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【monopoの歴史1:出会い編】創業者2人の生い立ちと、音楽サークルでの出会い

東京を拠点に、ニューヨーク、ロンドン、パリなど、世界各国にブランチを構えるクリエイティブ・エージェンシー『monopo』。
国内外の名だたる企業をクライアントに持ち、世界的な広告賞も数多く獲得している同社は、2011年に2人の学生によって立ち上げられました。

岡田隼と佐々木芳幸。
早稲田大学の音楽サークルで出会った彼らは、どのような人生を歩み、いかにして会社を成長させてきたのか。
共同代表である2人の対話を通じて、monopoの歴史を振り返る連載を始めます。
第1回目は、それぞれの生い立ちから出会いまでを聞きました。

着物写真の帯は、二人の友人が経営する京都の織楽浅野の男帯。
monopoでは日本文化の世界発信のサポートにも注力していきたいと考えている。

音楽一家に生まれ、ミュージシャンを志した地方の少年

――本日はよろしくお願いします。monopoの歴史を振り返るにあたり、まずはお二人の生い立ちから話を始められたらなと思っています。

佐々木:5分バージョンと30分バージョンがありますけど、どっちでいきます?

――他にも聞きたい話がたくさんあるので、5分バージョンにしましょうか(笑)。

佐々木:そうですね(笑)。僕は北海道函館市出身で、父は高校の音楽教師、母は個人で声楽やピアノを教えているという音楽一家で育ちました。祖父母はどちらも自営業。父方の家はお菓子屋を、母方はスナックを経営していました。スナックの隣では、親戚のおじちゃんが酒屋をやってたりして、周りに商売人が多い環境でしたね。
小学生の頃は、学校帰りにスナックか酒屋でお小遣いをもらい、駄菓子屋に行ったり、児童館で遊んで、両親が迎えに来るまでスナックにいるという生活をしていました。大人が飲んでいる横で、焼き鳥を食べ、ジュースを飲むのが日常でしたね。

――小さな頃から、いろんな人と出会う環境にいたんですね。

佐々木:はい。家では母が教室をやっていたので、3歳くらいからピアノを習っていました。ピアノを練習しないと外に遊びに行けない日もあったくらい、けっこう厳しい家で。

――いずれは音楽の道に進んでほしいという想いがあったんですかね。

佐々木:どうなんですかね。でも、天才だって言われて育ちました(笑)。ただ、周りはみんなエアガンとかで遊んでて、やっぱりそっちのほうが楽しいじゃないですか。なので、ピアノは3年生のときにやめました。
それまでは全然努力もせず、母の見様見真似で、センスのみでやっていたんですよ。でも、そこから先は、ちゃんと楽譜を読めないと伸びない領域なので限界も感じていました。

ピアノをやっていた幼少時の一枚

佐々木:ピアノをやめてからは、和太鼓クラブに入りました。小学校3年生のときの先生が、和太鼓を広めるみたいなことをしている人で。八丈島の『ドンドラ節』っていうのを、文化祭で発表することになったんです。
だけど、ステージに上がって太鼓を叩けるのは8人だけ。他の生徒は菜箸で床を叩くっていう、すごいヒエラルキーで(笑)。

――バチも握らせてもらえないんだ(笑)。学校だと全員分の太鼓があるわけじゃないですもんね。

佐々木:僕は人前に出るのが好きじゃなかったので、最初は菜箸をやっていたんですよ。だけど、練習のときに菜箸で裏拍子を打っていたら、いきなり先生にフックアップされて。「佐々木くん、リズム感いいでしょ」って言われて、急にエースみたいなポジションに任命され、ステージで最後のトリを任されたんです。

――漫画の第一話みたいな展開ですね!

佐々木:演奏も上手くいって、めっちゃチヤホヤされました。あれは強烈な体験でしたね。人前に出るのが楽しいと思うようになりました。

佐々木:中学生のときにはベースを弾き始めて、同じ函館出身のGLAYのコピーバンドをやっていました。毎日GLAYのライブDVDを見て、「俺はミュージシャンになる」と思い、ドームで歓声を浴びている自分の姿を想像していましたね。
だけど、高校に入ったら自分より勉強もスポーツもできて、なぜかギターまで上手いみたいなやつがいるんですよ。そのなかでどうやってポジションを取るかを考えた結果、楽器が上手いメンバーを集めて学校で1番上手いバンドを作ったり、先生に掛け合って文化祭予算をもらってステージを仕切ったりしていました。高3のときには、出演できるバンドを決めるための面接をしたりして。

――すでに経営者の片鱗が。

佐々木:そうやって調子に乗っていたので、けっこう嫌われていたらしいですけどね。生徒会副会長に立候補したけど、まったく支持が集まらなくて落ちたし(笑)。

――高校生の頃もミュージシャンを目指していたんですか?

