎた頃にはますます呂律が回らなくなり、発音できる言葉が限られてきた。カ行とラ行は特に言いづらく、飼い猫ラッキーの名前を呼び続けても猫は怪訝な顔をするだけで、こちらに来てくれなくなった。「おいしい」は唯一言いやすかった。

          100キロ走れた私がALSになり老人ホームに入るまで #3「投薬開始」

          スパルタそろばん塾

          『8月8日はそろばんの日』  小学生の頃通っていたそろばん塾の、壁に掛けられた日めくりカレンダーの中の言葉だ。そろばんをはじくパチパチという音と8をかけたらしい。どの日をめくっても、そろばんにまつわる標語のようなものが書かれてあった。  木造一軒家の玄関を入って左、十畳ほどの部屋が教室だった。畳の上に長机が並び、前方に教卓、後方の壁にはベニヤ板で作られた番付表があった。番付表には序ノ口から横綱までの各階級の横に生徒たちの名前の木札が掛けられており、そろばんの上達度が知れた。

          スパルタそろばん塾

          100キロ走れた私がALSになり老人ホームに入るまで #2「診断」

           前回まで→#1 診断  神経内科のある大きな病院でもこれと言う原因はわからず、経過観察となった。世間では新型コロナウィルスの感染拡大が始まっており、病院は物々しい雰囲気だった。  この頃から少しずつ咽せることが増え、舌足らずというより酔っぱらいのような喋りになっていった。健康診断ではバリウムを誤嚥し、盛大に咽せて検査室をバリウムまみれにしてしまった。そのことを医師に話すと検査入院することになった。  入院期間は二週間。採血やCT等一般的な検査のほか、自己免疫疾患に使う点

          100キロ走れた私がALSになり老人ホームに入るまで #2「診断」

          100キロ走れた私がALSになり老人ホームに入るまで #1「発症」

           快食快便快眠、病気知らずの43歳。それが当時の私だった。有り余る体力は数年前から始めたマラソンにストンとハマり、平日は出勤前にランニング、休日は知らない道を探検しながら数十キロ走った。家族で出かける時も夫と小学生の息子は車に乗り、私は走って現地に向かった。ひとり黙々と走る時間は自由で楽しかったし、走り終えた後のビールは至福だった。ハーフマラソンやフルマラソン、さらに100キロマラソンも走るようになり、そのための練習に没頭していた。そんな私の体にちょっとした異変が訪れた。

          100キロ走れた私がALSになり老人ホームに入るまで #1「発症」

          ねむれ巴里

           パリでオリンピックが始まる。  3年前の東京オリンピックはいつの間にか始まっていた。ちょうどALSと診断された年で、少しずつ体が変わり始めた頃だった。マラソンだけテレビ観戦した。ほかの競技や開会式は全く観ていない。しかもマラソンの会場は札幌だったので、東京で行われているオリンピックを観ていない。なので私の中の東京オリンピックはあったような、なかったような、かげろうみたいな存在だ。  パリオリンピックはセーヌ川に浮かべた舟に選手たちを乗せて始まるという。それこそかげろうみ

          ねむれ巴里

          【日記】7-11

          慶良間諸島がくっきり見える。意外と近い。 沖縄にセブンイレブンができて今日で5年らしい。 「俺はファミマを応援する」と言っていた当時小学生だった息子。今もその気持ちに変わりはないか、今度会ったら聞きたい。 ALSを発症してからのことを忘れないうちに書き始めた。これを書き終えるのが当面の目標なので、しばらく更新は滞ると思う。 徳田虎雄死す。

          【日記】7-11

          【日記】サガリバナ

          七夕の 夢落ちて朝 サガリバナ この時季の朝のお楽しみ、サガリバナの絨毯。 みんな踏まないように歩きます。 そろそろ見頃も終わり。 また来年!

          【日記】サガリバナ

          中古車屋からの年賀状

          我が家は中古の軽自動車しか買ったことがないが、ある中古車屋との出会いが忘れられない。男性2人きりで営む小さなプレハブ造りの店舗で、中古車街道と呼ばれる通りにあった。 車の状態もとても良い上に安くしてくれ、丁寧な説明と心のこもった接客。前回利用した大手中古車チェーンとは全て違い、「いい買い物ができた」とうれしくなった。 翌年の元日にその中古車屋から年賀状が届いた。 新年の挨拶の印字の横に、 「R2からR2に乗り換えたお客様は初めてでした。」 と丁寧な文字で添えられていた

          中古車屋からの年賀状