弥左衛門と道順

「よう鳴くと思うたら、あんなところに蝉がおるわい」
 と蝉の声にかき消されながらも、城戸弥左衛門は片耳を塞ぎながら言った。
 夏もすでに盛りになって、このところめっきり暑くなった。伊賀は森林地帯のおまけ程度の土地であるので、日差しはそれほど気にはならない。だが、うだるような湿気が、とにかく不快感をこちらの否応なく連れてくるのである。
 とはいえ、日はすでに落ちて村落のあちこちに明かりが点きはじめ、帳の暗さと相まって、隠し国に迷い込んだような気分にさせる。
「おう、おう。もうやっとるわい」
 弥左衛門がその鰓張った顔をほころばせ、勇んで入ったのは、伊賀崎道順の百姓家であった。この日、道順は妻を娶り、宴もたけなわの所であった。
「音羽ノが来たぞぅ」
 弥左衛門の姿を見つけた、宮田仁兵衛が高砂の席で汗をかきながら堪えるようにして座っている道順に向かって叫ぶと、道順はそれまでの強張らせた顔を一気に緩ませた。
「音羽ノ!!」
 道順は弥左衛門に向かって手を大きく振ると、弥左衛門も持ってきた酒を振りかざしながら、
「楯岡ノよぅ」
 と返した。二人のやり取りを見ていた道順の妻、およねは思わず吹き出すと、そのまま口元を抑え乍らもころころと笑っている。弥左衛門はすでに酔っぱらっている連中の海原を、十戒のようにかき分けながら進んだ。そして、
「よかったのう、楯岡ノ」
「遅かったじゃないか、音羽ノ」
 二人はいつもそう呼びあっている。弥左衛門は場所を作りながら腰を下ろし、祝い酒の巻紙をやぶりとって栓を開け、
「ほれ」
 とまだ少しだけ残っている道順の杯を顎で示した。道順は杯の中の酒を胃の中に入れ、杯を差し出すと弥左衛門はなみなみと注いだ。
「おう」
 道順は一気に飲み干すと、今度は弥左衛門の酒を取上げ、逆に杯を持たせるとこれもなみなみに注いだ。弥左衛門もこれを一気にすきっ腹の中に放り込んだ。すると、
「何かないか」
 口が寂しい、といって近くの手作りの料理も手あたり次第に口の中に入れていき、胃の中を整えていくのである。
「それにしても、とうとうぬしゃまでが嫁取りをしたか。これで仲間入りだな」
 弥左衛門が言うと、
「そうよ、この儂も身を固めて励まねばならぬようになったわい」
 道順もそう言っては豪快に笑い、仁兵衛が来れば三人が車座になって、およねには目もくれず車座になって飲む。それを見かねた同じ中忍仲間が、
「およねの晴れの姿を見てやらんか」
 と窘めるほどであったが、とうのおよね自身がその三人の姿を見るだけで実に楽しそうであり、三人の仲の良さが通り過ぎる旅人でさえもわかるほどであった。
「もうそろそろ、仕舞いにしようかい」
 と遠くで聞こえると、宴は客が一人、また一人と抜けていくことで終わりを告げる。それでも仁兵衛と遅れてきた弥左衛門は残って祝い酒を飲み干していた。いつしか蝉の声だけが響き、およねは手伝いに来てくれた他の女子と共に片付けに入った。道順は酔いつぶれてしまっていた。
「外に出よう」
 弥左衛門が持ちかけると、弥左衛門は仁兵衛を連れて、酔い覚ましもかねて外に出た。すでに他の家は寝入っているのであろう、明かりは消えてしまっている。ただ中天に流れる大河が三人の影を作っている。
「楯岡ノに何か祝儀を呉れてやらねばならんのう」
 弥左衛門は思いついたように言った。仁兵衛が、
「そうじゃのう。何がええかの」
 と尋ねる。
「ほうじゃのう、中忍とはいえ、儂らの稼ぎはそれほど大したものはやれんしな」
「どうせなら、派手なものを呉れてやりたいのう」
「ほしたら、信長の首はどうじゃ」
 弥左衛門が冗談めかして言ったように見えた。仁兵衛は、
「それはええな。信長の首か」
 といって笑ったが、弥左衛門は何も言わず、虚空の一点を外すことなく黙っているので
「まさか、正気ではあるまいよな。酒に酔っておるのだな」
 と俄に酔いが醒めた。弥左衛門は、
「酔うてもおるし、素面でもある」
 と答えると、仁兵衛は化外の物を見るような目つきで弥左衛門を見ている。
(信長の首だと)
 仁兵衛が恐ろしく思った。
 織田信長は尾張の小大名から身を起こし、桶狭間の戦で当時最大の勢力の一角であった今川義元を討ち取ると、風雲急を告げた戦国時代に、その雲をつかんで成り上がった男である。その後、美濃、近江、畿内、越前とその勢力を広げていき、また向かう敵には容赦なく勝ち続け、天下を握るに一番近い男である。この時期の信長は、まさしく伊賀を攻めようとしていた。
 敵の総大将というだけではなく、天下の中枢にいる殿上人の首を狙うというのだから、弥左衛門の言葉を、
(気がふれている)
 と仁兵衛が思うのも無理はない。だがその一方で、
(それが出来ればどれほど面白いだろうか)
 とも仁兵衛は思う。そうなれば、一旦は収束し始めた天下が、再び三々五々に散って混沌とする。面白い、と仁兵衛は思った。そして思わず
「とるか、首を」
 と言った。言ってしまった、と言ったほうが適切であろう。
「とろう」
 弥左衛門は天をにらんでいる。

 天正九年(一五八一)の晩夏、織田信長は伊賀に侵攻を開始した。いわゆる天正伊賀の乱である。
