走ること

大学時代、私は陸上をやっていた。

陸上をやることを専門に部員を集めたような私立の強豪校では無かったが、みんな陸上を真剣にやりたいという気持ちのメンバーが集まった集団だった。

陸上自体は高校から始めた。地区予選どまりで(そもそもインターハイなどを目指したこともなかった)、速い選手ではなかったが、ただ走るのが好きで、単純にタイムを更新するのが快感で、さらに言えばタイムが縮むとコーチやメンバーが喜んだり褒めてくれるのが嬉しくて誇らしくて、私は迷いなく大学でも陸上を続けることを選んだ。

最初の1年間はとても楽しかった。大学の練習は高校の時とは量も質も段違いだった。練習を積めば積むほどタイムは縮まったし、周囲から認められたり、応援されるのが嬉しかった。

なにか部活に入らなければならないから(そういう学校の決まりだった)、とりあえずチーム競技よりは楽で自由のきく陸上をしているというような人が多かった高校の時とは違って、集まっているメンバーも、段違いに陸上への意識が高かった。練習メニューの意味だとか、走るときのフォームだとか、筋トレの仕方だとか、栄養管理の方法だとか、みんな自主的に色々と考えているのを知って、自分も徐々に意識するようになった。タイムを計るための高い時計も買った。自主練もした。学部に馴染めなかったこともあって、生活は陸上中心になった。ほとんどの時間、陸上のことを考えて過ごしていた。どんどん陸上にのめり込んでいった。

2年目に入ったある日、故障をした。タイムを縮めてくれる量と質の高い練習は、それなりにリスクがあった。高校までゆるい練習をやってきた私には、初めての故障だった。

初めは足の甲の違和感だった。ちょっとおかしいなと思っていたけれど、その時の私は調子がよく、もう少し練習を積めば、1つ上のタイムで練習しているチームに合流できそうなところだった。

練習を休みたくはなかった。違和感はあったけれど、私は練習を続けた。今思うとあの時すぐに休んでいればと思うのだけど、その時の私は無知で、故障の怖さだとか対応方法だとかを知らなかった。だましだましやっていれば、いつか治るだろうと思っていた。そこまでの痛みじゃないし。1つ上のタイムで練習している同期に早く追いつきたかった。

痛みは日に日に増していき、歩くだけで痛むようになった時、私は練習を中断した。

自分の許容を超えて酷使された筋肉は、なかなか元には戻らなかった。補強とウォーキングの日々が続いた。全然楽しくなかった。タイムをみるみる更新し、活躍していく同期が羨ましく、輝かしく、ねたましかった。

駅伝が迫っていた。私はどうしてもメンバーに選ばれたかった。1年の時はすんでのところでメンバー入りを逃し、悔しい思いをしていた。見るだけ、応援するだけは嫌だった。自分も選ばれ、活躍し、注目され、認められ、もてはやされたかった。

足は治りかけていた。私は練習に復帰した。駅伝のメンバー選考まで時間は無い。私は練習の強度を上げていった。

故障明けの身体がすぐに適応できるはずもなく、再び足の痛みが戻ってきた。それでも私は無視して練習を続けた。足の痛みは甲だけではなく、膝にまで広がった。故障しながら練習をしているとばれれば、枠から外されるかもしれないと思い、チームメンバーには黙っていた。接骨院に通った。自主練はあまりの痛みで増やせなかったので、減量に取り組んだ。体重を軽くすればするほど、速くなれるとも思っていた。視野が狭く、愚かだったと思う。でも、私はどうしても駅伝を走りたかった。

私は駅伝のメンバー枠を勝ち取り、選手として出場した。

個人としても、チームとしても、最高のタイムだった。

そこで、私は燃え尽きた。痛みを抱えて練習を続け、無理な食事制限をし、心身ともに疲れていた。この時以上にはこの先もう頑張れないし、頑張りたくないと思った。でも、結局辞める決断もできず、ズルズルと陸上は続けた。私は陸上に真剣に取り組むチームの人たちが好きだったし、この人間関係の一部でいたかった。他にやりたいこともないし、居場所もなかった。

