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ノンフィクションライターの井上理津子さんにききました【インタビュー田原町06】記録


「ここはまっすぐ褒めようか。いや、ほめすぎるとアザといと思われるかな。逆に変化球を投げてみようか……。そうやって探っていくのが好きで。だからこの仕事をずっと続けているような気がします」

12/16浅草のReadin’Writin’ BOOK STOREにて、
『師弟百景』(辰巳出版)、『葬送のお仕事』(解放出版社)を書かれたノンフィクションライター・井上理津子さんをゲストに、2時間公開インタビューを行った記録です。
あえて要約すると、現場に即した具体的な取材の仕方、取材者の「私」の使い方などについて話してもらいました。

話し手=井上理津子
聞き手🌙朝山実

【ちょっと前置き・インタビュー田原町の説明 ※飛ばしてもらってok

「インタビュー田原町」は、週刊朝日の「週刊図書館」で30年間、著者インタビューを務めてきたフリーライターの朝山実が、雑誌休刊で「毎日が日曜日」とぼやいていた折、面白そうな本を見つけはしたけれどアウトプットできそうもない。ふと以前、安田浩一&金井真紀『戦争とバスタオル』(亜紀書房)の刊行記念イベントを観覧したことのある、浅草の本屋さん「Readin’Writin’ BOOK STORE」を思い出し、「突然ですが、『芝浦屠場千夜一夜』という面白いノンフィクションがあるのですが、お店をお借りして公開インタビューをさせてもらえませんか?」とHPからメールを送ったところ(店主の落合さんとは話したこともなかった)、快諾いただけたのが始まりです。
一回きりの試みのはずが、落合さんから「月刊田原町はどうでしょう?」とお誘いを頂き定例化しています。
ちなみに「田原町」は、Readin’Writin’ BOOK STOREまで徒歩3分の最寄り駅の名前です。
01は『芝浦屠場千夜一夜』を書かれた山脇史子さん。
02は『ジュリーがいた』を書かれた島﨑今日子さん。
03は『ルポ 日本の土葬』の鈴木貫太郎さん。
04は『仁義なきヤクザ映画史』の伊藤彰彦さん。
05はドキュメンタリー映画『NO選挙、NO LIFE』(前田亜紀監督)の「主人公」となった畠山理仁さん(著書に『黙殺』など)をゲストに迎えました。
次回は、『触法精神障害者 医療観察法をめぐって』を書かれたノンフィクションライターの里中高志さんがゲスト。殺人などを犯しながらも心神喪失を理由に「無罪」となった加害者の「その後」に関わる人たちを取材した舞台裏をききます。


【では、はじまります】

🌙きょうのゲストはノンフィクションライターの井上理津子さんです。ライター歴は40年くらいですか?

正直に言わないといけないですか? かっこ悪いなあ(笑)、そうだな10年にしといてください。

🌙井上さんは独自の境地を切り開かれていて、著書も多い中、きょうは新刊の二冊と、転機になったであろう作品を中心に取材の仕方について話をうかがわせてもらおうと考えています。

おてやわらかに、よろしくお願いします。

🌙最新刊の『葬送のお仕事』は、葬儀に携わる人たちを取材した本で、版元が解放出版社という人権にかかわる本を出されているところなんですね。すこし出版の経緯をお話しいただけますか。

本の企画としては、『お仕事探検隊』というシリーズの3冊目にあたるんですね。『屠畜のお仕事』が最初。次に『ごみ清掃のお仕事』で、『葬送のお仕事』は3冊目にあたります。大切な職業なのに、あまり知られていない職業の紹介本のシリーズです。かつて差別的な目線があった分野でしょうか。多くの人に葬送の仕事のことを知ってもらおうという企画で、オファーがあったとき、「やりたいやりたい、やらせてください」と即答しました。

🌙異色なのは、こまかくルビが振ってあり、中学生くらいから読める設定なんですかね。

いちおう小学校の高学年から高校生くらいまでを対象に書きました。

🌙子供に向けて葬儀の仕事を紹介した本は、おそらく初めてじゃないですか?