 事の起こりは、遡ること三年前の天正六年、当時伊勢国を領国化していた織田信長の二男、北畠信雄が伊賀国を併呑するために信雄の義父であった北畠具教の隠居城になっていた伊賀丸子城を改修しようとしたのを、伊賀の忍びが不意を狙って襲撃した事に始まる。
 激怒した信雄は信長と話をすることもなく、八千の兵でもって伊賀を攻めた。だが、地形に明るいうえに尋常ならざる忍び集団である伊賀衆に散々に打ち負かされ、あわや信雄自身があわや討死、というところにまでなった。
 信長は当然信雄を叱責するとともに、本願寺の和解で愁いを無くしたことと、伊賀衆が臣従しないこと、更に伊賀衆の戦闘力の大きさに抱いた危機感とで、伊賀討伐の軍を興すことになった。そもそも、伊賀国は上忍という在地国人領主の合議を頂点とする自治組織体であり、大名家の領土ではない。似たような例として堺の三十六人衆というのがあるが、それに近い。
 信長の目的はあくまで天下統一であり、そのために例外の自治組織は認めない立場である。堺が辛うじて形だけとはいえ自治の形を維持せしめたのは、信長の要望に早くから答えたというのと、堺の利用価値を信長が知っていたからである。伊賀の場合は土地が肥沃であるわけでなく、また交易をやっているわけでもない。ましてや外国と通じるというような事をやっていないのだから、伊賀を併呑しようとするのは目に見えていた。
 だが伊賀衆からすれば、この信長の行為は為政者の理不尽な侵略であり、それに抵抗する事になんら不自然はない。強大な勢力を持った為政者であるといえども、唯々諾々と従う必要性はなく、自らの生存権をかけて戦うのは当然であった。つまるところ、これは国一揆である。
 伊賀の場合は、その統率力や個人の能力において他とは隔絶の感がある。それを利用して戦うのが、伊賀の戦いである。
 弥左衛門は仁兵衛ら数人の忍びと組んだ。本来一人仕事である忍びが徒党を組んで一つの「仕事」をやるのは滅多にない事で、これがいかに伊賀衆にとって危急迫る事であるかがよくわかる。
「まず、信長がどう出てくるかを見極めねばならん。その為には、二人ほど、織田の中に入り込んでもらう事になる」
 弥左衛門は、伊賀国内にある忍び小屋のうちの一つを密謀の場所と定めて指示を出した。弥左衛門と仁兵衛の他は下忍である。
「信長は、伊賀に来ているのか」
「いや、大将はまた信雄だ。恐らく信長は、安土ではないか」
 弥左衛門は仁兵衛からそれを聞いて、
「弥助と六平は、伊賀の本陣に入れ。そこで信長の所在を突き止め、どちらかが信長のいる場所に向かえ。そしてもう一方はつなぎを頼む」
 呼び出された弥助と六平は、すぐに忍び小屋を出た。
「これで首尾よく行けるか」
 弥左衛門は仁兵衛の言葉に反応しない。それどころか、腕を組んで渋い顔をしながら考えている。
「どうした」
「信長という男はまれに見る運の持ち主だ。悪運といっていい」
「知っておるのか」
 弥左衛門は頷いた。それどこか、
「仕損じた」
 とまでいった。仁兵衛は全身の毛穴から風が入り込むような寒さを覚えた。
「ど、どういうことだ。つまり、一度信長を狙ったという事か」
「ああ」
 といって、弥左衛門が話し始めた。

 弥左衛門が信長を狙撃したのは二年前である。
 当時、信長は石山本願寺との戦いに手を焼き、大いに悩まされていた。弥左衛門は本願寺の中にあって、鉄砲隊に入って戦いに参加しており、織田軍相手に撃ち続けた。弥左衛門の鉄砲の腕前は雑賀、根来に勝るとも劣らぬほどの腕前で、次々と織田軍の兵士を鉛の玉で沈めてきた。
 弥左衛門が本願寺法主の顕如上人から、
 ―― 織田信長を狙撃してもらいたい。
 という依頼が出たのは同年の秋の事であった。
 弥左衛門は鉄砲一丁、弾を数発、さらに火薬と火縄を持って網のように密になっている織田軍の包囲を抜けると、近江の膳所を目指した。信長は安土を出発すると南下し、膳所に向かう、と聞いていたからである。
 弥左衛門は伊賀で鍛えた健脚で大坂から膳所まで歩き抜き、信長が来るのを待った。
 果たして信長は来た。弥左衛門は街道脇の森に身を隠し乍ら狙撃の準備を始めた。準備をはじめ乍ら、
(なんじゃ、これは)
 と天地にないものを見るが如き思いであった。
 信長の行列はどの大名でも決してできぬほどの壮大な規模であり、まるで輪を描きながら歩いているのか、と勘繰りたくなるほど人の流れが途切れず整然と歩き続けているのである。これは、戦に赴くというよりは自らの昇りつめた権力を固辞する為のものであった。
(これほどの力と戦っていたのか)
 と考えると、弥左衛門は空しさを禁じ得ない。信長は無尽蔵の戦力を有しているが、本願寺はいくら門徒が命知らずとはいえ限りがある。更に包囲され、援軍を望むべくもない状況にあっては、どうあがいても勝てる要素は皆無であった。
(だが、これでひっくり返る)
 もし信長を仕留めることができれば、状況は一変するであろうし、信長一個の力によって成り立っている織田軍が乱麻の如くばらばらになることも考えられる。顕如はそれを考えて依頼してきたのであろう。