中途半端な気持ちのまま、それから2年間も続けてしまった。真剣に努力する人たちの中で、中途半端な気持ちを抱えたまま、でも失望されたくなくて、陸上を頑張るふりをするのが辛かった。私の中途半端な気持ちは体型にも現れていたし、隠せていなかったと思う。元々スリムな体型ではなかったけれど、その時の私は陸上選手としてはちょっと、というくらい太っていた。醜かったし、食事制限くらい真剣にやろうと思ったが、食欲は止まらなかった。狂ったように私はジャンクフードを食べていた。止められなかった。後悔して断食をして、食欲が爆発して暴食し、再び後悔して断食しての繰り返しだった。何に対して頑張っているのか分からないまま、何かに責め立てられるような気持ちで生活していた。

私は過去の陸上が好きな気持ち、陸上を頑張る気持ちをゾンビのように抱えて、陸上を続けていた。過去に味わった走る楽しさや、タイムを縮める喜びや、皆に認められ応援される快感をまた経験したいと思うけれど、それに至る努力は全くできなかった。調子が良い時は簡単で、ただ走って練習を積めば良いのだけれど、調子が悪いとき、私は全く努力ができなかった。故障はなかなか完治せず、治っては再発しの繰り返しだった。走れない間、ひたすら補強をし、太らないよう食事を管理し、体力を落とさないようウォーキングや水泳や室内バイクをひたすら漕ぐ生活はつまらなかった。タイムは低迷した。

同期はチームの主力選手になっていた。頑張れない私は、妬ましさを隠しながら、応援した。同期は一番仲のよい友達だったし、一番憧れている存在だったし、大好きで、一番ねたましい存在だった。同期は、私のなりたい姿そのものだった。皆に認められ、可愛がられ、何より速かった。ワクワクするようなレース展開をした。皆同期の姿に刺激された。私も刺激された。でも、私は頑張れなかった。ただ憧れと妬ましさを感じながら、その姿を見ていた。

大学時代の写真を見返すと、何者にもなれなかった自分がそこにいる。

懐かしさや部活の楽しさも蘇るけれど、あの時の妬ましい気持ちや、焦燥感や、愚かで醜くかっこ悪くつまらない自分を思い出す。

今でこそ分かることだけど、大学生活陸上だけしていないで、ちゃんと勉強したり何かを習得すべきだったと思う。親にも申し訳ない。陸上のことだけ考えていたから、視野も狭くなるし、考えも暗くなる。

あと、周囲の評価を目的に頑張ろうとしていたことも良くなかった。あれはものすごく快感だけれど、自分の感情が不安定になるし、焦りとか嫉妬心とかをコントロールできなくなる。自分の為に頑張る方がよっぽど健全だし、尊いと思う。

他にも、練習は計画的に強度を上げていけとか無理な食事制限をするなとか、休みたいときは休めとか、あのときの自分に言いたいことはたくさんある。本当になんて無知で愚かだったんだろう。その分、あのときから成長しているのかなとも思う。(仕事の場面で同じ過ちを繰り返していたりするけれど。理解するのと実際にやるのとは違う。)

方向性をとんでもなく間違えていたけれど、何かを真剣に目指して、頑張ろうとしていた自分は、私の大切で恥ずかしいコンプレックスの1つだ。

しばらく陸上から遠ざかっていたけれど、最近走るのを再開している。一緒に走るチームメイトもいないし、目指す目標もないし、応援してくれる人もいない。ただ、1人で黙々と走っている。

自分でメニューを立て、練習をこなす。自分で自分を管理し、鼓舞する。大会に出ても、タイムを更新して一緒に喜んでくれる人はいない。何か違うなと思う。同じ陸上をしていても、学生時代とは全く別のことをしている感じ。物足りないけれど、これが本来のあり方なのかなとも思う。私は陸上について、誰かから認められるから好きだったのであって、陸上そのものはそんなに好きではなかったのだ。

いつか、本当に陸上が好きになれたらいいなと思って私は練習を続けている。





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