武井壮さん、石井慧さんのTwitter問題(スポーツと武道の違い)
Twitterで武井壮さんが
「その国の文化を背負って戦うのもオリンピックの素晴らしいところなんだ。」
というコメントに対して、
石井慧さんが、
「本気でやったことがないんだろうな。」
というコメントをしたとのことでした。
僕からしたら武井壮さんも石井慧さんも天上人なので、
天上人の会話なのですが、
武井壮さんのコメントに対して、
石井慧さんのコメントが微妙に納得がいかないというか、
ズレを感じています。
武井壮さんのコメントはアスリートに対するリスペクトのあるコメントだと思うので、それに対して石井慧さんのコメントが辛辣すぎるなと。
僕が思う見解を話させていただきます。
このズレは
スポーツと武道のズレ
だと思います。
武井壮さんは100%本気でスポーツに取り組んでいたと思います。
僕は今までの発言などで勝手にそう判断させていただきました。
石井慧さんの本気というのは『死と隣り合わせ』という意味で使われているのかなと思います。
石井慧さんは185cm110kgで北京オリンピック100kg超級で金メダルを獲った選手です。
自分で仰っていました。
「小さい方なんで、、、」
小さいの⁉️
って感じですが、小さいんです。無差別の中でかつ競技のことを考えると、
本当に死と隣り合わせの環境と言っても差し支えないでしょう。
僕は石井慧さんが頭の悪いかただと思っていますが、
こと柔道に関しては天才です。
日本人としては破格の体格を持ちながら、
周りと比べると小柄なため、
技は確かな技術で、キレも抜群、
理論もしっかりしていました。(動画参照)
武井壮さんは間違いなく本気でスポーツに向き合っているとは思いますが、
死と隣り合わせではなかったと思います。
ただ、死と隣り合わせの本気の方が偉いのかというとそういうわけでもないかなと思うので、そこにズレがあるのかなと思っています。
つまり、
どちらも本気だが、本気の定義の違いから、
石井慧さんがちょっと辛辣なことを言っちゃった
が、結論ではないかと思います。
ここは石井慧さんの頭の悪さが少し出ちゃったかなと思いました。
死と隣り合わせで文化を背負って戦うも何もないっていうのもわかりますけど、
スポーツを少し下にみた発言かなと思います。
僕は武道が好きだし、石井慧さんがすごい世界線で戦っておられるのも尊敬しています。しかし、スポーツはスポーツなわけで、武道とは違います。
それを下に見たりするのも違うかなと思います。
オリンピックはあくまでスポーツの祭典であり、
命のやりとりをする場所ではありません。
武道のあり方とスポーツの意義は別問題なので、
そこを分けて考える必要があるのではないでしょうか。
そして武井壮さん、石井慧さん、どちらも本気でどちらもすごい人間だということは間違い無いのではないでしょうか。