 弥左衛門は手頃な二股に分かれている木の股に銃身を乗せ、自らは草の汁に浸した蓑を頭からかぶって、まるで苔の生えた道祖神のような恰好になって信長が通るのを待った。時折、火が消えぬように息を吹いて縄を燃やしている。
 暫く眺めていると、行列が華美になっていくのが分かる。
(近い)
 信長はもうすぐやってくる。弥左衛門は前目当を覗きながら動かない。ただ、指は引き金にかかっていている。
 赤い大唐傘の先が見えた。引き金に当たる指の腹を更にめり込ませた。
 信長は、洋風の甲冑姿で騎乗していた。癪に障ったように眉間にしわを寄せた細面の男で、髭も心もとない。それでいて、何ともいえぬ威圧感を辺りにまき散らしている。弥左衛門は信長のこめかみに照準を合わせると、引き金を引いた。同時に豪快な破裂音と共に弾丸は一直線に信長を襲った。かに見えた。
 だが当たったのは大唐傘の柄で、柄は真っ二つに裂けた。馬が音に驚いてい大きく嘶くと暴れ出し、
「曲者じゃ!!」
「出合え」
 という怒号が響き渡った。
(しまった)
 と弥左衛門は思う間もなく、すぐにその場を逃げたのである。

「それでどうしたのじゃ」
 仁兵衛がその続きを聞きたがっている。
「逃げきれぬと思うた儂は、近くに潜んで時が過ぎるのを待った。夜になって近くに陣を張ったというので、見舞に行ったのよ」
「見舞に?何故だ。別に行かずとも、逃げおおせることができたであろうに」
「あの時の織田の人数は尋常なものではなかった。一山をかるが如き人員で探し始めたのだよ。それで身動きがとれぬようになって、暫く待っていたのだ」
 仁兵衛はそれでも得心が行かぬ様子で、
「よくそれで逃げることができたな」
「考えてもみろ、自分を撃とうとした奴が見舞いに来るはずがないではないか。仕損じた男が堂々と現れる筈がない、という事を逆手に取っただけの事よ」
 だが、と弥左衛門は続ける。
「信長は、分かっていたのではないか、と考えることがある」
「さすれば、逃げられるわけがないであろう」
「だが、あの目は」
 と信長の両目を思い出すと、弥左衛門は震えが止まらない。
「じゃが、音羽はその信長の首を祝言祝いにするといったぞ」
 仁兵衛はそういうと天井に向かって笑った。弥左衛門も渋い顔を少し緩めて、
「言った以上、やるしかあるまいよ」
 と、いった。

 北畠から織田に復姓した信雄が総大将となった伊賀侵攻軍は総勢が五万という大軍で、それを甲賀、信楽、加太、大和と伊賀に隣接する街道口に振り分けて侵攻を開始した。一方の伊賀衆は総勢で九千と、五分の一にも満たない。
 そうなると水気の無い落ち葉を踏み潰すような容易さで織田軍は伊賀衆を撃破していくだけで、これは戦というよりも殺戮に近かった。
 弥左衛門は仁兵衛や道順と共に忍び小屋から比自山城に籠って織田軍と戦ってはいるものの重厚に包囲された織田軍の攻勢はいかんともしがたく、日に日に状況は劣勢となるばかりであった。それでも頑強に抵抗を続けて織田軍に決め手を欠けさせていた。それどころか、しばしば軍を打ち破っては、局所的ではあったが勝利を得るほどであった。
「こんな張りぼての城にてこずりおって」
 と信雄がいかるのも無理はなく、実際この比自山城は一夜の突貫工事で作り上げた急場拵えの城でしかなかった。それでも織田の大軍相手に五分以上の戦いが出来るのは、伊賀衆にとって数少ない精神的支柱であった。
「が、それも長くはない」
 と弥左衛門は言い切る。今は勝てるかもしれないが、所詮は数において歴然とした差がある。それだけではなく、織田軍は最新鋭の軍備を整えている、この時代にあっては間違いなく最強の精鋭軍であり、個々の戦闘力では伊賀衆が上回っているのを差し引いても、物量作戦で押し切られてしまうのは明らかで、いずれ落城してしまうであろう。
「そうはいくまい。いくら天下に響いた織田の軍でも我ら伊賀者にはなす術なかったではないか」
 と誰かが聞こえよがしに言ったのを聞いて、
(織田の恐ろしさがまだわからんのか)
 と嘆息した。織田の恐ろしさは苛烈を極めるとき、途方もない攻め方に転じてくる容赦のなさである。
「とはいえ、何処を攻める??」
 そこが分からない。
 場所が分かったのは翌日の事で、平楽寺という事であった。比自山城の東にある。
「へ、平楽寺だと」
 道順はそれを聞いて、囲まれている中を出ようとしていた。それを仁兵衛と弥左衛門が慌てて引き留めた。
「い、行かせてくれ」
「待て、行ってどうする。今行ったところで寺はすでに焼け落ちているのだぞ」
「あそこには、よねがいるのだ」
 道順がそういうのへ、弥左衛門らは思わず手を離した。
「よねがあそこに」
「ああ、あやつは忍びではないから寺で兵糧の準備をしておったはずだ。そこを攻められたらならば」
「攻められたならば、無事ではないかもしれん。だが、今ここで出て行けばお前も無事ではすまんぞ」
「それでもよい。よねが無事ならそれでよい」
 道順は泣きじゃくりながら何度も訴えたが、再び掴んだ腕を弥左衛門は今度は離さなかった。
