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仲良くする

他人の偏見をなくそうとしてはいけない。
偏見は個人の思考であり、他人に強制される必要はないです。なぜ偏見をなくそうとするのか?
それは差別があるからです。差別は偏見による行動です。
ですが偏見があっても他人の気持ちを尊重できれば差別は起きません。

基本的な考え方
〇思考が行動になるとは限らない。
〇偏見は事実かどうかは関係なく自由。
〇差別は事実が大切。
〇人は帰属バイアスがあり、対する者を敵視しする。


ある身体的特徴のコンプレックスを抱えている人がその身体的特徴を含んだ公共の広告に苦情を訴えた。
一般的に論点はなぜ苦情を訴えたのか?となります。この人はこの時、製作者や広告担当者が自分の身体的特徴に偏見があるから苦情を言ったと思いますか?それとも広告が社会的に身体的特徴を差別をしているから苦情を言ったと思いますか?

私はどちらも「はい」だと思います。しかし重要なのは身体的特徴がある人の思考ではなくて、差別があったのかだと思います。
広告が理由で不当な扱いを受けたり、不利益を生じさせる(差別)行為があったのか?
また製作者や広告担当者の気持ちも関係なく、差別があったのか?

差別は良くないと思いますが、差別意識もなく差別になっていないことで苦情になることもあると思います。その時は「不快な思いをさせた」という理由で謝罪をすべきではないと思います。
差別意識は差別をされる側にもあり、誤解ならその誤解を解くことが誠実な対応だと思います。

偏見がある人の理解がなくても差別がないなら良いのではないでしょうか。逆に相手を強制して偏見をなくそうとすることは悪いことだと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました。不定期で更新するのでよろしくお願いします。

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