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モフセン・マフマルバフ監督にきいてみた

“路傍のひとに聞けというツアーガイドのアリさん(アフリカ系パレスチナ)と、エルサレムの路地を見つめるベンジャミンさん(ユダヤ系移民)の話”


2023年10月以降、エルサレム(イスラエル)の街を歩きスマートホンで撮影。ここで暮らすユダヤ系、パレスチナ系、それぞれ市井のひとたちの“声”を聞いたドキュメンタリー『子どもたちはもう遊ばない』モフセン・マルバフ監督に話をききました。





2023年10月のハマス襲撃後のエルサレムの市井の声を記録した『子どもたちはもう遊ばない』(モフセン・マフマルバフ監督)。米軍の撤退後混乱するアフガニスタンを映しだす『苦悩のリスト』(次女のハナ・マフマルバフ監督)。
二作の同時公開にあわせ来日したモフセン・マフマルバフ監督にインタビューする機会が得られたので、掲載します。
映画は渋谷シアター・イメージフォーラムで上映中です。

何れもスマートホンで撮影されたドキュメンタリー映画で、『子どもたちはもう遊ばない』は、エルサレムに暮らすアラブ系イスラエル人たちにフォーカス(イスラエル建国以前から暮らしていた人たちの子供や孫世代がいて、現在もイスラエルはユダヤ人だけの国ではない)、アラブ系とユダヤ系、分断された人たちの居住区をカメラは行ったり来たりしながら、絶望的な状況の中で希望を見出そうとするものだ。
インタビューは12月下旬、都内で行いました。通訳のショーレ・ゴルパリアンさんはイラン出身で日本在住40年。二作品の上映プログラム「ヴィジョン・オブ・マフマルバフ」のプロデューサーでもある。



話すひと/モフセン・マフマルバフ監督
聞くひと/朝山実
通訳するひと/ショーレ・ゴルパリアンさん

公開中の渋谷 シアター・イメージフォーラムでは、
マフマルバフ監督の旧作『パンと植木鉢』『サラーム・シネマ』『独裁者と小さな孫』などの特集上映中1/17まで



来日早々の取材日で、与えられた時間は50分。通訳を挟んだ往復を入れると実質半分もインタビュー時間はないので、同時公開の二作品のうち『子どもたちはもう遊ばないに』に絞り、中でも印象に残るシーンに絞って質問させてもらった。
エルサレムはイスラム教、ユダヤ教、キリスト教。三つの宗教の聖地でもあり、それぞれ巡礼に多くの観光客が訪れる。映画の中でキーパーソンとなるのは、旧市街のガイドをする「アリ」(アフリカ系パレスチナ人)と、イスラエル建国以前の祖父の代からここで生活する「ベンジャミン」(ユダヤ系の知識人)だ。

アリは、10代の頃パレスチナ解放運動に参加し獄中に囚われていたことがある。彼とは旧市街のオープンカフェで、ベンジャミンとはユダヤ教徒が行き交う路地でインタビューしている。室内で撮るのではなく、長時間カメラを向けながらインタビューしていたにちがいない。
質問する声はカットされ、話す姿だけが見える一方で、アリもベンジャミンも通りの人たちをときおり横目で見る。カメラもまたふたりの視線の先を追うのだ。
映画は試写室と、確認のためもう一回見たが、二度目はふたりの背後にいる人たちに目を止める時間が長くなっていた。そこで「路上」をインタビューの場所に選んだ理由をきいてみたくなったと通訳のショーレさんに言うと、「わかります」と言ってもらえた。

左・ショーレさん
(インタビュー中撮影©️朝山実、以下同)


人びとは飾りではない。背後に映る人たちも含めて「彼らの話」なんです


マフマルバフ監督(以下略)  「そう。街角やカフェをあえて選んで聞いていました。理由は、部屋の中で話を聞いていたら「彼の話」になる。でも、外で座って対話することによって、周りにいる人たちを含んだ声となる。
たとえばあのカフェにいる人たちの中には、アリと同じような考えをもっている人たちがいます。ベンジャミンと対話しているあの路地を、いろんな人たちが通りを歩いている。「彼の話」ではなく、その人たちの声にもなる。部屋の中で撮ると、彼ひとりの声になります」

監督の説明はつまり、アリの後ろに映るカフェの客たちはイスラム教を信仰する人たちであり、ベンジャミンのいる路地を行き交うの多くはユダヤ教を信仰する人たち。そのひとり一人は「エキストラ的な存在ではない」ということだ。

━━なるほど。ベンジャミンもアリも、話しながらもときおり通り過ぎていく人たちに視線を送る。ふたりの目線を追っていくことで彼らの話を聞きながら、この街に暮らす、あるいは居合わせた観光客のことを考えたりしました。それも意図されていることでしょうか?