 とはいえ、平楽寺という兵站の要を失ってしまった以上、城に籠って戦うことは出来ない。ここから南西の大和の国境近くに柏原城という丘城がある。ここは規模は小さいながらもこの比自山城とは比べ物にならぬほど城として頑丈な造りになっている。そこの城主は滝野十郎といって伊賀のなかでも有力な国人衆であり、恃むとすればそこしかない。
「夜陰に乗じて逃げるしかない」
 弥左衛門の言う通り、比自山城は夜を待った。包囲の目が緩む僅かな間隙を縫って柏原城に向かったが、四千いた伊賀衆のうち、柏原城に逃げ込むことができたのは数百にも満たぬほどで、織田軍の包囲の密さが思い知らされた。
 弥左衛門ら三人は見事柏原城に入ることができたのがせめてもの救いであった。
 滝野十郎は四十の坂の中頃にある人物で、総大将にするには少々物足りない印象のする、朴訥な男であった。
「ここで織田方を食い止め、巻き返しを図ろうぞ」
 と口でこそ威勢のいい事を言うが、とてもできぬ相談である。比自山城から限界に近い身体能力を酷使し続けて逃げ続けてきたうえに、織田軍に伊賀の全土を包囲されているという精神的疲労も重なって、逃げ込んできた伊賀衆は指一つ動かす事すら億劫になっていた。
 それは弥左衛門らも同じで、十郎のいう事に反論できないのがその疲れの証左である。
「ここを凌げば、必ず好機はくる。辛抱じゃ、辛抱じゃ」
 十郎はそういって皆に僅かな水などを振る舞って疲れを癒させようとした。
 一方の織田軍も追撃の手を緩めることなく、比自山城の破却を行うとすぐさま柏原城を取り囲み、またもや籠城戦の構えになった。十郎は伊賀の百姓を掻き集めて攪乱目的で動かしてみるがそれで踊らされるような織田軍ではなく、この柏原城も呆気なく開城した。九月十一日の事である。
 そうなると、あとは虐殺しかない。
 大和国に逃げ延びた伊賀者たちも引き戻されて撫で斬りにされ、伊賀衆については男、僧侶は言うに及ばず、女子供までもが殺され、さながら伊賀忍びの血統そのものを断絶するかのような残忍さで、その数は三万余とも云われている。
 弥左衛門らは城主の嘆願によって助命されていて殺されることはなかった。戦が終わった後の伊賀は、夥しい死体が狭い領土を覆い尽くし、寺院などは悉く焼き払われ、火で嘗め尽くされたように何も残っていなかった。
 道順は平楽寺の有った場所に向かった。
 そこでも女子供や僧侶の死体が無造作に打ち捨てられ、そのほとんどが誰であるか識別は出来ない。だが道順はそれでも懸命によねを探し続けた。
「よねは菜の花を薄めたような色の小袖を着ておった」
 というのが、道順が見たおよねの最後の姿であった。三人は手分けしてそれを探した。探索は一昼夜続けられたが、出てくる事はなかった。その翌日も更にその次の日も三人は地面に落ちた金の針をひろうような慎重さでよねを探し続けた。だが、見つからない。さすがの弥左衛門も、
(もしかしたら、どこかで生き延びているのではないか)
 と思うほどになっていた。
 それから数日は飯を漁ってそれで食いつなぎ、よねをさがす、という単調な行動に特化した日々を過ごした。平楽寺も本堂の柱が黒こげたままそそり立っている廃墟となり、三人のよりどころはよねだけである。
「楯岡ノ、ここまで探しておらぬという事は、どこかに隠れておるのではないか」
「ならば、何処に隠れるというのだ」
 と道順はいいながら、ふと近くに忍び小屋があることを思い出した。
「あそこならば、いかな織田軍でも易々と見つけることも出来まい」
 仁兵衛も弥左衛門に同意した。三人は急いで平楽寺北の忍び小屋に向かった。忍び小屋は大人が二、三人が雑魚寝できるほどの大きさで、入り口も一見して其れ、とは分からぬようにできていたはずであった。
「表戸が破られておる」
 弥左衛門は嫌な予感がした。急いで中に入る。
「やはり、ここも見つけられていたか」
 恐らく織田軍の兵士が見つけたのであろう、ここに無惨に殺された死体が三つばかり並んでいる。そのうちの一つに、道順の目が留まった。
「よ、よね。……よね!!」
 薄黄色の着物がはぎ取られ、見るからに凌辱し続けた跡が残っている死体は、明らかによねであった。道順は抱え起こしてよねの亡骸をさすっている。すると、奥で物音がするので弥左衛門は仁兵衛に目で合図を送った。仁兵衛も頷いて慎重に中を検めると、老婆が転がってきた。
「お、お前さん方は」
「伊賀の者じゃ。ここで、何があった」
 老婆は全身を激しく震わせながら言うのには、織田軍が平楽寺を落とした後、残党狩りが始まり、よねも含めて数人がこの忍び小屋に逃げ込んだ。ところが織田軍の残党狩りは熾烈を極め、程なくしてこの忍び小屋も見つかり、中に居た者すべてが殺されたのであるが、よねだけは散々に犯され続け、まるで飽きた玩具を捨てるようにして殺されたらしい。その時、何度も道順の名を呼んでいたという。
「おばばは、何で生きておるのだ」
「大方、匿われたので運よく生き延びたのであろう。……それにしても、女子供までとは聞いていたが、これでは虫けらではないか」
 よねの亡骸にすがる道順を見た弥左衛門は、
「奥には何がある」
