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壁にバナナを貼ったら9億円で売れた

はじめに

イタリアの現代美術家マウリツィオ・カテランが生み出した「コメディアン」という作品が、2019年の初公開から現在に至るまで世界的な話題を呼んでいます。この作品は、壁にダクトテープで貼り付けられたたった一本のバナナ。しかし、驚くべきことに、2024年にはオークションで約9億6千万円で落札されました。

「100円のバナナがなぜ9億円になるのか?」この疑問を紐解くことで、現代アートが持つ価値や矛盾、そして社会への問いかけを考察します。


1. マウリツィオ・カテランとは?

マウリツィオ・カテラン(1960年生)は、イタリア出身の現代美術家であり、風刺的な作風と挑発的なテーマで知られています。彼の作品は、ユーモアと批評性を交えながら現代社会の矛盾や芸術界の常識を問いかけるもので、「アート界のジョーカー」とも称されます。

代表作には、隕石に打たれる教皇を表現した『ラ・ノナ・オラ(La Nona Ora)』や、18金で作られた便器『アメリカ(America)』、そして今回の『コメディアン(Comedian)』があります。どの作品も物議を醸し、見る者に「芸術とは何か」という根源的な問いを投げかけています。

カテランの哲学は、「芸術は馴染み深いものを非日常的に感じさせること」にあり、彼の作品はその視点を鮮烈に示すものです。特に『コメディアン』は、日常的なバナナを用いながら、現代アートの市場や価値観そのものを風刺する象徴的な作品です。


2. 問題作「コメディアン」とは?

『コメディアン(Comedian)』は、新鮮なバナナをダクトテープで壁に貼り付けただけのシンプルな作品です。しかしその背景には、芸術の本質や市場価値に対する深い問いかけが込められています。

この作品は2019年のアート・バーゼル・マイアミで初めて公開され、価格は12万ドル(約1300万円)で設定されました。注目すべき点は、作品そのものではなく、「設置方法が記載された証明書」が価値を持つという仕組みにあります。証明書が所有権を象徴し、バナナ自体は物理的に代替可能であることが重要な要素です。

さらに『コメディアン』は、金融商品のようにアートが市場で価格評価される現状を象徴しています。この作品の存在そのものが、アート作品が持つ物理的価値と市場価値の矛盾、そして「アートとは何か」を再考させるものとなっています。株や債券が市場原理で評価されるように、『コメディアン』も市場の需要によって価格が急騰しました。その結果、この作品は現代アートにおける価値の不安定性を示すと同時に、アートが単なる金融商品として扱われる風潮への皮肉を込めたものとなっています。

また、この作品のタイトル『コメディアン』自体が、作品に内包された風刺を端的に表しています。100円のバナナが何億円もの価値を持つ状況は、確かに「滑稽な」現象であり、同時に現代アートの核心的な問題を浮き彫りにするものなのです。

3. 9億円で落札された経緯(詳細)

2024年、サザビーズのオークションにおいて「コメディアン」は620万ドル(約9億6千万円)という驚異的な価格で落札されました。落札者は中国出身の暗号資産関連の起業家であり、「この作品は単なるアートではなく、文化をつなぐ象徴である」と評価しています。

さらに、この起業家は購入後に「このバナナを実際に食べるつもりだ」と発言しました。このコメントは作品の一時性や消費性というテーマを改めて浮き彫りにし、作品が持つ物理的価値よりも概念や象徴性に重きを置いていることを強調しました。この発言は、芸術の一時性を示しつつ、それが持つ「証明書」や「背景情報」によって価値が維持される現代アートの本質をも再確認させるものでした。

興味深い点として、「コメディアン」は株や債券と比較されることがあります。実際に、現代アートのマーケットでは作品が「価値を生む金融商品」として取引されることが一般的です。「コメディアン」もその例外ではなく、ダクトテープとバナナという物理的な素材そのものよりも、作品に付随する「証明書」や「概念」に価値が集中しています。

株や債券が市場において需給や評価によって価格が変動するのと同様に、アート作品も「希少性」「話題性」「所有者のステータス」といった要素が"価値"を左右します。しかし、これを現代アートの文脈で考えると、「市場原理によって単なる物理的なバナナが9億円の価値を持つことが許されるのか?」という、明らかに馬鹿げた状況を揶揄する意図が見えてきます。

カテランはこの現象そのものを「滑稽なもの」として捉え、アートマーケットが抱える矛盾や過熱した評価基準を痛烈に風刺しているのです。この「馬鹿げた状況」は、現代アートの市場が時に経済的なゲームとして機能し、アートの本質的価値よりも価格や所有権が優先されることを露わにしています。それは、株や債券が実体経済を離れて投機の対象となる現代の金融市場の縮図をも映し出しているようです。

こうした風刺の文脈において、『コメディアン』は「価値」そのものを揶揄し、私たちに「価格=価値」という固定観念に対して疑問を投げかけているように思います。


4. 「食べられる事件」とその影響

「コメディアン」は、2019年のアート・バーゼル・マイアミでの展示中、アーティストのデイビッド・ダトゥナがバナナを無断で剥がして食べたことで一層の注目を集めました。このパフォーマンスは「Hungry Artist(空腹の芸術家)」と名付けられ、作品の意味や価値についてさらなる議論を巻き起こしました。

ダトゥナの行動が示唆するのは、アートが単なる物理的な存在ではなく、行為やストーリー、そしてそれに付随する文脈が作品としての本質を形作るという点です。作品の一部が物理的に失われたとしても、その価値は損なわれるどころか、むしろ新たな解釈や議論を呼び起こすきっかけとなりました。

さらに、ギャラリーのオーナーであるエマニュエル・ペロタンが、食べられたバナナをすぐに地元のスーパーで購入し、新たに壁に貼り付けたことで、バナナ自体は代替可能であることが証明されました。重要なのは「物理的なバナナ」ではなく、「アート作品として認識されるための文脈と証明書」だったのです。

この事件とオークションでの高額落札は、「アートの本質とは何か」「市場価値と芸術の価値の関係性」という現代アート界の大きな矛盾を象徴する出来事として、後世に語り継がれることになるでしょう。

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