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怒らないというズル
私は他人に怒らない、というより怒ることができない。
それは他人へのイライラで毎日ストレスが溜まってるという意味では無く、
まず、根本的に怒りの沸点が他の人と比べて異常に高いんだと思われる。
良い言い方をすると、すごく優しい人で、
悪い言い方をすると、他人に全く興味がない人。
どちらも少しずつ合っている気がする。
他人に興味がないというよりかは、
なんとなく、怒るエネルギーと時間がもったいなく感じている。
もちろん、自然災害や、殺人事件など、誰かの命や人生に関わることだったり、
家族や友達の問題は別だ。
他人から自分へ向けられた行為や、ちょっとした言動・行動には怒ることはほぼない。
というよりか、何も感じず、あまり考えないという方が正しいかもしれない。
相手に疑問を持つことはあるが、最終的には、
「まあいっか」
「その人にも何かあるんだろうからしょうがない」
こんな感じの言葉に落ち着いてしまう。
少し遠くから見つめてみると、案外怒る必要のないちっぽけなことも多い気がする。
他人に感情を揺さぶられるのはすごく体力を使うし、その怒りは何かにぶつけるなど発散しないとそのまま自分に蓄積していくことになる。
それに、自分が怒ることでその場を乱したり、人間関係が崩れてしまうのも嫌である。
体力を消耗しながら、ストレスを蓄積していく。
そのエネルギー移動を想像するだけで疲れてしまう。
怒ることへの圧倒的向いてなさを感じる。
そう思うと、学校の先生って本当にすごい。
私もよく怒られていたが、
今になって、学生時代の
「先生も本当は怒りたくないよ。」
という言葉の最後にはかっこで(疲れるから)が入っているんじゃないかと勝手に想像した。
そして、教師である両親を改めて尊敬した。
そんな感じで、私は日々の中で感情メトロノームのリズムを他人に取られないように、自分で刻んでいるつもりだ。
もちろん、悔しいとか悲しいとか自分に対するネガティブな感情には揺さぶられる。
ただ、他人に対する怒りへの沸点を上げに上げることで、
名前も知らない誰かに怒って無駄な時間と体力を消耗することも減るし、
突発的な自分の行動で人間関係を壊す可能性も減る。
怒ることから逃げて、楽をする。
自分(のメンタルの)ためにも、
周り(との関係)のためにも。
怒らないというズルで少しは人生上手くやっていけると思う。
なんだか今日は長めに語ってしまった。
あ、今週もお疲れ様でした。
金曜日の夜って、眠たいのになんだかもったいない気がして夜更かししてしまう。
あと1時間もしないで金曜日が終わってしまう。
いや、まだまだ楽しみます。
皆さま、良い週末を過ごしましょう。