インタビュー田原町03は『ルポ 日本の土葬』を書かれた鈴木貫太郎さんです。
意欲作を書かれたノンフィクションの書き手に「取材の仕方」からライターになった経緯などを、インタビューする。それもお客さんのいる公開の場所で聞こうという試みをはじめました。めっちゃあがり症なんですけど。
牛や豚を食肉にする現場で見習いとした就労し『芝浦屠場千夜一夜』(青月社)を書いた山脇史子さんからスタートした、浅草の本屋さん"Readin’Writin’ BOOK STORE"での「インタビュー田原町」。
02『ジュリーがいた 沢田研二、56年の光芒』(文藝春秋)のノンフィクションライター島﨑今日子さんにつづき、9/10(日曜)は『ルポ 日本の土葬』を書いたジャーナリストの鈴木貫太郎さんをお招きし、「どうして土葬のルポをすることになったのか」を聞いていきます。そもそも土葬のルポって何?かもしれませんが。
https://interviewtawaramachi003.peatix.com/
現在の日本の火葬率は99.97%だそうです。ということは、残りの0.03はどうなっているのか?
戦後、高度経済成長を遂げるまでの日本(昭和の時代)には土葬がまだそれほどめずらしくはなく、大阪近郊の村で、わたしの祖母が墓地で「火の玉を見たんや」といい、「そんなアホなこと言うな。笑われるわ」と心霊現象の類いの話になるとムキになって否定する父と、「見たんやから」と頑固に折れない祖母とが板の間で言い合っていたのを、夏の終わり頃になると思い出します。ふたりとも向こうにいって久しいですけど。
子供の頃は、火の玉が何なのかよくわからず、怪談話とともに恐がりながらも興味津々でした。
火葬が普及した現在ではなかなか想像するのも難しいのですが、祖母が「見た」という土葬をしていた頃は、埋葬された地中で燐が自然発火して、どうたらという科学的?説明を学校で教わったりして(教師でなく同級生から)、恐いというのは薄れはしていきました。とはいえ、まあ、実際目にしたら腰をぬかすと思います。
わたしが子供の頃はすでに土葬は聞かなくなっていたものの、村の共同墓地は鬱蒼とした森の中(近年の開発ですっかりその森は消え失せました)にあり、肝試しの場所になっていました。
蛇足ですが、当時は便所も廊下の先にある汲み取りのボットン。夜中に目が覚めて、ひとりで行くのが恐いもので(しゃがんでいると、下から手が伸びてくるというハナシが流布していた)、「布団にしてもええんかあ」と母を起こしたものでした。
墓地もそれくらいビビる場所だったのに、樹木が伐採されスカッと見通しもよくなり、なんであんなに怖かったんやろう?と。ちなみにわたしは1956年生まれの関西育ちです。
『ルポ 日本の土葬』の話の前に、日本でも数十年前までは土葬がふつうにされていた、その体験を綴ったエッセイ漫画『ひぐらし日記』(日暮えむ・KADOKAWA)を紹介します。
1970年代の千葉県の利根川に近い農村で著者の日暮さんは育ち、小学生の頃までは曾祖母も同居。共稼ぎの両親のかわりに学校の送り迎えなども曾祖母(明治生まれ。としょさん、と呼んでいた)にしてもらっていたという。
祖父母と同居しながらも会話のなかったわたしは、日暮さんが語る曾祖母との暮らしの細々とした思い出がうらやましい。
『日記』で印象に残るのは、曾祖母は両親と弟、三人の位牌を自分の部屋に置いていたのだけど、年齢を考え、位牌を実家の近くの寺に託そうとする。そのため著者の母と、実家があった場所などを探し一日歩き回る。
としょさんは、自分は嫁いだこの家の墓に入るけど、両親や弟はそうできない。考えた末のことだという。一緒にしたら、いいやん。わたしならそう言うところだが、日本の「先祖代々の家の墓」はそうなっていない。融通がきかない。
日本のお墓は「先祖代々」といいながら家長とその妻、夭逝した子供らしか入ることができない。ほかのきょうだいたちは独立して、自分で新たに墓をつくらないといけないようになっている。
子供の頃は、先祖代々というのに墓石に記された名前の少なさに、「なんで?」と不思議でしかたかなったものです。うちは祖父が次男か三男で、わたしが物心がついたときには、墓には戦地でなくなった二人の伯父の名(祖父の息子で父の兄たち)があるだけ。
まだ真新しく、「他のご先祖さまはどこにいるの?」と訊いても、わかるように教えてくれる大人もいなかった。
