MONO新作台本創作ノート2
写真は門司港駅。
先週はワークショップばかりやっていた。北九州で1回、新潟で2回。
北九州は泊まりだった。翌日、なぜかそのまま帰らず無目的に下関に行ってしまった。
唐戸地区の近代建築を見て回り、日清講和記念館、赤間神宮へと歩み進めるうちになぜか関門橋のたもとの壇ノ浦PAまで行き着いた。パーキングエリアのくせに車じゃなかったので再び歩いて戻り、そのまま戻ってきて帰ろうと思ったのも束の間、巌流島に行く船が出ている案内を目にした途端に乗っていた。佐々木小次郎たちの銅像を眺め、唐戸に戻ってそこから門司港まで船に乗った。
その時の写真だ。
門司は何度か訪れているので観光はせず、そこから小倉まで電車で移動し新幹線で京都に戻った。
いやいや、これは旅の記録を書く場所ではない。
MONOの新作台本を創作する上でのあれこれを記すところだ。
とにかくだ。色々とあってタイトルが決まった。
いや、一度決まって、撤回して、また決まった。
「デマゴギージャズ」
負け惜しみではなく気に入っている。
これに決まった過程は細かに書かないけれど、「たわごと」というタイトルが桑原裕子さんの過去作品と同じだと気づいた時、変更するなら思い切って違うイメージのものにしようと考えた。似たものにした場合、どうしたって次善の索である印象をまぬがれないしね。
スウィングジャズとかラテンジャズとか色々とあるが、デマゴギージャズというジャンルはない。いわゆる造語だ。
デマゴギーは「デマ」の元となるドイツ語で虚偽の情報などを意味する。
今回は、真偽不明な事柄が定着していく様子などを描くので「デマゴギーを奏でる」というイメージにした。ジャズとシンフォニーとブルースで少し悩んだ結果、ジャズだなと思って決定した。
……わりといきさつを書いてしまった。
設定と登場人物がまだ決まらない。
ぼんやり形になりかかってはいるんだけど、固めるにはまだ決定的に知識などが足りない。もちろん話はフィクションなので自由に考えればいいのだけれど、諒解感のある物語にするためには事実を知る必要がある。
今は明治時代の地租改正の本を読んでいるところだ。
あと、陰謀論などにハマっていく人の心理が知りたくて心理学関係の本も新た買った。
ここからどうするか?
とにかく設定と登場人物決めて、そこから展開を考えていかねばならない。いわゆる「プロット」というやつだ。プロットとあらすじは似ているけれど少し違う。
あらすじはストーリー展開だが、プロットは演劇としての仕掛けなどを多分に含む。あらすじだけを考えても、ダラダラとした説明くさいものにしかならないからだ。ストレートプレイの場合、基本的に場所は移動しない。ストーリーを時間軸に沿って考えるだけだと無理が生じる。だから場所や時間が大事になる。そこでなにを軸にし、どのようなエピソードを挟んでいけば舞台として成立するのかを考えるのだ。
それが終われば「箱書き」を始める。暗転から暗転の間、つまりワンシーンごとに一つの箱を作ってそこに展開や人の出入りを書き込んでいく。ここが一番厄介だけれど、これさえ終わればあとは台詞にしていくだけになる。つまり実際に書き出すことができる。
10月終わりから東京、そして戻ってきたら「神戸の湊、千年の交々」の稽古が始まる。
この二週間でどこかで行けるのか。
ただ、さっきも書いたようにまだ設定すら固まっていない。
だから先には進めない。
で、これはいつもやることなのだが……。
まず、今日と明日、いきなり台本を書くという暴挙に出てみる。登場人物も決まってないくせに10枚くらい書く。台本の体裁もめちゃくちゃでいい。この台本が使われることは100パーセントないからだ。
これをやると、設定や背景になにが決定的に足りていないのかが具体的に見えてくるのだ。これは実は私の秘伝のレシピだ。いや、みんなやってることなのかもしれないけど。