ランチョでキャンプ
ランチョとは酪農を行う大型の農場や、農場内に併設された小屋の集落のことで、メキシコでは住居兼観光農場にしたり飲食店を併設したり、業態は各家族によって様々。メキシコ中の至る所に点在する。スペイン語 : rancho 英語 : ranch
メキシコはバハカリフォルニア半島の南端にある盆地のオアシス、サンティアゴから水路沿いに未舗装の山道を15kmほど北上した所で暮らす家族。総勢10人程で暮らしながら自分達用に牛や鶏や野菜や果物を育て、お父さんは近くのトレッキングコースのガイドや革製品の製作販売で収入を得ている。キャンプ場や調理場もあり、トレッキングをした人は追加料金を払えばテントを張らせてもらい手作りの食事もついてくるとのこと。敷地内には底まで透けて見える透明な水の美しい渓谷があり、渓谷周辺は地区の自然保護区となっているため犬を連れて入ることは禁止されている。
こんな素敵なランチョで暮らす家族の息子ロヘリオと近所のアイスクリーム屋で知り合い、彼のランチョにキャンプさせてもらうことになった。ロヘリオは地元の友人2人と、農場でボランティアしているキューバ系アメリカ人のレオと計4人で、スーパーへ果物を買いに行くところだった。レオの話によるとトレッキングしない人はキャンプ代として1人200ペソ(約1,200円)とのことで、普段から薮やサボテンに隠れて野宿している身としては、テント張るだけで200ペソ払うことにあまり気乗りはしなかった。それでも、このあたりは自然保護区で豊かな自然が残っていて、元々水浴びしに行こうと思っていた別の渓谷も入場料だけで150ペソ支払わなくてはならず、ロヘリオの所なら自然保護区の水辺の近くで堂々とテントを張れて50ペソ追加になるだけだと考えると適正価格のように思えた。また、こうしてアイスクリーム屋で知り合えたのも何かの縁。なんだか面白いことが起きる気がしたので、行ってみることにした。
彼らはアイスクリーム屋へ車で来ていて、屋根に自転車乗せてあげるから今から来ちゃえば良いよと言ってくれていたのだが、その時点で既に午後4時になっており、今から行っても川で遊べるのは次の日の朝だけになってしまうからと断り、その日は野宿して次の日の朝にサンティアゴの広場まで迎えに来てもらうことになった。翌日10時半に待ち合わせだったため早めに町に到着して、自転車を車に積めるようにバラしたり食料の買い出しをして待つ。なんとなくそんな気はしていたのだがやはり10時半になっても現れず、11時も過ぎて、11時半にやっと現れた。電車やバスの到着時刻にしてもそうだが、どこの国にいても日本の時間感覚で動くと損をしがち。ストレスになるから体にもよろしくない。メキシコでもそれは同じことのようだった。
それでも待った甲斐あって、ロヘリオのランチョは素晴らしい所だった。森の中にあるため木陰がたくさんあり、森とはいえ下草は無くて砂地になっていて、歩きやすくテントも張りやすい。掃除の行き届いたトイレとシャワーもある。キャンプ場の横に薪で火を起こす調理場もあり、家族の調理はそこで行う。到着して準備もそこそこに、ロヘリオに昼食のお誘いをしてもらい、煮込んだ豆や野菜と、トウモロコシのトルティーヤを食べる。食事後にはレオに渓谷の案内をしてもらうことになり、どこまでが彼らの土地で、どの滝が浴びるのに気持ち良くてどこから安全に川に飛び込めるかなど細かく教えてもらい、その後は完全に貸切状態で2人きり。水着も脱ぎ捨てて真裸で飛び込んでは泳いで、石の上で寝そべって。暑くなってきたらまた大きな岩の上からまた飛び込んで。ついでに連日の野宿で溜まってた汚れた服も川の水で洗って。乾季のバハカリフォルニア半島ではほとんどの川が干上がっていて、南端まで来てようやく淡水で水浴びが出来ると楽しみにしていた分、手足がふやける程思いっきり堪能した。
そんなこんなをしてる間にトレッキングし終わったカップルがレオに案内されながらやってきて貸切の時間は終わり。彼らも3泊4日の山歩きの後の水浴びは極上だっただろう。ロヘリオは夕食にも誘ってくれて、ランチョの客全員でワイワイ料理開始。焚火で焼いたトマトや唐辛子を石のすり鉢で液状に潰したサルサソースや、小麦粉とラードとほんの少しの牛乳を使ったトルティーヤを皆んなで作る。トルティーヤをこねるのは、ロヘリオ以外全員へたくそで、楕円だったり四角かったり穴が空いてたり、いびつな形ばかりになった。焼けば全部食べれるが、ホセリオの作ったきれいな円になってるトルティーヤは厚みも絶妙で均一で、特別おいしい。あとはスターフルーツやレタスや胡瓜を使ったサラダに、すっぱい早熟オレンジを絞って作ったドレッシングをかけたもの。主菜には豆の煮込みと、インゲンを煮込んだもので、これは昼間から煮込んでいたものだからどういう味付けなのかは分からないが、ベジタリアンのホセリオはいつも豆煮込みをメインディッシュとしているよう。この夕食の野菜類は全てランチョで採れたものだった。メキシコ人のロヘリオとお手伝いのホセ、キューバ人のレオ、トレッキングしていたカップルはグアテマラ人のファニータとホンジュラス人のアレクシス、それからブラジル人の相方と日本人の私。なかなか国際色豊かな総勢7人でテーブルを囲み、ガヤガヤ喋りながら胃がはち切れるかと思うほど食べた。
翌日は夜明け前に起きて、ホセが淹れてくれたコーヒー片手にレオが教えてくれた朝焼けスポットへ。渓谷の巨大な岩の上に裸足で乗っかって、レオに1本もらった煙草を吸いながら見る朝焼けは極上だった。メキシコへ来てから何度も美しい朝焼けを見ているが、この渓谷でのそれは忘れられない時間になるだろう。もう一泊したい気持ちでいっぱいだったが、この後またラパツに戻らなくてはいけない用事もあるし、午前中にもう一度最後に川でゆっくりして遅めの出発にしようということで、日が高くなる前にテントの撤収をする。出発前には朝食まで誘ってもらい、トトポスというとうもろこしのトルティーヤを三角形に切って揚げたものに豆煮込みやサルサ、チーズをたっぷりかけて、サラダと一緒に食べる。チラキレスと呼ばれる料理だということは後日判明した。
荷物を全て片付けて、2人分の宿泊代400ペソ(2,400円)を支払って別れの挨拶をしにロヘリオの所へ行ったが、お金なんかいらないよと断られた。アイスクリーム屋でレオが言っていたのはトレッキングの客に対してだったのか、ロヘリオのお父さんのビジネスの事だったのか、今になっては分からない。ロヘリオは十年前、お祖父さんを亡くした悲しみを紛らわすために、あてもなくバハカリフォルニア半島を歩いて北上したと言っていた。その時に色んな人の家に世話になりながら2年かけてアメリカとの国境まで縦断して、その後4年ほど国境の町ティフナで移民と難民に対して慈善活動をしていたらしい。きっとロヘリオもその旅の道中で恩恵に預かる事がたくさんあっただろうと想像する。小さな親切がつくる大きな輪が、ゆっくり大きさを変えながら回っている。ロヘリオへの直接のお返しは、言葉で感謝を伝えることくらいしか出来ないため、彼から預かった恩は別の場所で別の人に返すことにする。