性別違和とあたくし、の話。 その1
ども。
沈黙のMTFさん、もん。でございます。
なぜ「沈黙の」なのかって?
そりゃ私が普段の暮らしの中で自分から決して「カム」しないからさ。
手術終わって20年。
特例法によって戸籍の性別が書き換わって約15年。
今では自分がかつて「男」というカテゴリにいたことすら忘れている。笑
てかなんならもともと「男」であった記憶もないのかもしんない。
そういうの「業界」では「性自認」とか呼んでて。
最近はその「性自認」だけで戸籍の変更を認めさせろとかなんとか騒いでるそうなんだが。。。。
まぁこの話はセンシティブだし色々長くなりそうなので。。。
ご興味のある方はご自身でググってみてくださいまし。
閑話休題
今日はそんな私が自分の肉体とか性別とかに違和感を感じ始めたときのお話。
今で言う「性別違和」、かつての「性同一性障害」っていうやつね。
今でこそあちこちで目にする機会も増えたから多くの人が知ってるようになったものの。。。
私だってもとからそんな物があるなんてことを知ってたわけじゃない。
まして子供だったらなおさら。
ただ
私も幼稚園の頃からなんとなーくその気のようなものはあったらしい。
自分の好きなもの、なりたい役割、会話。。。などなど。
男子の枠組みとはオレなんとなくずれてるよなぁ。。。。的な。
将来の夢はピンクレディーだったしね(古っw)
ただ
私の場合はちょっと特殊で。
小学校3年以降、中学卒業まで日本で育っていなかったので
男女別の制服とかそういうのにさらされることがなかったんだ。
だからラッキーだった、っていえばラッキーだったんだろうけど。
逆に言えば自分が社会に男性として認識されている、っていうことを知る機会を得ることができなかったよね。
おかげで中学時代までは他の当事者さんたちのような葛藤もさほどなかったけど、結果気づくのが遅くなったんじゃないかな。。。とは思う。
確かに日常の中でも「あれ?」っていう感覚はあるにはあったけど。
むしろ性別(グループの中での性役割)に対する違和というよりも、そこは異民族、異文化であることの違和感(習慣とか価値観とかの違いからくる、ね)だと勝手に思っていたので、なんとなく乗り切ってこれたんかもしれないね。
だからこれが日本の中学のように、男子は詰め襟!断髪!。。。みたいな環境だったらどうなってたかわからない。
そんなわけだから、私が本格的に自分の違和を意識し始めたのは帰国後。
高校の時。
とはいっても、高校もインターナショナルスクールみたいなとこだったので、制服はナシ。
当然頭髪も自由。
。。。てか、内心制服とかが嫌だったから敢えてそういうところを選んで進学したんだけどね。
当時の私にはまだ「性別違和」とかそんな意識はさほどなくて。
ただ漠然と男性として区別されるのが変だなぁ。。。とか
男性としての自分がしっくり来ない。。。と言うか。
うまく説明はできないけど、なんかぼんやりと「これは自分なの?」感が漂ってるような状態だった。
それでも
そういう違和感っていうか乖離のような感覚は日に日に募っていって。
次第に頭の中の殆どを占めはじめてぐるぐる回るようになってきた。
日々募ってく「わけのわからん自分」へのどうしようもない思い。
脳みその中ではち◯この生えた自分を「男」であると認知しているも
どういうわけか、自分が「男」であるとは思えない。。。。
なんなんだこれ。
私頭おかしいのかな?
精神異常?
。。。毎日答えのない自問を繰り替えしながら私が到達した結論は
「あ。これって多重人格なのか?」
っていうことだった。
ちょうど「24人のビリー・ミリガン」という著作が世に出るか出ないかだったあの頃。
その内容は出口のない迷路を日々ぐるぐるしていた私には目からウロコだった。
かくして高校1年の冬。
悩みあぐねる私を見かねた母親に手を引かれ、都内の心療内科に通い始めることとなった。
。。。長くなってきたから今日はここまでね。
つづく