十把一絡げは暴力じゃね? って話。
どうも。
恋多き女、40代働く主婦。
もんです。
これから書く話はあくまで私の私見。
極論とも取れるかもしれませんし、暴論かとも思いますが。
まぁこれも当事者の意見だよって話でご了承いただけたら。。。
最近
てかここ二ヶ月ぐらい前にTwitterのアカウント新しく登録しまして。
今回のアカウントでは、性別移行後それまで自分がずっとひた隠しにしてきたこと
つまり自身がトランスセクシュアルであるってことを一部語っちゃいながらの開き直ったアカウントにしてみたんですが(ここに至った経緯はまたそのうち書くかもしれん)。
なんか私らがトランス渦中(病院に通いながら性別移行を進めていた最中)にあった20年前とはだいぶ「業界」のあり方も変わったんだなぁ。。。
というのを感じまして。
なんとなく今日iMacに向き合ってる。。。ていう次第ですばい。
じゃあなにがそんなに変わったのかって
簡単に言うと
「性別違和」っていう言葉のざっくりしたイメージ通り
なんかいろんなジャンル増えすぎじゃね?
っていうイメージがあって。
正直複雑になりすぎててわけわからんよ笑
ついていけん。。。
ダイバーシティ広がりすぎ、っていうか。。。
良い悪いじゃなく。
カオスだね笑
で
思ったこと。
LGBTQって言葉があるじゃないですか。
あれ
そんな文字に押し込められてしまうほど単純なものではないと思うんですよね。
まず
LGB、は恋愛とか性指向の問題で。
Tは性自認の問題。
まず、そこが質の異なるものじゃないですか。
だからそれを同じ線の上に並べてみよう。。。って発想が事態を余計ややこやしくしてるのかな。。。と思うのですが。
この話は今回のとそれるから今は置いといて。
いまは性自認の問題であるトランスの「T」に話を絞るけど。
そのT一つとっても
性別に対する違和感の強弱は人によって無段階に差があるらしいし。
。。。「らしいし」っていうのは私は医者でも学者でもないし
自分以外の人の「違和」の話はあくまで伝聞でしかないからね
っていうことで「らしいし」ってことわりを入れさせてもらったけど。
例えば
私のようにとっとと手術して戸籍変えて結婚して。。。
って思ってた人もいれば
男でも女でもない性別です、って言ってる人もいて。
同じ「トランス」ってくくりの中でもかなり温度差があるのが現状。
みんながみんな自分の肉体が苦痛でしょうがないわけでもないし。
みんながみんな社会的に女として(あるいは男として)生きてきたいわけでもないみたいだし。。。
そうなると各人各様、目指すところも違うし、社会に対して言いたいことも違うのは当たり前。
だからそれらを全部「トランスなんちゃら」っていうTの文字一つにくくるのは、いくら社会的に説明が容易になるとはいえざっくりし過ぎなんじゃないかと思うわけね。
あの世界は知れば知るほどほんとに十人十色。
なにが正解、みたいなんじゃなくて
限りなく無段階に無限に広がってんだな。。。っていうイメージ。
断っておくけど
そういう様々な人たちのあり方を非難したりディスってるわけではないよ。
念の為。
ただ
それほどまでに各人各様な「自認」のありかたなのに。
それをTっていう一文字でひっくるめちゃうのはやっぱ無理があるよなぁ。。。
って思ったって話。
もっと突っ込んで言うと
そういうイメージで十把一絡げに
「ああ、トランスっていうあれね。。。」
みたいに外から見られてしまうのはともすれば迷惑だ。。。っていう話なのですよ。
うまくまとめられんけど。
男でも女でもありたくない人達がいる一方で
男か女、どっちかに帰属して静かに生きてるほうが心地良い人もいるってこと。
だからそれを全部同じケージに入れて観察しましょう。。。ってのは無理な話だし、歪も自ずと出るよね。。。って思う。
トランスっていうくくりの中でお互いを理解しようとするから対立とかうむんじゃないの?
そもそもこんだけ個人差があるんだから。
あなたも私も似たようなものかもしれないけど違うジャンルよね?
ぐらいにお互い思えば良いんじゃないのかな?
たとえばおなじ小麦でもうどん屋でパスタは出てこないわけで。
同じ麺類でもラーメンとそばは全く別物なわけで。
「うちは麺類屋でっせ!」
なんていってラーメンもパスタもメニューにあるそば屋なんてないでしょ?笑
。。。って話。
だからもちっと気の利いた分類ないのかなぁ。。。って思ったりしてね。
オリンピックも男女枠だけじゃなくて
「どっちでもない人枠」創るとか。
トイレやお風呂にしたって
だれでもトイレみたいの作るとか(いろいろ問題があるのは承知)
お風呂も個人風呂みたいなスタイル増やすとか。
そうやってチョイスを増やすのも一つのやり方なんじゃないかなぁ。。。と思うんだよね。
いろいろ難しいのは承知だけど。
もちろんそうやって社会が変容していくのも大事だけど
当事者個人も社会に受け入れられる常識人じゃなくちゃいけないのは前提。
。。。じゃないと只の駄々っ子と同じだからね。
結局
もうどちらかの性に移行できたらあとはもう「卒業じゃん?」って思ってる層ばかりではないのがトランスと言う世界だったんだな。。。と。
勉強になりました。
今更だけど。