かつての「戦友」 の話。
まいど皆様ごきげんよう。
先日のこと。
九州まで行ってきた。
人生初九州は遠かった。。。。
若い頃
トラックドライバーをしていたので日本中色んなとこには行ったことがあったけど。
本州から出ることはついぞなかったんだ。
当時住んでいた関東から九州といえば片道2日の航海。
当時の法律では女性は2日航海に出してはいけないことになっていたそうな。
だから首都圏から片道2日の距離になる地域には行ったことがない。
あ。
当時は手術前の身体だったけど、一応女性として雇用はされていたのでそういう扱いにはなっていたのだよ笑
そーだ。
はじめましてな方には言っておこうと思うけど。
てか、殆どの方には何も言ってなかったけど。
生まれた時私男子だったんだよね。笑
二十歳頃まで。
21のときにそういうのがあるって初めて知って、そっからいろいろクスリやったり手術したり。。。。な人生やってきて今年でもう46。
気がつきゃ男で生きてた時代のほうが短くなっちゃった。。。っていうね笑
まぁいいや。
で
話戻すんだけど。
今回は、3年前に急に亡くなってしまった私の大切な「戦友」のお墓参りに行ってきたんだ。
その「戦友」とはね
私が性転換手術を受けたタイの病院で知り合ったんだよね。
そう
だから「戦友」。
一緒に術後のあの意識がマジで消失する痛みに耐えまくった、「戦友」。
一ヶ月以上痛みと腫れで座れなくて寝たままご飯をかきこむようにして食べていた「戦友」。
仮にYちゃんとしよう。
Yちゃんは歳も私の一個上で。
田舎のヤンキー上がりのような派手な私とは違って、清楚な感じの美人さんだった。
確か私の手術の2日だか3日後に同じ病院に入院してきたはず。
術後の痛みに気絶しながら、脂汗流してNHKワールドから流れるピタゴラスイッチのエンドレスループをボーッと眺めてる私に、病院のスタッフさんが紹介してくれた。
歳も変わらなかったからすぐ仲良くなれたのを覚えてる。
術後
その気絶する痛み(文字通り痛みで気を失う)にないてる彼女にね
「こんな身体の痛みなんて。。。うちらが今まで感じてきた心の痛みに比べてみなよ?。。。たいしたことないべ?」
って言ったら大泣きさせちゃったのは今でも忘れない。笑
励ましたつもりがなんかイヤなことを思い出させてしまったようだ。。。
そんな彼女も私もいつしか回復&退院を迎え。
結局連絡先交換しあってお互いそれぞれ帰国。
帰国後は関東と九州って言うこともあってなかなか会うことも叶わなくて。
2,3回会っただけだったと思う。
そんとき何話してたかは。。。もう覚えてない。
残念だけど。
そいえば二人でタイ旅行にも行ったんだった。
向こうの空港で待ち合わせしてね。
かつての病院訪問してみたり。
観光したり。
そんなこともあったなぁ。。。って今思い出すと涙でてくるね。
そして3年前のこと。
彼女が亡くなったことは、数日後に彼女のお母さんからの電話で知ったんだ。
あまりに突然で何も言えなくて。
なにが起きたのかが理解できなくて。
なにも言えなくて電話を切ってしまった。
翌日になってようやくYちゃんがもうこの世にはいないんだ。。。って理解できたら、涙が止まらなくて一日立ち上がれなくなった。
自分でも意外なほどのショックだった。
あれから3年。
ようやくYちゃんに再会できる時が来た。
灰になってからの再会なんて寂しいけどね。。。
今回もお仏壇の位牌の傍らで凛とした笑顔でこっちを見ているYちゃんの写真。
まるで生きてるときのようで。喋りだしそうで。。。
またこのまま一緒に御飯行こうよ、とかいいそうな勢いで。。。。
でもね
あなたはきっとあっちの世界でも元気に生きてると思う。
美人さんだからきっとモテモテじゃね?
私がいつかそっち行くときになったらさ、また二人でタイ料理でも食べながら色々話そうよ。
だから元気で待っててね。
てかその時までにいい男見っけて私にも紹介しろよ?
と言って私はぐしゃぐしゃな視界のままその場を後にした。
人にはもらった命というものがある。
それを一生懸命生きたんだ。
立派なことじゃないか。
確かに友を失うのは悲しいことだけど。
一生懸命与えられた命を生きたYちゃんのこと、私は尊敬するよ。
なんか私事をまとまらないまま書きなぐってしまったけど。
私がいいたかったのはね
人間いつ会えなくなってしまうかわからない。
だから
大切な人にはきちんと「ありがとう」と「あいしてる」だけは伝えておこうね。
面と向かって言えるときに。
きちんと。
必ず伝えておこうね。
って、それが言いたかったの。
なんか今回も暗い話でごめん。
読んでくださってありがとう。
それじゃ、また。