佐々木:高2のときに無期停学になって、将来について初めて両親と話したんですよ。親父に「お前は将来何がしたいんだ」って聞かれて、「ミュージシャンになりたい。勉強はやる意味が見出せない」みたいなことを言いました。
そのときに母親が「大学は親が子どもにできる最後のプレゼントだから、その4年間は自由に使いなさい」って言ってくれて。ただし、「日本の音大に行っても、お前のやりたい音楽はできない。行くならバークリー音楽大学に行け」みたいなことを言われたんですよ。両親も音大出身だから、どんなことが学べるかはわかってたんでしょうね。バークリーに行かせるお金なんてないだろうとは思いましたけど。

――音楽をやりたい気持ちを応援してくれたんですね。

佐々木:それでいろいろ調べたら、音大に行くよりも早稲田の音楽サークルのほうが熱いと思うようになって。早稲田の音楽サークル出身で、好きなミュージシャンが多かったんです。その頃はもう現実的な考え方になっていて「GLAYになりたい」っていうより、スタジオミュージシャンになろうと思ってました。

――楽器の演奏で食べてきたいと。

佐々木:そうそう。それなら家にグランドピアノがあって、毎日練習してるような人と友達になるより、早稲田に行って仕事がありそうなところに身を置いたほうがいいだろうなと。それで、早稲田に行くことを決めたんです。

小学生でピアノ、中学生でベースと出会い、高校生でバンドの全国大会へ

佐々木:めっちゃ喋ってごめんね。全然5分じゃ終わらなかった(笑)。隼くんの番にしよう!

岡田:今の感じだと、大学時代まで話せばいいですかね。僕は千葉県出身で、父はサラリーマン、母は専業主婦という家庭です。祖父は両方とも職人社長で、日本の高度成長期にデベロッパーの仕事をやっていました。鉄道会社が線路を延ばすと、作った駅の周りを発展させるじゃないですか。そういうところにビルや住宅を建てるような仕事ですね。
父方の祖母は保険のセールスですごい売り上げを立てていた人で、母方の祖母は7人兄弟のうちの男5人が全員社長という家でした。なので、遡っていくと経営者が多い家系なんですよね。

幼少期、4・5歳ごろの一枚

――そういう環境で育って、将来は何になりたいと思っていましたか?

岡田:小さい頃は、よくある子どもの夢でサッカー選手になりたいと思ってましたけど、中学生の頃には体育会系のノリが辛いなと感じていましたね。
僕も小学生の頃にピアノをやっていて、父親は趣味でギターやベースを弾く人だったんです。だから、音楽にも興味があって。中学に入ってから、同じクラスにビートルズが好きでギターをやってる友達がいたんですよ。その友人から「お前の家には親父のベースがあるし、お前は左利きだ。ビートルズのベースも左利きなんだ。ベース借りてきて、バンドをやろう!」って誘われて。中3の夏にサッカー部を引退してから軽音部に入って、夏休み中はずっとベースの練習をして、秋の文化祭に出たんです。

――そのときは、どんな音楽をやっていたんですか?

岡田:コピーバンドなんですけど、めっちゃ渋くて。周りは日本のロックやポップスをやってたんですけど、僕らはエリック・クラプトンがいたクリームってバンドのコピーをしてました。

佐々木:渋すぎる(笑)。先生だけが喜ぶやつだ。

岡田:先生たちは大喜びだったね。あとは、ザ・フーとかビートルズもやってたかな。

岡田:高校は早稲田の付属に入って、千葉から練馬まで通っていました。毎日ぎゅうぎゅうの電車に乗って、1時間半かけて。
高校ではバンド活動をしながら、学祭の実行委員もやっていたんですよ。高3のときには副委員長として学祭の仕切りをやっていました。

――ピアノ、バンド、学祭の仕切りと、お二人には共通点が多いんですね。

岡田:言われてみたらそうですね。バンドは学外でもやっていて、高校生の全国バンドコンテストにも出ていました。その大会の決勝では横浜アリーナで演奏したんですよ。

――すごい!

佐々木:俺もバンドコンテスト出てたなー。全道大会で負けて、札幌止まりだったけど。

岡田:TEEN'S MUSIC FESTIVAL?

佐々木:そう!一緒だ。

岡田:決勝までいったときには、もうミュージシャンでやっていくぞみたいな気持ちでしたね。

――このメンバーでバンドを続けていこうと。

岡田:その頃には、ちょっと亀裂が入り始めてたんですけどね。

佐々木:うわー、その頃、俺もバンドに亀裂入ってたわ(笑)。

岡田:入るんだよなー(笑)。

岡田:これもたまたま佐々木と一緒なんですけど、僕も高校生の頃からスタジオミュージシャンに興味があって。地元で開催されているジャムセッションに通っているうちに、ボーカル教室の発表会でバックバンドとして弾かせてもらえるようになったんです。ちゃんとギャラもいただいて。

――高校生にして、すでに演奏でお金を稼いでいたんですね。

岡田:大学でもバンド活動は続けていて、早稲田の『THE NALEIO(以下:ナレオ)』という音楽サークルに入りました。ファンクやソウル、R&Bを中心に演奏している、玄人好みな音楽のサークルなんですけど。そこで佐々木と出会ったんです。僕が2年生、彼が1年生のときでした。

「プロミュージシャンになりたい」という気持ちが繋げた2人の出会い

――お二人が初めて会ったのは、どのような場面だったのでしょうか?