そうですね、なかったと思います。中学生で職業訓練として、インターシップみたいにして行く中に葬儀社は含まれていないらしいんですね。多いのはコンビニとかで。それはおかしいんじゃないかというのもあって、「まず知ってほしい」というの、ありきの本です。

🌙葬儀の仕事について注目されるようになったのは、本木雅弘さんが納棺師を演じた映画『おくりびと』(2008年)が転機だったと記憶しています。若い人たちが葬儀関係の仕事を選ぶことに偏見がなくなり、いまは逆にやりがいを感じるという人が増え、それがこの本にもよく出ているなあと思いました。
井上さんは、この本の前に『葬送の仕事師たち』(新潮文庫)でも、町の葬儀屋さんから火葬場の職員さんまで取材されています。そのうえで新しい本がユニークなのは、現場で働く若い人たちへのインタビューです。仕事について話す中に、型通りではない「個人」が見えてくる。なかでも面白かったのが、葬儀会社を起ち上げた青年です。

「よるしょく」の彼ですね。

🌙そう。「夜職」の青年です。すこし話してもらえますか。

いろんな人に話を聞いた中でも突き抜けて面白いひとで。定時制高校を二十歳で卒業するんですが、彼は昼間に夜職をしていたんですね。
「夜職」というのは、風俗の仕事全般をいうんだそうです。彼はキャバクラのボーイさんを、水を得た魚のように頑張ってしていて、二十歳になってお酒の飲めるホストクラブに移って人気が出るんだけど、じつは酒が飲めない体質だと気づくんですね。これは自分の適職ではないと転職したのが、家電の販売員。パソコンが得意だったのもありインストラクターになろうかと考えていたそうです。

🌙それで、売り場の成績トップになるんでしたっけ?

いえいえ。関東一円のトップクラスになるんです。夜職を経験なさっていたから接客業が上手なんです。たとえば、お年寄り、まあ我々に向けて「これは人間でいうと頭脳です」「ここは押し入れにあたります」とわかりやすく説明する。
「この高いのとこっちのは、何がどう違うの?」という質問にも、「機能は同じです。車にたとえたら、軽自動車もベンツも走る機能に変わりはありません。違うのは……」とメカオンチの私でも買おうかと思わせる販売トークでトップになるんですよね。
ああ、でもこういう話をしていたら、いつまでたっても葬儀の話に行かないですけど(笑)。

🌙いいです、いいです。続けてください。その家電で好成績を挙げながらも彼は再び転職するんですよね。

そうなんです。彼のことを素晴らしいと思ったのは、自分は学歴も職歴も自慢できるものがない。それでも何か資格を取ろうと考えて「資格職」を調べてみたら、どれも経験を積んだのちに試験を受けるものばかり。ただ、ひとつだけ「葬送ディレクター」(葬儀を取り仕切る人)は、現場の経験が2年あれば受験資格があるというところに目をとめるんですね。ということは、働きながらでも資格を取得することができるというので葬儀社に勤めるんです。
葬儀社はベテランの人たちが多いなかで、今ふうというか一見彼はチャラい印象なんですが、それを逆手にしていく。「レアで目立つ。それで仕事が出来たらより好印象になるでしょう」と20代のはじめ、葬儀社に入った頃に考えていたというんですよね。

🌙彼がユニークなのは、そこで経験を積み独立して葬儀社を立ち上げる際に、けっこうな額の資金の借り入れに成功している。

そう。1800万円くらい借り入れたそうです。まだ26の年齢で。それも公的な機関からのみ。というのもマーケティングとプレゼンテーションが綿密なんです。
「会社から10㌔圏内の人口比はこうこうで、今後何年間にこれだけの数が亡くなります。現在この地域は何軒の葬儀社があり、将来、葬儀単価が下がることがあっても、これだけの売り上げは見込めます」というふうに資料を作成して融資を頼むんですよね。

🌙堅実というか。もうひとつ面白いのは、そうした資料作成とともに、葬儀にかかる項目と費用をわかりやすく表示して、顧客の側で必要なものを選んでもらう方式を打ち出していくんですね。多くの葬儀社は、松竹梅のようなパックの中から選択する方式をとっているんですけど。

そう。彼が発案したのは、棺はいくら、ドライアイスはいくら、生花はいくらと一つ一つの価格を明示し、お客さんのほうで必要なものをカスタマイズしてもらう。そういう発想はそれまでなかったことで、さすがだなあと思いますよね。

🌙そういう斬新な発想ができたのは、葬儀業界に入る前に夜職や家電の販売のキャリアがあったからなのかなあと。

そうだと思います。彼とは新宿の甲州街道沿いの喫茶店でお会いしたんですけど、入って来られたときにすぐわかったんですよね。肌とか眉毛とかが、もう美しいんです。

🌙本のインタビューの頁のところに小さく写真が載っているんですけど、一見してイケメンさんなんですね。

そうなんです。だけど、ルッキズムに関わることを書くというのはどうなんだろうというのがあって、そこを書かずにどう表現するのかというのを悩んだんですけどね。たとえば、爪とかもきれいなんですよ。洋服とかもねえ。でも、そういうことを書いたのを見たら、私は嫌だと感じるほうなので。

