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溥儀・本庄秘密協定
1932年9月に締結された「日満議定書」付属の4件の往復文書のひとつとして添えられた文書。同年3月に満洲国執政溥儀から関東軍司令官本庄繁に宛てた「依頼」形式の書簡を指す。この書簡は戦後まで公表されることはなく、秘密協定は溥儀が執政に就任するための条件であったといわれている。五項目にわたる内容のうち、重要な点は、以下のとおり。
「満洲国は今後の国防および治安維持に関し、これを日本国に委ね、その所要経費はいずれも満洲国においてこれを負担する。」
「満洲国は日本国軍隊がおよそ国防上必要などするときは既設の鉄道、港湾、水路、航空等の管理ならびに新路の敷設はいずれもこれを日本国または日本国指定の機関に委ねることを承認する。」
「満洲国参議府は日本人中達識名望ある者を選び参議に任ず。その他中央および地方の各官署の官吏もまた日本人を任用すべし。その人物の選定はこれを日本軍司令官の推薦に委ね、その解職もまた日本軍司令官と協議の上その同意を得べきものとする(略)。」
執政溥儀が、軍事、行政両面で日本に依拠することを表明したものであり、当時の日本政府としてはこの「依頼」に協力するという形をとることは願ってもない方便となった。それまで関東軍は、関東州と満鉄付属地に限り駐兵と軍事行動が許されていたが、満洲国側からのこの「依頼」により、満洲全域での行動が可能になったのである。
[参考文献]
山室信一『キメラ——満洲国の肖像(増補版)』(中央公論新社、2004年)
—— 二〇世紀満洲歴史事典(貴志俊彦)