 と老婆に尋ねた。わからぬ、と老婆は頭を振ると、弥左衛門は老婆を押しのけて中にないった。見つけたのは鉄砲一丁と、数発の弾、黒色火薬である。
「そういえば、弥助と六平とのつなぎは取れぬままだったな」
「まあ、このような事になっているのはすでに聞き知っておろうから、おっつけつなぎも来るであろう」
 弥左衛門は仁兵衛の言葉に頷き、とりあえず殺された者の亡骸を外に出して荼毘にふせた。そして血で濡れた小屋でもってとりあえずの塒を確保した。

 弥助が織田軍の中を抜け出して伊賀に入ったのはそれから一月ほど経った十月初めの事である。弥助は伊賀の惨状を見て、
「織田軍は鬼の集まりか」
 と思った。焦げた匂いが鼻を突き、弥助はあばたの顔をしかめながら辺りを見回った。どこにも男女の判別すらできぬ死体が売れ残った野菜の如く転がっていて、中には首がない死体、あるいは首が地面から生えたように立っていたり、安土からやって来た弥助から見れば、
「これがおなじ人の住む土地か」
 と嘆いた。
 進んでいく。とにかく生きている人間に会いたい、会って話を聞きたい、とその一念のみで足を動かしていく。
(おらぬか、おらぬか)
 弥助の頭の中には弥左衛門、仁兵衛、道順の顔が浮かぶ。このうちの誰かでもいい、会うことができればそれでよい、とこのあばた顔の男は泣きそうになるのを堪えて探し続けた。
(誰でもいい、生きていてくれ)
 小石で爪が割れて血を垂れ流していても構わず、弥助は歩き続けた。遠くに人影見えた。織田軍の兵士でないのは明らかに分かった。
「おーい、おーい」
 弥助は遠くの人影に手を振りながら走り寄ると、向こうから聞こえてくる声は聞き馴染んだものであった。
「音羽様か」
「弥助か。無事で何よりじゃった」
「これは一体」
「織田軍が撫で斬りにしよったのよ。それよりも、なんでぬしゃがここにおるのだ。……そうか」
 弥助は頷いた。
「信長はどこに居る」
「一之宮に豪勢な陣を構えておりまする」
「そうか。ぬしゃは戻って、我と会うた事を六平に伝えろ」
「音羽様は」
「支度を整えてすぐに一之宮に行く。そして信長の首を取る」
「分かり申した。それで、他の方々は」
「仁兵衛と楯岡ノは無事であったがな、よねが織田軍に殺された」
 弥助は口惜しい顔をして、
「我らも出来る限り、手伝わせていただきまする。つなぎはこれからこの弥助が取りますので、何なりと」
 といって、弥助は一之宮の織田軍の本陣に戻っていった。

 信長は一之宮の本陣に豪勢な御殿を作り上げ、伊賀侵攻に携わった諸将も休憩所や宿泊所を競って作るなどして、先ごろまで戦をしていたのが嘘のようであった。
「信長、ふざけたやつよ」
 弥左衛門は忌々しげにつぶやいた。
 さらに弥助からの報せによると、さらに食事なども贅を極めた山海珍味の行列になっていて、酒池肉林の如きものであるという。
「伊賀を自らのものに出来たが故の酒宴というわけか」
「信長を、いつやる」
 仁兵衛は矢も楯もたまらず、といった顔で弥左衛門に尋ねた。弥左衛門は、
「すでに支度は整っている。あとは、あいつだ」
 と、道順を見た。道順は自らの生気をすべて失った様になって、泣き続けたためか目の隈はぼってりと腫れ、頬の肉は削げ落ちて頬骨が突き刺さらんばかりに飛び出している。
「楯岡ノは置いて行こう。あれでは足手まといじゃ」
「そうするか」
 弥左衛門が静かに小屋を出ようとした時である。
「音羽ノ、何処に行くんじゃ」
 道順が幽鬼に取りつかれたようなか細い声をあげた。弥左衛門は、
「今からは信長の首を取りに行くんじゃ」
 と山菜取りに出かけるような軽い口調で言った。道順の目がこれ以上なく見開くと、
「わ、儂も連れて行ってくれ。仇を取りたい」
 とかすれた声に嗚咽を混ぜながら言った。弥左衛門は、
「ぬしゃ、今のままでは使えん。祝言祝いと思っておったが、事ここに至ってはそれもかなうまい。これはな、伊賀の者のせめてもの手向けじゃ」
「ならば、よねの仇は誰が取るのじゃ」
「そのよねの仇も含めて、我が取りに行くのだ。楯岡ノ、ぬしゃこのまま一旦大和に入れ。もし、我が仕損じたる時は、その時こそぬしゃ、信長の首を取るのだ」
 弥左衛門は道順の両肩に手を置くと、しっかりと掴んで言った。そして、
「誰かが、誰かがあの男を止めねばならぬ。それが我になるか、ぬしゃになるか。あるいは別の誰かが。いずれにせよ、あの男を止めねば、このような事がまた繰り返されるのだ。万が一我が仕損じた時にこそ、ぬしゃに頼る」
 とも言った。道順は尚も何か言いかけるが、弥左衛門の決意を前にして言えるものではなかった。
 弥左衛門は仁兵衛と共に一之宮に向かった。

 伊賀入った信長の滞在は、『信長公記』によると十月十日から十二日という、わずか三日と非常に短い。その間に伊賀の領土仕置や伊賀の再建などに指示を出し、戦のあった場所や焼けてなくなった村々などを視察するなどしていた。
 弥左衛門は信長の動きが分からない。その為、目安となるのが六平と弥助である。笠姿の弥左衛門と仁兵衛は二人を探している。一之宮の辛うじて残った森の中に潜んでいた。
「どこにおる」
「ここからは見えぬな」
