ルディと、こまっちゃん。
「婦人公論 8/25」で「いまとぎのお葬式」の取材をしました。
訪れた場所のひとつは、生花祭壇に代えて、大きな「シルクスクリーン」を使った祭壇をメインに提案している葬儀社の倉庫。以前、別件で取材したときに「自宅に帰りたい」といわれながらも病院で亡くなられた故人のために、自宅の書斎を写真に撮り、それを映画館のスクリーンのように引き伸ばしてパネルに貼り付け、祭壇の棺の後ろのスペースに設置した。葬儀場での事例写真をみせてもらったことがありました。
まるでその部屋にいるかのようなリアルさで、「ああ、こういうふうに工夫して送ってもらえるのはいいなぁ」と印象に残った。写真選びをしたり準備している間、なくなったひとのこと考えることになるからだ。それが半年くらい前のこと。「婦人公論」誌の編集者から「新しい葬儀のかたち」のルポの依頼と聞いて、そのシルクスクリーンの製作現場を見てみたいと提案したところ、取材がかないました。
じつは、わたしのよくある話なんですが、過去にも「霊柩車の工場」を訪問したときにも、基礎となる「クルマの車体を切断して、棺桶を載せる部分だけボディを後ろに延ばす」と事前に知り、工場には「巨大なギロチン」が置いてあるものだと期待して行ったら、そんなものはなく、工場の社長さんにアハハハと呆れられたことがありました。
▲テーブルに広げられた「祭りの日の法被姿」の写真を大きく印刷された布地、これを祭壇の後に立てるパネルに張り合わせる。
今回のシルクスクリーンも、「製作現場を見たい」というわたしのリクエストに対して、葬儀場でパネルに貼り付けているところか、シルクスクリーンが出来上がってくるところか、どちらがいいですか? 葬儀社さんの広報の方からそう聞かれ、後者を選んでんいたんですよね。
何人かスタッフがいて、ああだこうだと言いながらデザインをしている様子を頭に浮かべていたら、新木場の倉庫街にある、葬祭の道具を揃えた倉庫兼事務所には、大きなシルクスクリーンを印刷する専用プリンターが置かれていて、「別の場所でデザイナーが作成したデーターにもとづき印刷される」という。
つまり、印刷を管理している部署で、説明していただいたのは、ついこの間まで葬儀の現場に立っていた女性。詳しく「製作過程」を教えていただけて、プランナーとして喪主さんとのやりとりなどの体験逸話はへぇー、ほぅーと聞き入るものは多かったんですが、シルクスクリーンそのものが出来上がるプロセスは「このプリンターで…」とあっけなかった。ギロチンを期待して、工場内を何度も見回したあの感覚。
でも、帰宅後もここへはもう一度行きたいなと思うようになりました。というのは「ルディ」という保護犬が倉庫内で飼われていて、終業後は番犬として留守を守り、朝夕には社員さんたちが交替で近所に散歩に連れ出しているそうなんですが、「その散歩は勤務時間に入るんですか?」と聞くと「えっ、さぁ、どっちでしょう?」と迷われる。そういう質問は想定外だったのでしょう。
取材の最中も、事務所の奥の壁に貼られた習字の半紙がいっぱいあるのが気になって、「これは?」と尋ねると、この数年恒例の社員の「年始の抱負」だそうで、右端の下に「散歩 ルディ」と書かれた一枚を見つけ、笑いました。いい会社だなぁ。こんな会社で過ごせるなんて幸せだろうなぁと、ルディのことを思った。なごやかな社風というのは、こういうところに出るというか。
会社の名前は「アーバンフューネスコーポレーション」。若いスタッフが多い気持ちのいい会社でした。
もうひとつの取材のこぼれ話は、埼玉県熊谷市にある曹洞宗見性院。「送骨」で知られるお寺ですが、拙著『お弔いの現場人』の取材以来、三年ぶりに訪ねてみました。