「よく言っていただきました。まず、現実を語らないといけない。彼らはこの場所で生きている。ふたりの背景に映る人たちは、ふたりが語る話の「証拠」にもなるんですよね。つまり、人びとは飾りではない。通りを行き交うあの人たちを含めた話なのです。
自分が映画をつくろうとした若い頃に、いろいろ考えました。いちばん役立ったのは、たくさんの映画を見ることではなくて、ひとつの映画を8回見る。見るたび、ちがう層、異なる意味がわかってくるんですね。
後ろに映るひとはこう見ていたんだ、こう考えていたんだとか。そのことによっていろんなレイヤー(階層)が見えてくる。いまもそう考えています」

━━アリさんとの対話の中で、監督に対してこんな話が出てきます。「あなたは指導者(権力者)ではなく、この街のふつう生活者に聞くべきだ。ほら、いまそこを歩いている働く彼のような人に」。その言葉を受けてカメラは、その青年の後ろ姿を追う。その場面、おそらく監督もアリさんに同意されていたと思うんですが。

「そうです。わたしも同意見です。なぜなら、何らかの組織の上にいる人たちは組織の代表としている。彼らから何か「ひと」としての話が聞けるとは思いません。私が話を聞きたいのは、自分の声を伝えるチャンスがない人たちの話です。
たしかにアリを見ると、すごく自分に似ていると思いました。アリは刑務所にいたことがあり、私もそうです。アリは若い頃は活発的なアクティビスト(バレスチナ解放人民戦線・PFLPで活動していた)で、私もそうでした。アリは捕らえられ拷問を受けたことがある。私もそうです。
そうしたいくつものことを体験してきて、何がいちばん大事なのか。アリは「対話」だという。私もそう思っています」

━━なるほど。アリさんは、アフリカ系のパレスチナ人。よく彼とあの場所で出会えたと思うんですが、声をかけられたのは監督から? 彼から?

「あの地域でいろんな人に声をかけていたんですね。『あなたは、この街をどう思いますか?』と。そして彼にも聞いたんです。でも、あんなにすごい話をしてくれるとは考えてはいなかった。だから、ずっとキャメラは回しっぱなしにしていました。
じつは、この映画を撮る前に考えていたひとつの質問は、『なぜこの紛争は続いていると思いますか? 解決口はどこにあると思いますか?』です。
アリにも聞いたところ、ご覧になってもらったような話になっていったんですね。そして、ずっとしゃべっていた」

━━彼のインタビューは、声をかけたその場で? それともリサーチして後日約束して?

「撮影はワンティクです。あのときにすべて話してくれました」

通訳のショーレさんはイラン出身で、監督とはペルシャ語(フランス語に響きがよく似ている)で会話していたように思う。
通訳する際にメモをされているのを見ていたら、監督が話されているときと、わたしの質問とで文字の書体が違っていた(ように見えただけかもしれないけれど)。質問の意図を把握して監督に聞く、監督の話にも「ふ、ふん」とうなずきながら要約したうえで訊ねるスタイルだったので、何往復かするうちに当初の緊張感がほどけていった。監督の答えの深度に驚かされた。

巻き紙のようにメモが伸びていった

準備をしない


「準備について言うと、こういうドキュメンタリーを撮るときに準備して撮ると出来上がったものは不自然になります。準備をせずに撮ることでリアリティが生まれる。だから、この映画の撮影で何か準備して撮るというようなことはしていません。
たとえば、銃で撃たれる場面も、居合わせたから撮れたんですね」

撮影期間中、バレスチナの三人の青年が広場で射殺される事件があった。その場面を窓から撮影している。

旧市街のガイドを仕事にするアリさん
『子どもたちはもう遊ばない』から
(C)Makhmalbaf Film House 以下同
アリさんの視線を追う
祖父の代から暮らす、ベンジャミンさん


ゲバラの本をアラビア語に翻訳したアリさん


━━たとえばアリさんの撮影の際も、彼が何を話すかはわかっていないんですよね?  チェ・ゲバラの本をアラビア語に翻訳したのは自分なんだと話しだし、どんどん惹きこまれました。監督も撮影しながら彼の話をはじめて耳にするわけですか。

「そうです。ただ、彼の話を聞きながら、途中で私も質問をしています。私の質問の声は消していますが」

━━ベンジャミンさんのインタビューでは、2023年10月以降に知人から銃を買ったほうがいいと促される。けれども彼は、「対話」と自分の眼で見ることこそが身を守るものだと断ったんだという。印象に残る話なんですが、彼からそういう話が出てくると予想して聞いていたのでしょうか?