 仁兵衛は動いてさらに二人の姿を探す。一方で弥左衛門は手頃な太い幹の木を見つけると、それをするすると登り、太い枝に腰を下ろした。
「ここからなら御殿が丸見えだな」
 弥左衛門が登った木は、御殿を正面から見て左側に聳えたつ杉の木で、しかも御殿の正面が一望できる場所にあった。
 二人が探しているのと同様に、弥助と六平もそれぞれ二人の姿を見つけようとしている。だが、警護の役目で潜入している為、思い切って動く事もかなわず、目線で二人の姿を追っている。
 六平は御殿の裏手を警護し、弥助は表を見ている。それを見つけた仁兵衛が、鳶の鳴き真似をして六平に合図を送った。六平は暫く鳴き声の方向を見定めると、その先にいる仁兵衛と目を合わせた。そして、
 ―― 信長は中にいる。
 と口の動きで伝えると、仁兵衛はそれに頷くと、弥左衛門の姿を探した。遠目で見ると、弥左衛門が杉の木の枝に座っているのが御殿越しに見えた。仁兵衛はすぐに杉の木の傍によって弥左衛門と同じようにするすると登ると、
「信長は中にいるらしい」
 と告げた。
「そうか。ならば、ここで待つ」
「いつ動くか分からんぞ」
「出て来たところを撃つのが鉄砲というものだ」
「そうか、それならばこれを着けておけ」
 と、仁兵衛は蓑の紐を弥左衛門の首に結んでやり、被せるようにととのえた。
「すまんな」
「儂は鉄砲は出来ん。おぬしだけが頼りだぞ」
 仁兵衛はそういうと杉の木を降りて、再び辺りの情勢を探り始めた。
 弥助は、というと仁兵衛が気を下っていくのを見つけると、すぐにその杉の木を見上げた。弥左衛門が座っているのを見つけると、周りの警護の兵に見つからぬように口をうまく隠して鳴き真似をした。すると仁兵衛がそれを見つけ、上を指さした。弥助はそれに頷き、上に向かって鳴き真似をする。
「ほう、弥助はあそこか」
 弥左衛門は応じる術を持たぬため、銃口を弥助に向けた。分かっている、という合図である。弥助も頷いた。
 十月十日はこのまま過ぎた。

 翌十一日。
 この日は日の出の頃から曇天となっていて、気がめいるような分厚い雲が伊賀を覆っていた。
(こりゃ雨が降るな)
 と風の湿り気を見た弥左衛門は懐に抱え込むようにして鉄砲を雨から守り、弾と火薬も水にかかって使い物にならぬように懐に忍ばせた。中から動く気配はない。
(今日は動くなよ)
 弥左衛門は祈りに似た気持ちで御殿を見張っている。すると、弥助の反応が変わった。
 御殿の正面に、少し背の高い細面の男が立っていた。月代を剃った茶筅髷で、口には髭が辛うじて生えている。見事な卵型の顔で白く、それでいて目ははっきりと見開いて、雨を睨み付けている。信長であった。
 無論、信長は弥左衛門が狙っている知る筈がないのであるが、信長は弥左衛門の方を見た。そして、
「止まぬか」
 とだけ残して、中に戻っていったのである。弥左衛門の脇から冷たい汗が出たのは雨が滲んだからではない。
 雨は十二日を跨ぐ頃にはすっかりと上がり、水たまりにはっきりと月が浮かぶほど、空は澄み渡っていた。弥左衛門はそれを木の上で過ごしたのだから、丸二日、木の上で過ごしたことになる。そして、食料も取っていない。通常であれば体力の低下を考えるであろうが、食事を抜いて飢餓状態になることで神経が研ぎ澄まされ、逆に相手の動きを敏感に感じ取ることができる。さらに余計な排泄もせずに済むこともあって、弥左衛門が食事をとらなくなると、狙撃は近いという事である。
 弥助の様子が変わった。ほんの少しだけ、体が動いたのである。
(出るか)
 弥左衛門は素早く火縄に火を点け、銃口に弾と胴薬を流し込んで槊杖でもって込め、火蓋を開けて火皿に火薬を注いで火蓋を閉じ、火縄を火挟みにねじ込んだ。そして肩当に右肩を当て、左で銃身を抱えて狙いを定めた。
「出て来い」
 弥左衛門の唇はすでにかさついて言葉にならない。弥助は弥左衛門の方を見ている。そして、顎で指した。
 弥左衛門は火蓋を切って、いよいよ構えた。
 信長は右のこめかみの弥左衛門に晒しながら数人の供を率いて馬に跨った。刹那、
(捲土重来)
 弥左衛門は滅多に信じぬ神仏を、この時ばかりは信じた。そして信長の動きに合わせて銃口を動かす。そして、信長が出ようとしたその一瞬を逃さず、引き金を引いた。刹那、大きな破裂音が信長を襲ったのである。
「やったか」
 弥左衛門からは信長が倒れたように見えた。そしてするすると杉の木を降りて様子を伺うと、弥助は弥左衛門に頭を振った。信長は生きているのである。
(まさか)
 寸分たがわず信長の後頭部を撃ち抜いたはずである。しかも、その手ごたえはあった。だが信長が馬上のまま起き上ったのを見て、弥助が正しい事を知った。弥左衛門は逃げようと杉の木の影に隠れると、そのまま逃げ始めた。すぐ後ろで、
「狼藉じゃ!!」
「出合え!!」
 などという声が聞こえる。
「仁兵衛、仕損じた。信長はほとほと運のある男だ」
「どうする。もう一度やるか」
「いや、とにかくぬしゃ逃げろ。万が一我が捕まっても、後はぬしと楯岡ノに託すぞ」
 弥左衛門はそういうなり、仁兵衛と別れて逃げ去った。