🌙なるほど。それで、インタビューを読む前は苦手かもという印象を抱いたんですが。偏見だと、読むうちに思い直しました。

私も自分自身の偏見を確認するような作業でもあるんですよね、このインタビューは。まず、歩いて400メートルくらいの距離なのに「タクシーで来た」と言うのを聞いて、なんやろうこの人と思いましたし。でも、さっきインタビューした文章から「個」が見えるというようなことを言ってくださったんですけど、取材の中で見えた「個」をどの程度、文章に落とし込んでいくのか。そこはいつも迷うんですよね。アサヤマさんはどうですか?

🌙そうですね、考えますね。
井上さんの、とくにこの本のインタビューが変わっているのは、職業紹介の類似の本だと「仕事」の内容だけでまとめるものなのに、夜職や家電での仕事の話と現在がつながっていて面白いんですね。読み物としても。
それでこういう個人的な話までしてもらうのって、人探しが大変かなあと思ったんです。会社を通して人選びをすると、広報的な干渉が入るし。井上さんは、どうやって人を見つけていかれるんですか?

広報のシバリはどうしてもありますよね。私もいやだなあと思いながら、必要に応じて広報の人に見せるんですけれど。そのとき「事実誤認があればご訂正ください」と書くんですね。それで、広報の方が見ても「問題ありません」と言ってもらえるようバランスを考えるのが好きです。

🌙なるほど。なかには広報というセクションを設けてなさそうな小さな会社の人もいますよね。そういう人はどのように見つけられているんですか?

『葬送の仕事師たち』(新潮社)の取材は2012年からスタートしていて、その蓄積があるのと、横浜で年二回、フューネラルビジネスフェアという見本市と、東京ビックサイトでエンディング産業展というのがあるんですね。6月と8月に。なぜこの期間かというと、葬儀がいちばん少ないからなんですけど。そこでブースを出しておられるところの、「ここは!」というところにご挨拶させてもらうのと、セミナーを聞きに行き、後日もうすこし聞きたいなあという人にお会いしたりしています。

🌙セミナーというのは?

業界の中で、うちはこういう工夫をしていまますという話をされたりするんですよね。そういう場所にかれこれ10年は通っています。そこで下取材をし「こういうことで、お話を聞かせてください」とお願いすることもよくありますね。
このあいだも、10年通ってはじめてご縁があったのが、「生花の祭壇を日本でいちばん最初に始めました」という会社の社長さん。イベントのブースで雑談していたときに「それはうちです。間違いないです」という。ずっとスタートがどこなのか気になっていたんですよ。そういうふうに、まずそういう場で知り合って、後に取材させてもらうというのが多いです。

🌙なるほど。仕込みに時間をかけておられているんですね。わたしも葬儀関連の人の取材をしたことがあるんですが、人づてや編集者に頼るところが多かったので、『葬送の仕事師たち』を読んだときに、町の小さな葬儀屋さんを飛び込みで取材されているのがすごいなあと思ったんですね。

私、絶滅危惧種なんですよね(笑)。
どうやってと言われて、いま思い出したのは『葬送の仕事師たち』の取材を始めたときには豊島区雑司ヶ谷に住んでいたんですね。近くに雑司ヶ谷霊園があり、よく犬を連れて散歩に行ったりして、「あ、石屋さんが来ているわ」と声をかけたり。近くの町の葬儀屋さんに、「こういうライターなんですけど、取材させていただけませんか」と何軒行ったことか。

🌙何軒行ったか、というのは、それだけ断られたということですか?

もちろん、もちろん(笑)。
『葬送の仕事師たち』は9軒断られて、ようやく10軒目が、本に出てくる目白の明治通り沿いの、わりと大きな葬儀社さんの出先店だったんですよね。飛び込みで、連れていた犬を電信柱につないで。やっと応えてもらえ、そこからようやく広がっていったんですね。

🌙取材の導入部の逸話が面白いのも井上さんの特色ですが。その葬儀社も、たまたま通りがかって入って見たら歴史のあるところで、思わぬ収穫があったと書かれていますよね。

そうです、そうです。

🌙断られた末にという、そういう取材の仕方は、葬儀に限らないことですか?

