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本を通して繋がるということ

高校2年の夏、一通の訃報が舞い込んできた。あまり面識のなかった親戚の訃報だった。
その人と僕はあまり関りがなく、両親と祖父母があれこれと思い出話をしていてもピンとこずにいた。

告別式が終わったあとで遺族の方に誘われ、家へと出向くことになった。
アルバムをめくりながら、思い出話が始まる。
僕だけが置いてけぼりだった。
そうして何枚かの写真を見ながらの思い出話が続き、ある写真のところで亡くなった方の奥さんが「あっ」と顔を上げる。

「○○君、本が好きなんでしょう?」

急に問われ、驚く。

「はい。好きです」
「あの人も好きでね。二階に書斎があるんだけど、見る?」

本を手にしている写真を見て、そういえばと思い出したという。どうやら、祖母が僕のことを電話で何度か話していたようだ。

二階へ行き、案内された書斎へ入る。
窓からの光が差し込み、本棚に囲まれた空間は、思ったより開放的だった

「あの、少し見ていていいですか?」

僕が聞くと、奥さんは「もちろん」と笑顔で答えてくれた。
書斎にひとり残り、本棚に並ぶ本の背表紙をひとつひとつ見ていく。
小説もあれば経済系の書籍もあり、美術の本も多くある。ジャンルが幅広い。
「読む」ということが好きだったのだろう。知る・得るということ以前に、読みたいという欲求が感じられる。
なんだか、それだけで急に身近に感じられた。

結局、帰る寸前まで僕は書斎にいた。背表紙を見つめ、どんな風に読書を楽しんでいたのかを想像していた。
話してみたかったな。書斎を出るとき心にわいてきたのは、そんな言葉だった。

帰る間際、線香を一本あげていくことになった。
火をつけ、香りのいい煙を感じながら手を合わせる。

一度、あなたと本についてお話ししたかったです。
手を合わせながら、心の中で言う。
読書は孤独な趣味のように思えるが、読むという行為は、同じものを読む他の誰かと無意識に対話することなのかもしれない。
共有する好きがあるということは、それだけで「繋がり」を生む、そんなことを考えた。

持ち主をなくした多くの本たちに思いをはせながら、僕は家を後にした。

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