岡田:夏にサークルのライブがあって、その打ち上げ会場が高田馬場にある『わっしょい』というお店だったんですよ。2階にあるお店なんですけど、そこで飲んでいたら「下で岡田を呼んでる人がいるよ」って言われて。
階段を下りて行ったら雨がザーっと降っていて、店のひさしの下にライブを見に来てくれた僕の同級生と、半濡れになった佐々木が立っていたんです。「こんなところで話すのもあれだから、上に行こう」って言ったのが、たぶん最初の会話だったと思います。

――そのときは、佐々木さんはまだ同じサークルではなかったんですね。

佐々木:僕は「速弾きできること=上手い」だと思い込んでいたんですよ。プロになるならテクニックだろうと思って、最初は1番技術が学べそうなサークルに入りました。だけど、2ヶ月くらい経って「上手いっていうのは単にテクニックの話じゃないかもしれない」と感じ始めて。
とにかくプロになりたかったから、先輩に「音楽でお金を稼いでいる人っているんですか?」って聞いたら、「ナレオってサークルに、岡田ってやつがいるよ」って教えてくれて、一緒にライブを見に行ったんですよ。たぶん、隼くんのライブを見るのは2回目だったけど、挨拶はしたことがなくて。話を聞きたいって先輩に言ったら、「わっしょいで飲んでるらしいから行ってみる?」って流れになったんです。だけど、お店のなかには入りにくいから、誰かに呼んできてもらって。

――そこでどんな話をしたんですか?

佐々木:どうやったら音楽で稼げるようになるのか聞いたら、「上手いとかは関係ないよ」って言われたのを覚えていますね。「上手いからプロなんじゃなくて、お金をもらうからプロなんだ。お金をもらうにはいろんな理由があるし、それは演奏技術だけじゃないよね」みたいな。僕としては、もう目から鱗で。

岡田:そうだっけ。もう15年以上前だし、だいぶ忘れてきてるなぁ。

佐々木:でも、いいこと言ってるよね。

知り合ったころの一枚

佐々木:例えば、ライブが終わったあとにスタッフの方に挨拶をするか・しないかで関係性は変わるじゃないですか。そこでいい関係を作れることで、次の何かに繋がるかもしれない。そうやってひとつの行動で未来が左右されると考えたら、テクニックを学ぶ以外にもやるべきことがいっぱいあると思ったんです。
そのあとすぐに当時あったSNSのmixiで隼くんと繋がって、「ジャムセッション行こうぜ」ってメッセージをもらいました。僕は「ジャムセッションとは?」って感じだったんですけど、楽器を持った人が集まって、その場で手合わせをする場があるっていうのを教えてもらって。

岡田:普通のライブイベントでは演者さんとお客さんが分かれていますけど、ジャムセッションのイベントは客席でみんなが楽器を持っていて、自分の順番がくるとステージに上がって、初めましての人と一緒に演奏するんです。僕もよくジャムセッションに行っていたし、自分でも主催していて。

――そういうところに行くことでスキルアップにもなるし、人間関係も広がっていくんですね。

学生時代の佐々木

佐々木:そのときに誘ってもらったのが、新宿の繁華街の地下2階の怪しいライブハウスで。土曜日の23時から朝5時までやってるジャムセッションがあるから、そこに来いって言われたんですよ。ビビりながら行ったら、お客さんが3、40人はいて。遊びで来てる人もいれば、すごい大御所のプロが飛び入りで参加することもある現場なんですよ。

――そこで誰かの目に留まったり、知り合って仕事をもらえたりすることもあると。

佐々木:そうです。そこでどう存在感を発揮して、知り合いを作り、仕事をもらえるように営業するかが勝負だと思って。ひたすら名刺を配って、mixiを申請して、「なんでもやるんで」って言って回りました。その結果、生まれて初めてライブで演奏する仕事をもらったんですよ。あれは嬉しかったですね。
そうやって隼くんと遊ぶようになって、僕もナレオに入り、そこからはサークルの先輩後輩って感じで仲良くなりました。一緒にバンドをやっていたわけじゃないんですけど、ずっと一緒にいましたね。

【monopoの歴史2:創業編】へ続く
シリーズ monopoの歴史は毎週水曜日に更新です。どうぞお楽しみに!


インタビュアー・執筆:阿部 光平
撮影:monopo Tokyo


もっとmonopoのことを知りたい! という方はぜひこちらをご一読ください。


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