ジュンパ・ラヒリ『その名にちなんで』
教科書か、みたいな、こういういい小説を読むのは耐えがたいんですが、この小説がなぜこれだけ上手く行っているのかというと、恋愛を中心とした伝統的なビルドゥングスロマン的筋書きを使って移民とその子供の経験やアイデンティティについて語っている点、というかむしろ、移り住むこと、そこでの暮らし方を身につけることと人間の成長と成熟の物語とを重ね合わせることで、私たちにはアクセスできない経験を読める、読みやすいものにしているからです。小説はこういうことが得意なので小説を読むことはよいとされるんだと思う。
こういう語りの戦略はポストコロニアル研究でいえば『千夜一夜物語』の語り手シェヘラザードの戦略になぞらえられたりする。夜な夜な女の人を殺している王様に殺されないように、面白い話をして「続きはまた明日」といいところで焦らしながら生き延びる、誘惑であり抵抗でもある物語行為は、移民や広くマイノリティである作家がその声を聞かせるために必要とする戦略でもあるというわけです。
そういう形式を取って、タイトルにもなっているように名前や名前の扱われ方という、集団的なバックグラウンドと個人的なバックグラウンドの両方につよく結び付くものを素材にして、たとえばお見合いで家に来た将来の結婚相手の靴を、初めて会う前に履いてみるだとか、そういった繊細な場面や人間関係の変化の積み重ねで出来ている小説です。
何にしても私はもっと音がでかい小説の方が好きで、こういうのを読むとなんか不安になるし、なんか落ち込むし、なんか胃がムカムカするし、なんかパートナーと上手く話せなくなるんですよね。人間関係のコンプレックスが強いからかもしれないけど。
あと原文PDFが拾えます。
Jhumpa Lahiri. The Namesake. 2003
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?