病気を理由の無罪はありなのか?
はじめに
Xでこんなやり取りを見つけた。
「病気を理由に無罪にするのは良くない」この意見に多くのいいねが付き、おおよそのひとが支持していた。しかし、一つだけ反対意見があった。
「それは差別主義者の考え方だ。本当に3歳児程度の知能しかない知的障害者もいる。お前は3歳児がよくわからずひとを殺したとして、刑務所に入れるのか?」というものだった。
これはどちらの意見もあるだろう。ちなみに僕は無罪にするのは良くない派だ。それらの理由を語っていきたい。
反対意見に対する反対意見
「それは差別主義者の考え方だ。本当に3歳児程度の知能しかない知的障害者もいる。お前は3歳児がよくわからずひとを殺したとして、刑務所に入れるのか?」
という意見だが、これは僕はおかしいと思う。日本では年齢で罪に問われないことがある。14歳未満(不確か)だと刑務所にはほぼ入らないだろう。仮に犯人が3歳だとしよう。刑務所に入ることはないだろう。しかし、お咎めなしだろうか?
親からひどく叱られると思うし、僕が加害者の親ならめちゃくちゃ叱ると思う。罪も罰もなくなるとはとても思えない。親は責任を取らないといけないし、子ども本人も無罪です何にもなしはないと思うのだ。
差別はどちらの方が起こるのか?
反対意見のひとは「お前は差別主義者だ」みたいなことを書いていたが、僕はむしろ病気で無罪にする方が差別が起きるのでは?と思うのだ。
例えば、ある精神疾患(仮にZ病とする)だったひとが病気を理由に無罪になったとする。Aさんは特に問題を起こしていないがZ病だとしたらこんなことを思われないか?
「このひとはひとを殺しても無罪になるんだなぁ」
これの方が差別ではないか?悪質なひとでは
「俺は精神病だからひとを殺しても罪に問われない」というひともいるだろう。
そんなひとの存在が許されている方が問題だと思うのだ。
病気を理由に無罪がなぜ許せないか
僕の理由としては、重大事件の場合被害者が納得いかないということだ。
例えば、認知症患者が自分の家とわからずにコンビニの棚から万引きしたという事件があったとしよう。
この場合、家族が弁償し、店主も病気の事情を汲んでくれて弁償さえしてくれれば大丈夫ですと言ったとしよう。
これは無罪でもいいと思う。
次に、Z病の患者が悪魔に取り憑かれたといい、被害者を殺したとしよう。
病気で無罪ですと言われて、被害者家族は納得できるだろうか?
僕は情状酌量の余地はあるとは思うが、基本的には普通に裁判をかけた方がいいと思うのだ。そもそもひとを殺そうとしている人間は皆正常という状態ではない。多かれ少なかれ病気と言っていいだろう。
司法の基本的な概念から外れるかもしれないが病気の場合、無罪にするかしないか、許すか許さないかは被害者ないし被害者が死亡した場合は被害者家族が決めていいと思うのだ。
ちなみに今もそうかは知らないが、少し前までとある砂漠の国では子どもを殺した犯人が絞首刑になる場合、親が犯人の乗っている椅子を蹴る権利を持っているなんていう国もあった。
知的障害はどこまで認めるのか?
今回の例では知能が3歳ぐらいでみたいな話があった。知能は3歳ぐらいだが、大人の身体を持っているということだ。僕は子どもを育てているが、3歳の時でも命に関わるような失敗した時に大いに叱ったし、何かあれば自分で責任を取る所存だった。知的障害だから許されるということはないと僕は思う。少なくとも3歳でも叱ればしてはいけないことだとわかるし、衝動的に何かしてしまったとしても、叱らないという選択肢はないと思うのだ。
理解できなければ罰を受けなくていいのか?ということになると思うのだ。
例えば、サイコパスは実験的にひとを殺すことがある。サイコパス本人は悪いとは思っていない。ひとを殺すことが悪いとは理解できていないのだ。理由は違うが理解できていないという点では同じだ。理解できていないは罰を受けない理由にはならないと僕は思う。
おわりに
今回の僕の意見は非常に偏りがあり、反対意見ももちろんあると思う。
ただ、僕は自分の身内が傷つけられたり、殺されたりした時に病気ならしかたないねと思えるほど大人ではない。
医療従事者だし、多くの知的障害者や精神疾患の患者を見てきてもそう思うのだ。そして、多くのひとが病気を理由に自分が悪いことをしていいとは思っていないし、普通に社会で生活している。できるのだ。
そのひとたちの地位を下げないためにも僕は罪に対してしっかり罰を受けるべきだと思うのだ。
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