話を戻します。
曾祖母の希望で土葬にしたそうですが、漫画に描かれる、棺を納めるために穴を深く掘る(数人がかり)など、大変なことだったのがよくわかる。これを読んで、なぜ土葬が減り、火葬に変わっていったのかも。村の人が総出で手伝いながらやっていたものを、もはや続けていくのは無理なことだ。
さて。
『ルポ 日本の土葬』の中で、鈴木さんは「火葬は日本の伝統文化」といった主張がネット界隈に多出する(判を押したように同じ口調)のを見聞し、ほんとうにそうなのか? と過去の文献など調べていく。
そのひとつに、天皇家の葬儀がある。宮内庁の調査資料に「皇室においては土葬、火葬のどちらも行われてきた歴史がある」と明記されているのを確認する。
明治、大正。さらに近年、昭和天皇もまた土葬で弔われている。覆われた儀式を体験しあまりの心労から現上皇が火葬を申し出たと伝えられている。
そこで鈴木さんは、神道の神主で、土葬を執り行ったことのある人物に話を聞けないかと人探しをはじめる。ようやく山口県下関まで、ひとりの人物に会いに行く。
インタビューに応じた小山さんは1951年生まれ。喪主として、自身の父親を土葬で葬ったという。30年前のことだ。説明に耳を傾ける鈴木さんと小山さんのやりとりが読ませる。ただ埋めるのではない。すごい手間をかけ奇習にもちかい様々な儀式を行う。
なぜそうするのか。語る小山さん自身もよくわからないという。
鈴木さんは、ご自身は土葬されたいですか?とも訊いている。
小山さんの答えがなんとも人間くさい。大変さがよくわかる。
ほかにも、土葬を希望する人に向けて情報提供をしている「土葬の会」(山梨県)の山野井代表にも会いに行く。そういう会があるのも驚きだ。
取材の場で、たまたま居合わせた若者と山野井代表とのやりとり(土葬を認める霊園は全国でも限られている。実際どうやったら土葬はできるのか?素朴な若者の問いに代表が飄々と答える)には、え!?と言葉がでそうになった。眼から鱗というか。なるほどなあ、とも。
しかも、山野井さんが土葬の会をつくるにいたる背景には、UFO研究をしていた友人が土葬を希望しながらなくなったことが関係しているという。これはどこに発展するのか?
一昔前に上岡龍太郎がやっていた探偵ナイトスクープという番組を見るようというのか。型にはまっていない取材行程はまさにルポだ。
『ルポ 日本の土葬』の参考文献にもあがっているが、『土葬の村』(高橋繁行・講談社現代新書)には詳しく土葬の風習が紹介されている。
その中でとりわけ驚いたのは、一度埋葬した棺をわざわざ掘り返して、その蓋を叩き割り、棺の隙間に土を被せて埋め戻す。村にはかつてそういう習慣があったが、過疎化で人手もなく途絶えたという話。
つぶさに語られる土地土地での習慣の奇妙さ、人はなんとも分からんことをするなあ。まあ、それにもひとつひとつ理由はあるのだろうがといろいろ考えた。
その『土葬の村』にも、山野井さんは登場する。土葬の会を立ちあげるきっかけとなった友人のことは、ここでは「出版関係の」とあり、読者として山野井さんの印象も何も変わったふうではない。
『土葬の村』の高橋さんは弔いや葬儀をテーマにした著書の多いルポライターで、鈴木さんの『ルポ 日本の土葬』と重ねると、取材者によって取材相手に対するアンテナ(鈴木さんがUFO研究に食いついたりする)や抱く印象がちょっとずつ違うのがルポたるところ。人物ノンフィクション好きとしては読み合わせてみて眼のつけどころが面白いなあとおもうのだ。
本の経歴を見ると、1981年東京生まれ。東京電力を退社後、アメリカの大学を卒業。早稲田大学ジャーナリズム大学院修了。ニューヨーク・タイムズ東京支局、フィリピンの邦字新聞勤務を経て、現在フリーランス記者というのも、何をおもって転職したのかなど聞いてみたくなるところです。
ということで、9/10浅草Readin’Writin’ BOOK STOREで
「インタビュー田原町03」のお知らせです。尚この企画は公開インタビューで対談ではありません。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。 爪楊枝をくわえ大竹まことのラジオを聴いている自営ライターです🐧 投げ銭、ご褒美の本代にあてさせていただきます。