「彼らが話す内容について、こちらからこう言ってくれということは一つもありません。ただ、あの言葉が出てきたのは、もしかしたら自分の質問へのリアクションだったかもしれません。
ベンジャミンには、『ハマスの襲撃があった今、あなたの気持ちはどうですか?』と聞いたあと、あのような話をしてくれたんですよね。だから、語られる話は私にとってもぜんぶ新鮮なことでした」

━━銃のことでいうと、監督の『大統領と小さな孫』という劇映画作品の中で、架空の国の独裁者だった主人公がクーデターで逃亡する中、護身用に持っていた銃を捨てるシーンがあります。たった一丁の銃では群衆に対してどうにもならないというあきらめもあったでしょうけど、絶大な権力の上に立っていた彼が銃を捨てるところが印象に残りました。
もう一本、タリバンが支配するアフガニスタンに残された妹を助けにいこうとする女性の目線で描かれた『カンダハール』では、護身用にと差し出された銃を彼女は受け取らない。今回のエルサレムを舞台にしたドキュメンタリーの中でも、ベンジャミンもアリも銃では何も解決しないという話をする。そのメッセージは監督の考えを体言しているように思えました。

「これは私の考えですが、銃では人々を幸せにすることはできません。不可能です。たとえば、シリアのアサドは銃で国民の半分を殺してきた。戦争も起こした。タリバンの圧制もそうです。銃では国民を満足させることはできません。銃によって正義を手にすることもできません。だから、銃は要らない。ずっとそう思っています」

━━面白かったのが、エルサレムで暮らすバレスチナ系の若者たちが集う教室で行われたワークショップです。
アラブの覆面をした若者と、ユダヤ人役の女の子がバスに乗り合わせたという設定で、即興劇を演じる。
「ボクが怖い?」と訊かれ、女の子は横目で「なんで顔を隠しているの?」とたずね返す。そうした会話から観ている周りの空気がすこしずつ変化していく。あの場面は、授業の中でたまたまああいうやりとりになったのでしょうか?

「彼らに演じてもらったという部分はありますが、でも、どんな会話をしてほしいということは言いませんでした。『イマジン、想像してください。あなたはバスの中で座っています。隣に顔を隠した男の人がやってきました。どうしますか?』と言って、演じてもらったんですね。
台詞はその場でぜんぶ彼らが考えたものです。私はあの場所では『ユダヤ人の若者に恋したことはありますか?』と聞くんですね。そうすると、みんなワァーッと騒がしく笑い、話し出す。質問は私がします。どんな答えが返ってくるのかはわかりません。それを撮っていました」

※インタビューした後日、『サラーム・シネマ』というマフマルバフ監督のフィルム時代のドキュメンタリーを、シアター・イメージフォーラムの特集上映で観た。映画のオーデションにわれもわれもと4000人が詰めかけたところ、急遽ドキュメンタリーとして撮影することになったという作品。「俳優は言われたら10秒以内に泣かないといけない」「さあ、泣いたら合格だ」と指示する。人が人を選ぶオーデションという場における、権力者である「監督」を監督自身が演じ、参加者とのやりとりから多様な事柄が浮かびあがる快作だ。機会があれば!!

ユダヤとパレスチナ。「わからない」相手に、相互に手紙を出す試みをしている日本人フォトグラファーのはなし


ワークショップの場面

━━わたしが知っている日本人のフォトグラファーで、この何年かエルサレムに旅行してはパレスチナの人、ユダヤの人、それぞれたくさんのポートレイトを撮っている人がいます。
面白いのは、日本人、それもひとりで旅行している若い彼が珍しいのか、寄っていけとそれぞれの家にお茶に誘われることが多く、ポートレイトを撮っていた。何度目かの旅行のときにある試みを始めるんですね。
ユダヤの人にはパレスチナの人に、パレスチナの人にはユダヤの人にあてて手紙を書いてもらう。その手紙と翻訳したもの、インタビューとポートレイト写真を展示する。その際に企画の主旨を話し、それまで撮ってきた写真を見せながら知らない相手側の人たちのことを話して聞かせる。とともに、パレスチナの人たち、ユダヤの人たちについて、彼らをどう思っていますか?と聞く。互いの話を知ることで「彼らは自分たちと変わらないんだ」と驚くことが多いという。
アリさんとベンジャミンさんたちの話を聞いていて、その試みを思い出したんです。共通するのは「対話」の必要性だと。