 信長の犯人探しは容赦がない。当たりの住民をはじめ、犬猫に至るまで徹底的に探し、少々疑わしいものがあればすぐに引き立てるほどで、喩え女子供でも手心を加えることはない。弥左衛門はその様子を見つめていたが、女子供が引っ張られていく姿を見て、
(無理だ)
 と感じた。そうなるとこの男は潔く、信長の前に出たのである。
 信長は冷酷な目をして、立っていた。弥左衛門の顔を見るなり、
「またおぬしか。一度だけであれば見逃してやったのに」
 前の狙撃の全てを、この男は知っていたのである。
「何故、狙った」
「祝言祝いのつもりであったが、死んでいったものへのせめてもの手向けよ」
 弥左衛門は吐き捨てるように言った。
「そうか、それは無念であったな。冥土に先に行った者に謝っておけよ」
 信長はそういうと、自ら刀を抜いて弥左衛門の首を取った。そして、
「どこぞに掲げておけ」
 とだけいって、御殿を後にした。
 弥左衛門の首は暫く晒され、最後の方には烏についばまれたせいで、骨が見えて気の弱い者が見れば卒倒するような醜悪さになっていた。
 仁兵衛は弥左衛門の首を見ながら、
 ―― 誰かが止めねばならぬのだ。
 という言葉を思い出していた。仁兵衛と道順が伊賀を抜け出たのはそれから間もなくのことであった。

 信長はこの後、甲州征伐に向かい、武田を滅亡させるととんぼ返りで安土に戻り、今度は備前に向かうという。その道中、京の本能寺という寺に泊まるらしい。仁兵衛はそれを京の市井から聞きつけるや、すぐに道順に報せた。道順は、
「これでよねの仇がとれる」
 と暗い喜びを隠そうとしない。一方の仁兵衛も、伊賀の惨劇と弥左衛門が仕損じた、
 ―― 信長を止める。
 という目的をもう一度噛みしめていた。
 信長が京の本能寺に入ったのは五月二十九日で、周りの供の者は小姓のみで三十人ほどであった。
 恐らく、翌日には近江からくる明智光秀の軍勢と合流するため、軍勢を持つ必要を考えなかったのかもしれない。とはいえ、聊か不用心である事に変わりはない。
 仁兵衛と道順は、市井の者にに変装をして、本能寺周辺に探りを入れた。やはり警備は手薄になっている。
 仁兵衛が本能寺裏に向かった時である。
(おや)
 明らかに忍びの者が一人、中の様子を伺っている。仁兵衛は
「何奴じゃ」
 と静かに声を立てた。見れば、弥助であった。
「何をしておるのだ」
「弥左衛門さまが討たれた後、六平とは別れて、今は惟任日向守様の下で働いておりまする」
 惟任日向守とは、光秀の別名である。その光秀配下となった弥助が、本能寺を探っているのである。
(まさか、光秀は)
 仁兵衛はその目的が何であるか、直感した。そして弥助に、
「何故探っているのだ」
 と敢えて尋ねてみた。仁兵衛の思う通りであれば、弥助は分かっておらぬか、あるいは別の任務を命じられているはずである。
「日向守様は、『上様の宿所に怪しい者がおらぬかどうか、警護いたせ』との仰せでござりました」
 仁兵衛はそれを聞いて、違和感を覚えた。いくら信長が天下人であったとしてもいつ狙われるか分からないのは違いないわけで、その為の身辺警護は十分に尽くされているはずである。護衛を任されている立場であればあるいは分からぬではないが、光秀のやっている事は筋違いとしか言いようがない。
(やはり)
 仁兵衛は己の直感を確信とした。そして、
「光秀はどこに居る」
 弥助が言うには、丹波亀山城という事らしい。
 仁兵衛は道順と共に丹波亀山城北、本丸の東にある御殿に忍び込んだ。そして、
「楯岡ノはこのまま見張ってくれ。弥助が来ぬとも限らぬでな」
 といって御殿に近づいた。
 闇を垣間見るように新月が顔を出している。御殿の中では、光秀が地図を広げて思案をしていた。
 光秀は信長を小さくしたような男であったが、信長と違って図太さを感じない。それでいて、少し学究者然とした線の細さを持った優し気な男に見えた。
 光秀は不自然な風の流れを感じたのか、すぐに地図を懐にねじ込むと灯を消し、床の間にある刀に手をかけて辺りを伺った。そして風の流れを読みながら南側の障子に向かって沿うようにして近づくと刀を抜いて障子を開け、突きを繰り出した。仁兵衛、そのまま前に転びながら躱して入り込むと、立膝をついて座った。
「曲者か」
 と落ち着き払っている。仁兵衛は
「曲者でござる」
 というと、光秀は少し笑い、
「面白い奴。首を取りに来たか、それとも夜襲か」
「どちらでもござりませぬ。それがし、伊賀の宮田仁兵衛と申す者。惟任日向守様に目通り願いたく、このように忍び参った次第でござる」
 光秀は警戒を解くことなく刀を収めると、
「目通りとは面妖であるぞ。目的は何じゃ」
「信長の首」
 光秀は表情こそ出さないが、内心、急所を針で突かれたような気がした。
「上様の首を取ると、わざわざ喧伝しに参ったのか」
「いや。日向守様のお手伝いをいたしたく参上仕った次第」
 光秀はこれに驚くのも無理はない。そもそも、主君を弑逆するという途方もない計画は、光秀自身の胸のうちにしかなく、誰にも漏らしていないからである。だがここで認めてしまえば、この秘した計画が露顕してしまう。光秀は、
