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歌声は気球にのって。

6年のクラス担任は去年に続き梅本先生になった。梅本吉太郎の梅と吉をとって梅吉ちゃんって呼ばれている。私たちが入学した年に、先生になったって言ってたから、梅吉ちゃんも6年生だ。体育の授業じゃない時もジャージー姿で、やたら元気がいい。男子は喜んでいたけれど、私はちょっと苦手だ。休み時間に本を読んでいたら「相山、外に行って遊べ〜!」とか言うんだもの。なので最近は、校庭に出るふりをして図書室に行くようにしている。


 梅吉ちゃんは音痴という噂で、音楽の授業は他の先生に変わってもらっている。今年も隣のクラスの山田カオル先生にお願いするのかと思っていたら、別の先生だという。カオル先生は音大卒で、とってもピアノがうまい。カオル先生じゃなかったらだれなんだろう?

 初めての音楽の授業に現れたのは、教頭の桜井先生だった。4月に転勤してきたばかり。始業式の日から毎朝校門に立っていて、おはようって大きな声で挨拶してくれるのだけれど、その低い声がかっこよくて、私はちょっと気になっていたんだ。
 桜井先生は服装も他の先生とちょっと違っていた。体がお相撲さんみたいに大きくて、ズボンをサスペンダーでつっていて、いつも蝶ネクタイをしている。今日はどんなのかな、って毎朝楽しみなの。ピンクのギンガムチェックとか赤い水玉とか、パンダ柄も!

 4月最初の音楽の授業の日、そんな桜井先生が音楽室に現れたものだから、みんなざわざわした。だって、校長先生とか教頭先生って授業はしないと思ってたから。音楽の先生って女の先生だと思いこんでいたから。でも桜井先生は「6年1組の音楽の授業は僕が担当するからね。みんなよろしくね」って。

 桜井先生は、机の間を歩きながら話し出した。
「みんな音楽の授業は好きかな?」
(うーん、体育より好きだけど、国語の方がもっと好き)
「楽譜を読むのが苦手とか、音痴だから、あまり好きじゃない、という人もいるでしょう」
(楽器はいいけど、歌はちょっとなあ……)
「高学年になって、男の子は声変わりして、今までのように歌えなくなった人もいるでしょう」
(男子じゃないけど、私、高い音が出ないから)
「人前で歌うのは恥ずかしい、と感じる人もいるでしょう。僕もよくわかるよ。こう見えて僕も子供の時はとってもシャイだったんだ」
(へえ、先生が?)

 音楽の時間はいつもふざけて、カオル先生に注意されていた拓哉と和真も、真面目な顔で桜井先生の話を聞いている。
「でもね、音楽は、音を楽しむ、って書くでしょう。だから楽しめばいいんだよ。歌も、恥ずかしかったらハミングでもいいんだ。音が外れても、間違ってもいいから。楽しいのが一番なんだよ」
 にっこり笑うと、ピアノの前に座った。桜井先生は大きな体なのに身のこなしが軽い。サスペンダーに羽でもついているようだ。ピアノの蓋をあけると、ドレミファミレド、と弾いた。
「ほら、これ、みんなも知ってるでしょう。カエルのうた」
 そう言うと、かーえーるーのうたがー、と歌い出した。まるで音楽鑑賞会で観たミュージカルの王様みたいに。
「はい、みんなも一緒に!」
 かーえーるーのうーたーがー きーこーえーてーくーるよー
 最初は小さな声だったんだけれど、桜井先生が大きな、とびきりのいい声で歌ってくれるから、なんとなく先生につられて、みんなだんだん声が大きくなってきた。
「よし、もう1回!クワ、クワ、クワ、クワ、ってところは、グッパーグッパーって手振りを入れてみよう」
 なんだか楽しくなってくるから不思議。
「いい調子!よし、じゃあ次はちょっとずらして歌ってみよう。右半分が先に歌って、左半分は追いかけて歌うんだよ」
 この日の授業は、何度も何度もカエルのうたを歌った。最後はみんなで大笑いした。
 
 桜井先生はリコーダーも上手だった。手が大きいから、まるでおもちゃの笛みたいに見える。ピョロローピョロローと絵本に出てくるインドの蛇使いみたいな音楽も吹いてくれた。そしてひょいとリコーダーを2本の指でつまむと、ほーら、笛が蛇になーるー、蛇になーるーと言いながら、ゆらゆら揺らした。先生がやると、本当にくねくね蛇みたいに見える。みんな真似して一生懸命練習したのだけど、先生みたいにくねくね蛇にはなかなかならなくて、シャーペンでくねくねミミズがいいところだった。

 まるで桜井先生の魔法にかかったみたいに、みんな音楽の授業を楽しみにするようになった。音楽なんて面倒くせー、と言ってた拓哉でさえ。もちろん私も。
 
 秋の合唱コンクールの頃には、みんなすっかりやる気になっていた。去年は「どうせカオル先生のクラスが優勝するんでしょ」とか言ってた日菜子も、今年は優勝目指そう!って。
 合唱曲はクラスで好きな曲を選んでよかったのだけど、みんなの意見がバラバラで全然決まらない。
 黙って見ていた桜井先生が、こういうのどうかな、と言って、ピアノを弾き、歌い出した。