「そう。手紙をたくさん、やりとりしていくうちに、いつか対面してしゃべることができるかもしれないですよね。
われわれは、絶交すると言葉を交わさない。そして怒りは、言葉を交わさないことから起きる。戦争もそう。絶交し、もうしゃべらない。怒りが膨らんでいく。この二つの民族の間には、言葉がないんです。対話がない。目を合わせて、しゃべることがない」

━━映画を見ていて、対話の必要性の話が何度も出てきました。
いろんな出身国、宗教の異なる子供たちが一緒に学ぶスクールが紹介されています。すごくいい場面です。ここで学んだ子供たちは大きくなったときに、兵役を拒否するようになるんだという。
そうかあと思いました。一緒に遊んだり対話したりした人を殺そう、殺したいとは思わないですよね。そのスクールの生徒は2000人、いまはまだ少ないのかもしれないけど、こうした学校が増えていくことに希望を感じます。いまは絶望的ではあるけれど。

「この映画は一種の「対話」なんですね。ユダヤ人とイスラムの人たちが対話している。この映画がイスラエルで上映されることがあれば、たくさんの人が見てくれると思います。なぜなら、自分たちを見ることはできるんですよね。イスラエルの人たちは、この映画を見て、いろんなことを考えることになるでしょう。
まだ2校、トータルで2000人の子供たちがそこで学んでいます。少しずつ増えることで、いつかたくさんの人たちがお互いのことを知ることができ、友達になっている。小さいときに一緒に遊んでいた人を、殺すことはできなくなるでしょう。だから、あの国でたったひとつの希望でもあるんですね」

イスラエルのユダヤ人を代表するのはネタニエフではない


━━観終わってから耳に残るのはパレスチナ系の子供たちが音楽に合わせてダンスする音楽です。ただ見ているだけでも楽しい、すべてを忘れそうになるくらい。あの撮影は、事件が起きる前、後でしょうか?

「じつは、彼女らのダンスはハマスの事件の前に撮ったものです。なぜ入れたのかというと、パレスチナ人というと、ハマスのイメージしかもっていない。戦い、闘う、怖い顔をしたイメージなんですね。
そうじゃなくて、パレスチナ人には若いきれいな子もいるし、ハッピーだし、踊るし、ふつうの人たちなんだよという。要するに、できあがったイメージを壊したかったんですね。たとえば、イスラエルのユダヤ人というとネタニエフをイメージしてしまう。そうじゃない、ベンジャミンのような人もいるんです。すでにあるイメージを壊すことで、友達になっていくこともできるんだということを伝えたかったんです」

━━意図はよく理解できました。あのような楽しげなダンスを目にできることに驚きがあったので。それで、これはいつ撮られたものなのかと気になったのです。

「この映画は、何をいつ撮ったのかではなく、全体として、過激派や体制を握っている人たちと、ふつうの人たちはちがう。過激派や権力者を納得させないと何も動かないにしても、そればかりではない。
たとえば二人のお母さんがいます。ユダヤ人のお母さん、パレスチナ人のお母さん。アラブのお母さんも、エルサレムに来たときはコワイと思った。子供を外で遊ばせられないくらい。ユダヤ人のお母さんもちがう街からエルサレムに来たときは戦場に来たような気持ちだったという。つまり、みんな同じ、ふつうの生活をしたいんですよね」

━━残り時間もわずかなので。『苦悩のリスト』について、ひとつだけ訊かせてください。モフセンさんの小さなお孫さんが出てきます。米軍撤退後アフガニスタンにタリバンが押し寄せ、命の危険のある人たちをどれだけ脱出させることができるか。ロンドンと現地と緊迫した交渉を監督たちがしている中で、孫は祖母(監督の妻)を相手に遊んでいたりする。
ほっと息をすることができる。その彼が泣き出す場面。『泣かないでお母さん』と言い、撮影しているハナ監督(ニカンの母親)の顔色をうかがっている。プライベートなシーンをあえて入れる選択をされたのは?