「送骨」は、引き取り手のない遺骨を「ゆうパック」で送ってもらい(納骨費用は3万円)、寺院の「永代供養墓」に納骨するということを続けておられるお寺で、最初は逆風を受けもしたけれども、この数年で試みを模倣するお寺が増えてくるようになり、さて「元祖」はどうされているんだろうと気になっていたところでした。
住職の橋本さん、相変わらず眼光鋭いお顔のわりに、にこやかによく笑って話していただけました。しかし、黙ると強面。
気になっていたのは、以前訪問したときに出会った笑顔のお坊さんがその後も健在なのかどうか。こちらの気持ちを見透かしたかのように住職が「コマっちゃんもいた方がいいでしょう」と声かけをされていました。
寺院内で彼は「コマっちゃん」と呼ばれているんだ。なんだか「ルディ」に寄せた親近感を抱きました。
橋本さんが迫力満点なのに対して、年若い「コマっちゃん」こと小松さんは相変わらず対面中ずっとニコニコされていて、独特のその笑顔から、彼を法要などの際に「ご指名」になる方が多いのだとか。
この日はたまたま本堂で水子供養の法要がとり行われることになっていて、小松さんが御経を読まれるというので、外から覗かせてもらいました。
法要の意味を語る最初の説明は、おっとりした調子で、正直いくぶん心もとなく思えもしたのですが、正座をし、いざ御経を唱えはじめるとソフトボイスが一変、低くズシリと重たい声。いい響きなんですよね。わたし、まったく信心はないんですが、小松さんの御経を聴いていると穏やかな気持ちになってくる。15分か20分くらいかなぁ。聴き入っていました。
「アサヤマさんは、縁結びなんですよ」
橋本住職にそう言われて、はて、なんのこと? 教えてもらったのは、小松さんは昨年結婚式をあげられたそうなんですが、拙著の中で小松さんのことを紹介したのを読まれた小松さんの彼女が、小松さんの御経を聴いて惚れ直したのだとか。
「あと、コマっちゃんが、拉致されかかった話をね、披露宴の挨拶でしたんですよ。本にも書いていただいた、あの話。これでまた、奥さんのご両親から信頼を得られたようです。まあ、寺院はいまや斜陽ですから、娘を嫁に出して大丈夫かと危ぶまれていたそうで……」
「拉致」とは不穏な話だが、橋本住職のお寺は「檀家制度」撤廃や「お布施」料金公示などの改革を行ってきたことから(今回の取材では「お坊さんのいないお葬式」と提携することになったと知られされ、驚いた)、当然こうした大胆な改革に反発するお寺も少なくなく、見性院に入って間もない頃の小松さんは他の寺院の先輩僧侶たちから、ある集まりで取り囲まれ「おまえ、あの寺にいたら僧侶として一生を誤るぞ…」と凄まれ、見性院からの脱退を迫られたのだとか。
そのとき彼がどういう判断をしたのか。
あまりのことに仰天。僧侶が恫喝するなんて考えもしなかったから、その態度に驚いたそうです。数日考え込んだ末、判断が間違ったなら僧職をやめる覚悟でこの住職についていこうと決めたという。
邪気の感じられない笑顔のこの小松さんが信じてついていこうというのだから、橋本住職は信頼できるお坊さんだろうとわたしも思いもした。だから、そういう経緯もあって、今度再訪したときに「じつは彼はね……」なんて言われたらショックだなぁと心配していたわけです。
その小松さん、三年前よりもニコニコパワーもアップし「おかげさまで結婚できました」と指輪を見せてくれるので、「うん。やはり、いいお寺だわ」と思った。
ところで、あのルディ。一度顔を覚えたら、「二度めからは吠えないんですよ」という。自信たっぷりに言われたあと、「あ、でも、吠えられた社員がいました」とも。そうなると確かめたくなるものです。どこかで「社員が朝夕散歩させる番犬のいる葬儀社」のルポとかできないかしら。
写真撮影&文=朝山実
見性院について➡https://note.com/monomono117/n/n0af09ccba213
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