ときにはなぜか大空に 旅してみたくなるものさ
気球にのって どこまで行こう

 「僕の好きな曲なんだ。みんなが歌ってくれたら、うれしいなあ」
 賛成、と声が上がって、多数決で決まったのだけど、私はちょっと憂うつだった。

 音楽室から教室に戻る廊下で「相山翠さん」と呼びかけられた。この声は桜井先生だ!ふりかえったら、先生が手招きをしていた。
「相山さんは合唱コンクールの歌、別の曲の方が良かったかな?」
(なんでわかったんだろう?)
「えーっと、そんなことないです。すごくいい曲だと思います……」
 桜井先生はリコーダーを取り出し、ゆらゆら揺らしながら
「あなたはしゃべりたくなーるー 本当のことを話したくてたまらなくなーるー」と呪文のように唱え始めた。
 おかしくて思わず笑ったら、やっと笑顔になったね、と桜井先生も笑った。
「あの、本当は、あの歌、ちょっといやだなって。後半の高い音が出ないんです。私、声が低くて……コンプレックスなんです」
「そうだったのか。話してくれてありがとう。声が出ないかもと心配になっちゃったんだね。でもね、低いパートもあるんだよ。だからきっと大丈夫、歌えるよ」
(そっか、合唱だから、下のパートもあるんだ)
「もし声が出なかったら、口パクも許そう」
「えー!いいんですか?」
「大勢で歌うからちょっとぐらい歌わなくても大丈夫だよ。それが合唱のいいところ」と言うと先生はニヤリと笑った。
「それにね、低い声はステキだよ。僕は好きだな」
 桜井先生の言葉で、すーっと心が軽くなった。

 合唱コンクールまで、音楽の時間はもちろんのこと、休み時間や放課後も、私たちは練習を重ねた。下校の時も歌を歌いながら帰った。日菜子は上のパート、私は下のパート。
「今年は優勝間違いないね」日菜子は自信たっぷりだった。
 
 合唱コンクール当日、いつも校門で迎えてくれる桜井先生がいなかった。今日はきっと音符模様の蝶ネクタイに違いない、と楽しみにしていたのに。
 朝礼で梅吉ちゃんから話があった。桜井先生が入院したって。心臓の病気で倒れたそうだ。
「みんなで桜井先生の回復を祈ろう。桜井先生はいないけれど、合唱コンクール、しっかり歌うんだぞ」梅吉ちゃんの言葉に、クラスのみんながうなずいた。
桜井先生に変わってカオル先生がピアノ伴奏をしてくれることになった。
「桜井先生に届くように歌おうね」カオル先生が泣きそうな顔で言った。

気球にのって どこまで行こう
風にのって 野原を越えて
雲を飛び越え どこまでも行こう
そこになにかが待っているから 

 一生懸命歌っていたのだけれど、2番の途中から日菜子がぐすぐす泣き出して、それがみんなに伝染しちゃって、最後は涙声の合唱になってしまった。もちろん優勝は逃した。桜井先生に優勝をプレゼントしたかった私たちは、とてもがっかりしたのだけれど、先生の手術が成功した、と聞いて、飛び上がって喜んだ。

しばらくして、桜井先生から手紙が届いた。

6年1組の皆さんへ
先日はお見舞いの千羽鶴をありがとう。
合唱コンクールの日に行けなくて、本当にごめんね。
ちょうど手術の時間だったんだけど、みんなの歌声が聞こえたんだよ。
きっと気球にのって届いたんだね。
1番はよく歌えてたから優勝間違いなしと思ったら、2番はぼろぼろだったぞ。こりゃまだまだ死ねないな、ってあの世から戻ってきたんだよ。
もう少ししたら学校に行くから、また一緒に歌いましょう。

「よかった、よかった。優勝しなくて、本当によかったな!桜井先生をよみがえらせたんだからな。君たち、えらい!よくやった!」
 梅吉ちゃんは笑っていたけれど、その目には涙がにじんでいた。きっと梅吉ちゃんが私たちの合唱を録音して、病院に届けてくれたのだろう。
(梅吉ちゃん、これまで苦手とか思ってごめんなさい)私は心の中で謝った。

「よーし、みんなで、歌おうぜ」拓哉が言った。
「じゃあ先生が伴奏に挑戦してみようか」
 梅吉ちゃんの言葉に、むりー!とクラス全員が返す。
 私が弾く、と日菜子がピアノの前に座った。
「桜井先生に届くように、大きい声で歌うぞー」「おー!」
 
 誰も泣かずに歌い通した。今までで一番上手に歌えた。きっと気球が桜井先生のところに歌声を届けてくれたよね。
 
*「気球にのってどこまでも」作詞/東龍男

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