『苦悩のリスト』から
乗れずに飛行機にしがみついたままの人たちが、離陸後に空から落ちるなどの映像も
(C)Makhmalbaf Film House以下同
800人のリストにチェックをいれるマフマルバフ監督
モフセン監督の妻(マルズィエ・メシュキニ監督)と孫のニカン
撮影してるのはニカンの母親ハナ・マフマルバフ監督


「息をすると言われましたが、ニカン(孫)の映像をそのために入れています。ひとつには、すごく圧迫感のある映像の中、大変な状況の中で、彼の姿を目にすることで、息をする。映画はオーディエンスを苦しめるためにはつくられていはいけない。オーディエンスを考えさせるためにつくるんですね。
あまりに圧迫感を与えると、ひとは考えられなくなる。だから、息をする場面を入れるというのは私のつくり方、アイデアです」

幼い少年の泣きながらの笑顔に、希望を感じました。マフマルバフ監督にそう感想を伝えたところ、わたしの質問中にスマートホンを操作していた彼が「これを見て」と画面を差し出してきた。


「いま写真を送ってくれました。大きくなりました」というスマートホンには、映画の中で泣いていた孫のニカンくんがサンタの服を着て笑っている。カワイイというと、監督はこんな話をはじめた。

「『パンと植木鉢』にハナ監督、まだ7歳だったときの彼女が出てきますが、まったく同じ顔をしています。あと、公園できょう撮りました。ホームレスなのに真っ白いスーツケースを持っている」

━━あと一問。『子どもたちは』と『苦悩のリスト』。二つをスマートホンで撮影されているのは?

「『苦悩のリスト』は映画にするつもりはなかったものですが、当時ハナが仕事をしながら私たちを撮っていた。映画のために撮っていたわけではなく。ハナはいつも自分の携帯で子供を撮ったりしていて、テキストしたり電話したりしながら、ちょっと時間があると撮っていたんです」

━━監督は、撮られていることはわかっていたんですよね。

「わかっていなかったです。彼女は、こんなふうに(仕事をしながら)携帯を打ちながら撮っていたので」

━━撮られていることを意識していない。それぐらい没頭していたのかと見えました。

「たしかに(800人の命の危険のある)アフガンの芸術家を救うことに没頭していたので、すこし離れたところから撮られていると気づいていません。あれから一年経って、世界はアフガニスタンのことを忘れてしまっているようだという話を娘としていたら、ハナが一杯撮っていたよというんですよね。
自分の映画も同様に携帯で撮っていますが、これは携帯でなければ撮れなかった。なぜなら、取り調べは厳しいし。大きな撮影機材を持って撮るというのも、(イスラエル当局の)撮影許可をとることもできないですし。だからあえて携帯にしました」

この答えを受け取り、タイムアップ。取材をおえると、モフセン監督は「サンキューベリマッチ」と高僧のように手をあわせた。
インタビュー中にカメラを向けた中で、きょう撮ったという画面を見せたときの表情がチャーミングだった。自身のドキュメンタリーにエキストラはいないという監督の眼には、白い大きなスーツケースを壁にする彼はタフな旅人のように見えたのだろうか。

🎬️新作「ヴィジョン・オブ・マフマルバフ」公開記念 渋谷 シアター・イメージフォーラムにて。
マフマルバフ・ファミリー特集 『ワンス・アポン・ア・タイム、シネマ』 『サラーム・シネマ』 『タイム・オブ・ラブ』 『パンと植木鉢』 『私が女になった日』 『独裁者と小さな孫』を上映中12/28(土)~1/17(金) 

後記

『映画の旅びと イランから日本へ』ショーレ・ゴルパリアン(みすず書房)

マフマルバフ監督、どんな人?と読んだのがショーレさんの著書。79年に来日しイラン大使館の大使秘書などを務めることになった半生伝と、イラン映画の紹介者となっていく経緯などを綴ったエッセイ集。あるイランの巨匠監督の通訳を務めたこぼれ話に笑った。
来日初日はまめにインタビューに答えていたけれど、2日目には飽き、もう答はわかっているだろう?とショーレさんに丸投げ。ただその間、通訳しているフリをしないといけない。冗談ばかりで、笑いをおさえるのに苦労したという話を三度読みした。これはマフマルバフ監督ではない。まあ、同じやりとりは苦痛だろうなあというのと、自戒とで背筋がすこしひんやりもした。
通訳を交えたインタビューをするのは久しぶりで、モフセン・マフマルバフ監督から最初に「サンキュー・ベリーマッチ」と二回も言われたのに、自分の名前とか言うのに必死でスルーしてしまっていた。録音を聞き返していて、何やってんだワタシなスタートだったが、ショーレさんのメモを見ていると不思議と落ち着いた。通訳の仕事の貴重さを考えている。

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朝山実
脱落せずお読みいただき、ありがとうございます。 媒体を持たないフリーランス。次の取材のエネルギーとさせていただきます。