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般若心経③

武術研究家のモノノフです。
般若心経の続きです。

是故空中無色
ぜこくうちゅうむしき
このように実体がない境地からすれば
なにもないんだから

無受想行識
むじゅそうぎょうしき
心の動きや感情もない
感情などもない

無眼耳鼻舌身意
むげんにびぜつしんい
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚といった感覚もない
五感などの感覚もない

無色声香味触法
むしきしょうこうみそくほう
色、音、香り、味、触るものがそもそもない
五感で感じるものもない

無限界乃至無意識界
むげんかいないしむいしきかい
自分が見ている世界から頭の中の世界まで全部がない
見ているもの考えているものもない

今回はここまでにします。
この辺りは『一切空』の教えから何もないんだよって言うことを延々と説明している部分になります。これだけクドく言っているのはそれが重要で根本的な考え方だと言うことだと思います。

感情なども存在していないわけだから苦しみもないと言うところで仏教における苦しみを表す言葉で『四苦八苦』と言うものがあります。『四苦』は割と有名でしょうか。『生』、『老』、『病』、『死』です。『八苦』とは、『四苦』に愛するひととの別れ『愛別離苦(あいべつりく)』、憎いひとと一緒にいないといけない『怨憎会苦(おんぞうえく)』、欲しいものが手に入らない『求不得苦(ぐふとくく)』、自分の心身のコントロールが効かない『五蘊盛苦(ごうんじょうく)』の4つを含めて『八苦』となっています。

さらに数字を使った佛教の言葉で『六根』というものがあります。これは今回出てきた『眼』、『耳』、『鼻』、『舌』、『身(触覚)』などの五感に、心にあたる『意』を足したものです。修験道のひとが滝に打たれたり、厳しい山を登ったりするのに「六根清浄!(ろっこんしょうじょう)」といったりする『六根』です。心が折れそうな時に「六根清浄!」と言うことで悪い誘惑を跳ね除けるのだそうです。

修験道は神道の流れがありますが、「六根清浄」のような佛教的な言葉を多く使います。これは日本土着の神道に佛教が吸収されてきたことに由来します。八百万の神のような万物に神が宿ると日本ではされてきました。神道がもともと日本にあった宗教です。神道は割となんでも取り入れてしまう宗教で、佛教に限らず他の宗教も取り入れてきました。その中で神仏習合という文化が日本に生まれ、神様仏様と並べるように区切りが曖昧だったことに由来します。明治の時代になり『神仏判然令』によって神と仏は明確に分けるようにされました。昔は神社の中にお寺があったりしたのですが、それが廃止されていったのです。

奈良時代から佛教が伝来し、神仏習合の文化は僕は日本人的で素敵だなと思うのですが、明治の偉いひとが廃止したんですね。どこかに残っているのかと思って調べていると残っているのです。

皆さんは東大寺のお水取りという行事を知っているでしょうか。東大寺というからにはお寺の、佛教の行事なのですが、この中に神道の動きがあるのです。弊(ぬき)とか御幣(ごへい)と言われる神主さんが振る棒わかりますかね。棒の先に白い紙がついていてお祓いをするあれです。あれを使うのです。そしてそれを使う時は袈裟を掛け変えます。普通袈裟は右肩からかかっているのですが、袈裟を左肩に掛け変えます。神道の動きをする時はそうするそうです。明確に佛教と神道が共存しているのです。

1300年以上前から連綿と続いているのです!!!

お水取りは新型コロナウイルスだろうが戦争だろうが途切れたことはありません。世界で一番続いている行事じゃないかとさえ思います。

モノノフ

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