「世迷言を申すのであれば、手討ちにするがよいな」
 と言った。言ってしまった、というべきであろう。
「やはり、そうお考え遊ばしましたか。もし仮にこれが全くの的外れであれば、すぐに誅殺しようとするか、もしくは叫びて城内の者を呼ぶはず。だが、日向守様はそれをなさいませぬ。といって、そこの」
 と仁兵衛は指さし、
「お刀を抜く事もせず。それは御認めになっている事と同じ事でござる」
 といった。さらに、
「お手伝いを進み出たは、我らの為でもござりまする」
「おぬしらの為、とは」
「我ら伊賀者は、千年信長によって非道の限りを持って、灰燼に帰されてしまい申した。わずかに残ったものも忍び狩りに遭い、今ではここに居る弥助の他にほんの数人しかおらず、女子供まで撫で斬りにされてしまい申した」
「その恨みを晴らすためか」
「それもござりまするが、いの一番は、あの男を止める事でござる」
 光秀は三度、今度こそ表情に出した。そして徐に、
「あの男を、信長を止めなければならぬ」
 といった。その声の決意が全てを雄弁にしていた。
「我らと同じ伊賀の者で、城戸弥左衛門と申す者がおりましたが、同じ事を申しておりました」
「そうであったのか。その者はどうした」
「伊賀一之宮にて信長を狙いましたが仕損じて、首を討たれ申した」
「その城戸某なるものの遺志を継いで、此処へ来たのか」
 仁兵衛は頷いた。光秀は、覚悟を決めた。
「誰ぞある」
 仁兵衛は気配を消して影に隠れた。光秀は家臣に斎藤利三と明智左馬助を呼ぶように命じた。二人の表情は何事かすでに分かっていたようで、緊張を走らせながら、小走りに光秀の部屋に入った。光秀は左馬助に、
「戸を閉めよ」
 というと、灯をつけぬまま、三人は闇の中でもそれと分かるほどに顔を近づけると、
「明日、信長を討つ」
 といった。二人はやはり、という表情で特段驚きもしなかったが、やはり事が事だけに強張っている。股肱の臣というべき利三はすべてを飲み込んだ表情で、
「分かり申した」
 とだけ述べた。左馬助はじっと黙っている。
「何か言いたいことがあるか」
「いえ、事ここに至っては最早何も申しますまい。それで、手筈は」
「夜にここを発って、老の山を越えて京に入る。桂川辺りで夜が明ければ、夜を待って本能寺を襲撃する」
「よろしかろうと存ずる。では、早速」
 二人は部屋を辞すると、すぐに触れを出した。光秀は仁兵衛を再び呼ぶと、
「おぬしは軍の中に入れ。足軽でも何でもよい。そして本能寺に向かうのだ」

 仁兵衛とその仁兵衛から聞かされた道順は、足軽に混じって明智軍の中に入った。
 六月一日の夜に出立した一万三千の明智軍は、光秀の言う通り東の柴野という所に入ってさらに老の山を越えて京に入った。中国に向かうはずの行軍であるのにもかかわらず、京に入った事で軍はすこし浮足立ったが、光秀は
「静まれい!!」
 と大喝一声、にわかに落ち着きを取り戻した。そして、
「これより、京本能寺に向かい、信長の首を取る」
 と静かに宣言した。こうなるとこの一万三千の軍勢は一種の運命共同体となった。不思議な事に出る筈の脱走者が出なかったのは、おそらくこの一万三千がおよぶ「犯罪行為」の共犯になった事への、信長に対する恐怖があったかもしれない。なまじ正義感を振りかざして誅殺されるのであれば、主君に従ったほうがよい、という事であろう。
 明智軍は桂川まで進軍した。日付は六月二日にかわって日が昇り始めていた。そして京本能寺を囲ったのが払暁(午前四時ごろ)である。
 仁兵衛と道順はすでに本能寺包囲軍の中から外れて、本能寺の中に入っている。そして明智軍の鬨の声と鉄砲の打ちかかる音が聞こえてくると、
「行くぞ」
 仁兵衛の合図に道順は頷いた。
 本能寺ではすでに戦闘が始まっているが、これは戦闘というよりも抵抗と言ったほうが近い。信長は小姓が三十人ほどしかおらず、とても戦闘にはならなかった。そして屋敷に火がかかった。
「信長はどこだ」
 仁兵衛らは屋敷の中に入って、信長の姿を探している。すでに火が回っているようで、そこかしこで炎が上がり始めていた。屋敷の奥に入っていくと、白い寝間着姿の男が、血を所々ににじませながら立っている。
「信長だな」
 仁兵衛が確かめた。確かに信長である。信長は何も言わず、口元を上げて笑っているだけである。それが二人の癪に障った。
「覚悟を決めよ」
 仁兵衛がそういうと、信長はにやり、と笑って持っていた刀を首筋に当て、一気に引いた。鮮血が天井にあたり、屋内の雨となって落ちてくる。信長は前のめりになって倒れた。道順は仇、とばかりに信長の背中を何度も刺した。仁兵衛は
「逃げられなくなるぞ」
 といって強引に引きはがし、本能寺の屋敷を辛くも逃げ出した。

 その後、光秀は山崎の戦いで羽柴秀吉に負け、小栗栖で土民に討たれたという。
 仁兵衛と道順は伊賀に戻って弥左衛門とおよねの菩提を弔いながら、百姓の暮らしに戻っていった。

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