いやあ、葬儀関係は取材のハードルが高かったですよね。ただ、人づてにご紹介いただいたケースももちろんあったし、葬儀業界で日本でいちばん早く上場した公益社さんなどとは別のルートで人的ご縁ができていましたし。いくつものスジで入っていきました。

🌙けっこう苦労されているんですね。

あまり、苦労とは思ってないんですけどね(笑)。

🌙ここでいったん葬儀のことから話が飛びますが、『絶滅危惧個人商店』(筑摩書房)を読むと、昔ながらの商店街にあるお店のルポでありながら、井上さんのカラーがよく出ているのは、お店に来られているお客さんと店主とのやりとりです。お客さん同士の会話を拾い上げていて、店舗のあるロケーションなり、店内の様子が会話から見えてくることなんですね。それもすこし小説的というか。
たとえば、杉並区西荻の時計屋さん。井上さんが時計の修理を頼みに行き、待っている間に、たまたま店に居合わせた近隣の女性客たちの会話に、井上さんが耳を傾けるところから始まるんですよね。

あそこは毎日サロンのようになっているよ、というのは事前に耳にしていたんですよね。私、腹黒いので(笑)。周辺の聞き込みで、ただの時計屋さんじゃないと。

🌙たまたま入ったわけではない?

何度もいいますけど、私、腹黒いですからね(笑)。でも文章の中で、ちゃんと、誰それさんに聞いてきましたというのは書いていますから。

🌙お店の成り立ちなどを本題とすると、落語でいう枕にあたるお客さんたちの雑談が面白いんですよね。

たしかに雑談なんですけど、あの時計屋さんで交わされていた話は、庶民の戦後史そのもの。疎開をしていて、どこどこに行っていて自分だけ生き残ったけれども、戻ってみたら家族みんな亡くなったという話をされていて。取材をしたあの日は東京大空襲の数日後で、おひとりが「この間、両国の慰霊堂の行動法要に行ってきたんだけど」というのを聞いていた別のひとが「大変でしたねえ。わたしも上野の駅で当時、浮浪児といわれていた人をずいぶん見たわ」と話しだされる。
戦後間もないころの話を、町の時計店の小さなテーブルを囲んでお茶を飲みながらされているのを見てしまったら、これはもう耳をそばだてずにはいられないですよねえ。

🌙「そろそろお夕飯を作んなきゃ」とお客さんたちが腰をあげあと、作業に没頭していた店主が「もう、記事を書けるんじゃない?」と言われるんですよね。まだこのときは、お店の由来も何も聞かれてないのに。

アハハハ。

🌙よくある雑誌のお店取材の記事だと、そうしたお客さんたちの話がどれだけ心を惹いたにしても記事には入れないものなのに。井上さんは、この本ではそのやりとりに結構な紙幅を割いているんですよね。

たしかに長いリードですよね。だけども、そういう話をしている空間がお店の中にあるというのが、すでにお店の情報だと思えたんですね。だから、私にとってあのお店を書くにあたって、あの部分はとても大事な部分です。

🌙ということは、意図しているものなんですよね。取材の段階で、これは書こうと。

もちろん。でも、どこで使うか。構成はあとになって、切ったり貼ったり、これを入れようか落とそうか。締め切りの直前まで、いろいろ考えますよね。

🌙読んでいて、まったくわからなかったのが、どの時点で録音機のスイッチを押しているのだろうか? というのも、さっきのお客さんたちの会話もそうですが、「」のやりとりがイキイキしているんですね。地の文章で会話を要約して書くというのは難しくないと思うんですが、「」の連なりで面白く読ませるように構成するのって簡単じゃないというか。

ありがとうございます。そうですねえ、レコーダーを回しているときと、回してないときと半々くらいだったかなあ。
だんだん、私もレコーダーなしで再現するというのが出来なくなってきていて、このごろはスマホのボイスレコーダーを使う割合が増えてきました。たぶん、この『絶滅』の頃はまだ黙って録って関係を悪くしたくないので必ず「録っていいですか?」と断って録っていたかなあ。いまはもう「すみません。すぐ忘れるので、録らせてください」とお願いするんですよね。
ちょっと古い話をすると、『大阪 下町酒場列伝』(ちくま文庫・04年刊)という本を書いたときは、まだスマホもなく、酒場でICレコーダーで隠し録りするというのは、してはいけないことだと思っていたんですよね。

🌙この本ですね。

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