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寿命やと思うんよ
はじめに
森永卓郎さんが亡くなられました。ご冥福をお祈り申し上げます。
森永さんのことは正直あんまり好きではなかったですが、亡くなればみな仏様です。ご冥福をお祈り申し上げるほかありません。
森永さんは自分の寿命を察し、最後に何冊か本を出されていましたが、それはそれで本は残るのでいいことだなと思いながら見ていた。
ひとが亡くなるということに関して距離感の近い職業なので、一般のひとよりはあまり感情の上下がないのだが、僕が最近気になるのは介護施設や病院が訴えられている例だ。被害者本人が本当にしたいことだったのだろうか。
事例
症例1
施設内での転倒
症例2
移乗時の落下
症例3
団子を喉に詰まらせた
これらで利用者が勝訴している例がある。もちろん施設側に非が認められていない事例もあるのだが、僕は余程の過失がない限り施設側や病院の非は認められるべきではないと考えている。
僕が思うに老人が転倒して死亡するということや、食べ物を喉に詰まらせて死亡するということは非常に当たり前のことのように思うのだ。
普通に生活していたら起こり得ることで、これに施設の安全管理に落ち度があるとは言えないように考えている。もし、これらを完全に避ける義務が施設側にあるとするならば、ベットに縛り付けて点滴を入れ続けることがベストだと思うのだ。
それこそ医療費の増大で問題になっている寝たきり老人になってしまう。そこに正義はあるのだろうか?
問題点
まず、最低限病院や施設は人員の配置などに問題はないものとする。
その中で転倒や食事を喉に詰めるはその後の対応さえまずくなければ責められるポイントはないと考える。
まず、問題なのは遺族だ。施設の対応に不満などがあるなら施設を使うべきではない。よほど有料のお高い施設を使っているなら話は少し変わってくるが、保険でなんとかなる範囲なら正直文句を言うべきではない。人数にしてもお金にしても本当に最低限なのだ。介護保険で施設が儲かる量など本当にしれているのだ。当然介護士に払われるお金も少ない。
それが不満なら自分で介護をすればいいし、人手が足りないなら自分でひとを雇ってやってみればいい。不可能なことがわかるだろう。
ただ、人間性に関してはひとそれぞれであり、僕自身偉そうなことは言えないだろう。僕は一番の問題は司法だと考える。これに賠償を認めるから遺族も訴えるし、弁護士も訴えましょうとなるのだ。
裁判官は医療に対してかなり厳しい判決を多く出している。正直裁判官は医療を知らないのだろう。世界的に見てどれほど低賃金で専門的な仕事をしているのかが、わかっていないのだ。僕は明確に非難する。日本の司法の医療に対する考え方は知識が足りなさ過ぎる。流石に大事な判決を出すのにもう少し勉強をしてほしいものだ。
おわりに
職業柄ひとの死というものを多く見てきた。幸せなものもあればそうでないものもある。その中でよく言われるのがピンピンコロリなのだが、それをやろうと思えば、どこかでいきなり死なないといけない。心筋梗塞や脳梗塞ももちろんあると思う。しかし、転倒や食事を喉に詰めるというのも老人であれば妥当ではないだろうか?
最近は抗がん剤も良くなり、がんでの死亡数も減ってきたり、5年生存率も上がってきた。その時間を使って本を書いた森永卓郎さんは優秀なひとだと思う。
みなさんはどう死にたいですか?それには何が必要か考えたことはありませすか?
もう人生を折り返したであろう僕も考えなくてはなりません。